冬の姫君――弐――
桜からの提案に露は少し考えるような素振りを見せていたが、それを承諾する。と、女中が襖を叩いて入ってくる。
「旦那様、賊を捕まえたとのことです」
「わかった。今向かう」
女中が先頭で歩いて肆人で歩いていく。その途中、桜が声をかけてくる。
「雪殿は随分と小柄ですね」
「唐突に無礼ではありませんか、桜殿」
「あぁいえ。誤解を与えてしまいましたね。愛らしいという意味ですよ」
「誤魔化された気しかしませんが」
軽く肩をすくめてかわされた。自分でも気にしているのだから言わないでいただきたい部分であった。最近は女中の童にも軽々と背丈を抜かれてそれなりに傷ついているのだ。
「背丈を伸ばす方法は……しっかり食べて寝ることとは耳にしましたが」
「そのようなことは関係がありません。育つ方というものは、目立ったことをせずとも背丈が伸びるものです」
事実自分はそれなりに食べてしっかり寝ていたのにこのありさまなのだ。横にいる桜の胸のあたりまでにしか視線はいかないのだ。
そのようなことを話していると、雪の部屋の前に着いた。
「今は剣と槍が賊を縛り付けて武器を突き付けた状態でいますが、どうかご用心を」
「相分かった。下がっていい」
「失礼致します」
女中が頭を一度下げて去っていくのを見送り襖を開く。するとそこには、報告通り男が一人荒縄に縛られた状態で転がされていた。
「雪、先ほどのものと相違ないか」
「はい。このような大男、見間違えるほうが難しいです」
そのようなやり取りをしていると、桜が男の方に近づいていく。
「桜殿、拘束しているとはいえ危険ですぞ!」
そんな言葉を気にもせず、彼は男の近くに片膝をつく。
「やれやれ、君という人は」
彼のその言葉に疑問が浮かぶ。
「桜殿?あなたは……」
瞬間、視界が突風とともに桃色に染め上げられる。何事かわからずに反射的に右腕で顔を護る。桃色の突風を防ぎながら見えたそれは――。
「桜の……花弁?」
小袖が風に揺れながらも桃色の風が過ぎ去るのを待つと。状況が一変した。
「な――」
「父上!?」
捕まっていたはずの男が剣と槍を叩き伏せ、桜がにこやかな笑顔のままに露の首元に小刀を突き付けていた。
「お前……いったい何者だ……?」
「私ですか?先ほども名乗った通り、桜ですよ」
「そうではない……今の不可思議なことをしたのはお前であろう」
その言葉にようやくあたりを見渡してみると、壱寸ほどではないが桜の花弁が降り積もっている。
「これは……?」
「っかー……桜。お前やりすぎたんじゃねえのか?」
「武人弐人を叩き伏せた君が何を言うのですか、海」
桜が嘆息しながら海と呼ばれた男に指摘をする。唯一放置をされている雪が彼らに問いを投げかける。
「貴方たちの目的は何ですか?」
その言葉に弐人の視線がこちらに向く。
「いやな?最近冬を探しているんだわ」
「随分と抽象的なことをおっしゃるのですね」
袖口に隠し持っている小刀を悟られないように手の内で構えておく。方や海と云う男は雪の言葉に豪快に笑って見せる。
「はっはっは!違いねえな。なんつーかなあ」
うまい表現を探しているのか、頭を幾度か掻くと、指を鳴らす。
「例えるのならあんただ」
「わたくし……?」
一体この男は何を言っているのだ。そんな風に思い首を傾げると、その疑問に答えたのは桜だった。人当たりのよさそうな表情を浮かべる。
「雪殿……でしたね。貴女の名は、冬を連想させるものです」
「……それがどうしたのですか?変な話ですが、同じように冬を連想させる名を持つものなら、他にも数多いるのでは?」
「ええ。ですから探すのに苦労するのです」
そこで一度言葉を区切ると小刀を持っていない手で自らを指し示す。
「例えば、僕の名前は春を指し示します。彼、海は夏を指し示す。そんな仲間を、僕らは探しているのです」
変わらずに柔和な笑みを浮かべるその姿に言いようのない恐怖感を覚える。
「……先ほどの話に答えていませんよ。何故、私に目をつけたのですか」
唾を飲み、慎重に言葉を選んでいく。この妙な弐人を下手に刺激させて父を殺させるわけにはいかない。連れていかれるのであれば大人しく付き従うことも考えておく。そう考えていると、海は雪の着物を指差す。
「だってよ。お前さんこんな馬鹿みたいに寒いってのにそんな薄着で平気なのはなんでだよ」
「……特段、寒いと感じないからですが」
「そこだよ」
待っていたといわんばかりに彼は手を叩いてその言葉を歓迎する。
「雪まで降って、太陽の入らない部屋で、どうして夏みてぇな薄着で平気なのはどうみても異常だろ」
「――言いたいことはそれだけですか」
氷が割れるかのような無機質な音が室内に響く。顔を俯けた雪の発したその言葉に呼応するかのように、室温が急速に下がっていく。
「わたくしは異常者だと?そのように人のことを物の怪扱いするのでしたら……」
「これは……少々煽りすぎたようですね」
苦笑いするような桜の声。顔を上げた雪の顔は怒りに満ちていた。
「疾く、この地より去りなさい!!」
その言葉を皮切りに雪の全身から雪が噴き出す。吹雪のようなそれを桜もまた全身から花弁を打ち出して迎え撃つ。極短時間の攻防が終わり、雪は膝から崩れ落ちる。全身に著しい虚脱感が襲いかかり、激しい息切れに視界が白く霞む。
「これはこれは……なかなかに大物ですね」
「うお、冷てぇ……服の中にまで雪が入り込みやがってるぞ」
平然とした声が白煙の向こうから聞こえる。そこには水を空中で展開して膜のように扱う海。桜も花弁の隙間を縫ってきた雪を払い落としている。愉快そうに二人が口角を吊り上げる中、父のどこか現実を失ったかのような呆然とした表情。
「わたく……しは……」
雪の意識もまた遠退いていく。最後に彼女の耳に入ってきた言葉は。
「ようこそ。冬を総べる雪の少女」
妙に優しい海と呼ばれる男の声だった。