2話 一難去って
どれくらい蹴り飛ばされたのだろう。
まるで車から放り出されたように地面を転がりながら、せめて接地によるダメージを受けないよう身体を丸めて地面からの衝撃を逸らす。
一通り転がり終え、回転で目も頭もくらくらとしながらも元凶達に目を向けると、俺がゴロゴロと転がっている間にも、異形と女子高生の戦いは進んでいた。
異形は攻め込むのに二の足を踏み、まるで地団駄を踏んでいるように苛立ちを露わにし、対峙する女子高生は日本刀を正眼に構え落ち着き払った立ち姿。
現状が何一つわからないながらも俺の目は、夜の街灯に照らされる女子高生の、少し前に出されている右足。そして後ろに引いている左足の太ももに釘付けになった。
蹴り飛ばされた際には、太ももの付け根の白い物体が見えたが、今は見えそうにない。
ただ、なんというか、スカートが吹く風に揺れ、少しふわふわと動くその様は、まるでそこにだけ引力が発生したように俺の目を引きつけてやまないのだ。なんともけしからん。
髪の異形と女子高生は、少し睨み合った後、髪の異形が少し後退し、その後凄まじい速さで側溝のコンクリートの蓋の隙間に潜り込んでいった。
様子を見ていると、どうやら逃げて行ったように見える。
髪の異形の動きの余りの速さに唖然としつつも、その行方を見るが、側溝をあの速さで移動しているのであれば、どうやっても追跡は難しそうに思える。
女子高生に目を戻すと、やはり追跡は難しいのか非常に不満そうな表情に変わり
「ちっ、逃げたか……軟弱な。」
と呟き、刀を鞘に納めた。
夜の遠目にも可愛い娘だろう雰囲気が伝ってきつつも、汚れを飛ばす為か片手でヒュンと刀を振る様子に『女子高生が日本刀持ってていいのか?』という疑問が浮かび上がってくる。
そんなこと思っていると、どこから取り出したのかさっきまで持っていなかったであろう鞘に刀を収めると、その刀は、瞬きをするその一瞬で、赤色の勾玉のような形に姿を変え、女子高生はそれをポケットにしまい、そして俺に目を向け歩いて近づいてきた。
女子高生が俺に近づいてくる。
なんという事でしょう。
そんなことがあって良いのだろうか?
そんな事を考えている状況ではないのだろうが、それどころではない。
女人だ。 しかも女子高生だ。
なんという事でしょう。
膝をついているような体勢だった俺は、とりあえず立ち上がり地面を転がった際についたであろうホコリや汚れをはたき落とし、少しでも見た目を清潔にする。
なんせ第一印象は大事。
……いやいやいや、落ち着け、いきなり飛び蹴りして日本刀を振りまわして変なのと戦っているような女子高生は、俺の知っている女子高生じゃない。断じて違う。
そんな女子高生(仮)に気に入られようとしてどうする。もちつけ俺。
いや……でも可愛いっぽい……
って、こんな状況で意外と余裕あるなぁ、俺。
なんてことを思っていると、女子高生は立ちあがった俺から2.5m程の距離をあけて立ち止まり、不思議そうに顎に手を当てて首を捻りはじめた。
「……ふむ。どうやら…大丈夫そうですね。
丈夫そうだと思って、つい緊急避難の為に蹴りましたが……う~ん?
結構強く蹴ったと思ったのですが……知らずに手加減していたのでしょうか?」
首を捻りながら、いかにも不思議そうに考えこんでいる女子高生。
夜の暗がりのせいか、とても可愛い娘に見える。
意図的に『蹴った』事が伝わってくると、蹴られたであろう自分の右肩当たりに鈍い痛みが走り少し撫でる。
痛いは痛いが、軽く腕を回すと問題なく回り、日常生活に支障が出るような痛みじゃない事に、ほっと胸をなで下ろす。
女子高生の言葉と思い出した右肩の痛みから置かれた現状を振り返り考えるに、多分この女子高生は俺をあの髪の異形から守る為に蹴り飛ばしたんだろう。
そう納得しかけつつも、女子高生を頭の先からつま先まで、そして、つま先から頭の先まで目をやり、最終的に太ももに目を落ち着ける。
なんせ街灯の明かりに色白の太ももがよく光を反射していて、なんともエ……美しい。
……しかし、この細身の身体で、蹴り飛ばす?
いやいやいやいや。
太ももは確かに細身に見えても、結構肉感的で素晴らしいが、成人の男、まして普通の男よりも確実にデカイ俺を蹴り飛ばすような脚力がある様な足には見えないぞっ!?
自分で言うのもなんだが、俺くらいの体つきの男を蹴り飛ばすなんて、重量あげの選手くらいの筋肉の塊の足じゃないと不可能だろう!
「……むっ。
人の足を劣情に満ちた目で見ないでもらいたい。不愉快です。」
「あ……えっと、そのスマン。
多分俺を助けてくれたんだろうとは思っているんだが……ただどうにも、どうやったら俺をあんなに蹴り飛ばせるのかが納得できなくて。
その……悪気はないんだ。許してほしい。」
うん。ちょっとしか悪気はない。
単純に疑問だから太ももから目を離せないだけなんだ。
そうなんだ。疑問だから見てるだけ。
「ほう……混乱も見られないようですね。
さっきのマガツキの行動といい……」
また顎に手を当てて考え始める女子高生。
横に向けられていたらしき視線が、ふと俺を見据え、貫くように感じる。
女子高生に見つめられるとは!
有難うございますっ! 有難うございますっ
「……あなた……人間ですか?」
女子高生の辛辣な言葉。
一瞬の間があく。
「ゴハァっ!」
思わず膝をついて咳き込む俺。
初対面の女子高生にいきなり『人外』扱いされるとは……男共に弄られるよりもダメージが超絶大きすぎて、もうどうしよう。
「……ふ、ふふ。
いや……慣れてるからいいんだ。うん。
よくゴリラって言われるし。うん。
大丈夫。 俺…傷ついてない。
ちゃんと……人間だし。」
……あれ? なんだか無性に泣きたいよ?
不思議そうな顔をする女子高生。
「ん? ……あぁ、いや、確かに風貌はゴリラのようにも見えるけれども容姿がどうとかそういうことではなくて……うーん……説明が難しい。」
フォローしようとしてくれてるんだろう。
女子高生に悪い子はいないはず。うん。
いいんだ。俺。ゴリラだし。うん。
「いや、いいんだ。ははっ!
取り乱してスマン。それと、多分だが君はあの変なヤツから俺を助けてくれたんだろう?
よくわからない状態だけど、とりあえず礼を言わせてくれ。ありがとう。」
「ん? あぁ。それはいいんです。
怪我もなさそうで何よりでしたし……しかし、本当に驚くほど冷静ですね。
普通ならもっと…こう、混乱するのですが……」
「いや、起きたことは起きたことだし、見ちまったもんは仕方ねぇからな。」
肩をすくめ鼻を鳴らす。
「ふむ……豪胆ですね。
まぁいいです。私が考えても仕方ない事ですし。
……それに今はアレの追跡も考えないといけませんから私はこれで失礼します。」
踵を返したと思いきや立ち止まる女子高生。
「と……あなたの様子を見るに、敢えて伝える必要があるか少し疑問ではありますが……今夜見た事は口外しない方が身の為ですよ。」
そう半身だけ振り返って伝えてくる。
「あぁ。だろうね。
……というか、俺が見たことなんて誰に言っても信じてくれそうにねーよ。
話しても頭が痛いヤツだと思われておしまいだろ。」
「結構。」
女子高生は、すぐに背を向け髪の異形が姿を隠した側溝を確認しに足を進めて行く。
俺は街灯に照らされ薄く光を反射する後姿の太ももを堪能しつつも、これ以上この場にいても邪魔になるだろうことが容易に想像できた為、道路の脇に停車してある重機を積んだトラックで会社に戻る事にし足をトラックへと向けた。
どうにも変な目にあったが、女子高生と話ができたし、女子高生に蹴られもした。
それになにより白いパンツも見れた。 プラスマイナスで考えたら大いにプラスだ。
……あと、可愛い女子高生に凄まれるとか蹴られるとか、そういう趣味のヤツなら涎もんだろうし……まぁ、とにかく得をしたと思う事にしよう。
さぁっ! 牛丼食って休もう。
気持を切り替え、行くぞー!
そんなことを考えながら歩き、トラックが目と鼻の先に近づき、嫌な事に気が付いてしまった。
―― 髪のヤツが逃げた側溝が、トラックの真下に繋がっている ――
そう気が付いた瞬間。
女子高生に目をやると、女子高生も何かに気が付いたように、顔をこっちへ向けていた。
ヤバイっ!
醸し出される雰囲気から、髪の異形が近くにいるかもしれないと思いなおす。
なんせ、あの髪のヤツは
『何故か俺を狙ってきた』
髪のヤツと戦えるであろう女子高生に伝えに行こうと足を動かした――瞬間。
トラックのボディを突き破って、髪がまるでタコの足のように飛び出して俺を拘束した。
ヤバイ
ヤバイ ヤバイ!
ナンダコレ ナンダコレ ナンダコレ!
力には自信があり、髪を引き離そうと手で掴もうとするが、髪は器用に手をすり抜けて掴めない。
それどころか布のようになった髪が俺を窒息させる気なのか、口と鼻を覆うように巻き付き、髪とは思えないような力で、ギリギリと首や顔が締めあげて、どうしようもない苦しさを感じ始める。
混乱の中、脳内に
オマエノ チカラガ ホシイ
オマエノ チカラガ ホシイ
オマエヲ クエバ ツヨクナレル
オマエヲ クエバ ツヨクナレル
オトナシク ニエ トナレ
オトナシク ニエ トナレ
と、底冷えするような声が響き渡り、恐怖が芽生えた
……が、あまりに一方的で勝手な言い分。
無性に腹が立った。
ふざけるなよっ!? ワケわかんねーこといってんじゃねーぞっ!
お前の為に死ねってか!?
ンなもん認めるワケねーだろうがっ!
もがき、振りほどこうと足掻く。
恐怖と怒り、焦燥。そして窒息と拘束の苦しさに足掻く中、俺の目に映ったのは、あの女子高生が俺に向かって歩みを進める姿だった。
「私が居るというのに、まさかこんなに近くに潜み、そしてすぐに出てくるとは……迂闊でした。
……これも私の不徳の致すところ……許して欲しいとは言いません。」
女子高生は俺の方へと歩みを進めながら、言葉を俺に聞こえるように、まるで独白のように声を発している。
気が付けば髪は既に俺の体中に纏わりつき、自分の身体は蠢く黒色の髪に覆われ尽くし、かろうじて目から上だけが髪から逃れている。
「マガツキとなってしまうであろう貴方に、私がしてあげられる事はただ一つ。
せめて苦しまないよう……人間である内に今生の呪縛を断ち切ってあげます。」
そう言うと同時に、ポケットにしまっていた勾玉を取り出して日本刀へと変え、抜刀して、八双の構えを取った。
待てよ。
ちょっと待てよ。
お前俺を殺す気かっ?
この髪も、お前も何してんだよっ!
マジでふざけんじゃねーぞっ!!
髪に苦しめられながら、あまりの不条理にさらに腹を立てつつ抗おうと足掻く。
「一ノ閃 ……荒神断ち」
足掻きもがき続ける俺に一切構う様子も、そしてなんの躊躇も見せる事なく、八双の構えの女子高生が一足飛びに俺目掛け直進を始める。
切られる。
直感的にそう感じた。
彼女は何の迷いも無く、本当に俺を切る。
死の恐怖が迫った俺は、こうなった原因の『髪』に対してこれまでになかった異常な怒りを覚えた。
こんのクソ髪っ!
引き千切れないなら、噛み千切ってでも振り解いてやるっ!
体中の力を口に集めて大口を開け、
そして、俺は髪に噛みついた。