王太子の婚約者
煌びやかな雰囲気は、さすが国王主催のパーティーと言えるだろう。参列者は上位貴族ばかりが占め、たまに見かける下位貴族は明らかに肩身が狭そうだった。
かく言う私も、国内に4つしかない公爵家の1つであるフェルミナンド公爵家の長女という、非常に光栄で鬱陶しいことこの上ない身分を背負っている。
上に兄が2人いるので家督を継ぐことはないが、3つ上という近しい歳の王太子がいらっしゃるせいで、婚約者としての地位を確保してしまっている。未来の国母である。候補は他にもいるので、私に至らぬ点があればいくらでも替えはきくが。
「ああ、こんなところにいた。マリィ、探したよ。」
濃い茶色のサラサラの髪に深い青の瞳。誰もが羨む程の美貌を持ち、多数の女性に熱い視線を投げられている男が私の名を呼んだ。
「ハロルド王子、お久しゅうございます。王子につきましては、お変わりなくお元気であらせられるようで。」
この男こそが噂の王太子であり、私、マリアンヌの婚約者で幼馴染でもあるハロルド王子その人である。
「マリィも元気そうでよかった。今日も見かけないから、また体調を悪くしたのかと心配したよ。」
その言葉に若干の棘を感じつつ、微笑んで無言を貫く。度重なるパーティーの誘いを断らねばならなかった原因はそっちなのに、まるで私が悪いような言い回しに腹が立つ。
「今日も、私のエスコートを断って壁の花を決め込むなんてやはり本調子じゃないのかな?上手く柱の陰に隠れて誰にも見つからずに済んでいるみたいだけど、婚約者同士が一緒にいないなんて誰に何言われるか分かったものじゃないと思うけど。」
だから来たくなかったのだ。性根の腐りきったこの男は、分かっていて私が嫌がることばかりをあげつらう。それも、物心ついた頃からずっとだ。
「申し訳ございません、ハロルド王子。しかし、王子のお見立て通り体調が未だに優れませんので、目立たぬように休ませていただいておりましたが、愛しい貴方の顔をみた瞬間に吹き飛んでしまいましたわ。」
「愛しい我が婚約者。それならば、私が貴方をダンスに誘っても構わないか?」
「勿論でございます。嬉しいですわ。」
お互いに笑顔を貼り付けて広場の中央に進み出れば、周りの人々が感嘆のため息をついたのが分かった。
「見て、マリアンヌ様とハロルド様よ。いつ見てもお似合いの素敵な2人ね。」
「ほんと。お二人とも、妖精だと言われても信じてしまいそうだわ。」
「マリアンヌ様の今日の衣装も素敵ね。美しい空色の髪に深い緑のドレスが鮮やかだわ。」
そんな囁きがどこからともなく聞こえてくる。ハロルド、私たちお似合いらしいわよ。目を伏せて心の中でつぶやく。周りからはハロルドに見つめられて恥じらう婚約者という非常に初々しい姿に見えているに違いない。
「あれ、でもマリアンヌ様がパーティーに出席されるのって随分久しぶりじゃない?」
そうですとも。およそ一年もどのパーティーにも出席していなかった。それも、この男のせいで。私はこんなに憎々しく思っているのに、全く意に介していないらしい。今日、約一年ぶりに顔を合わせても、やあ久しぶり、の一言で終了だった。
以前のように手を取り合ってダンスをしても、胸に溜まった思いは少しも晴れてはくれない。リズムも歩幅も完璧なのに、どこか違うと感じてしまう。
伏せた顔をあげると、もの言いたげな視線と合わさり、曲が終了した。
「パーティーが終わったら私の部屋に来て。話しがある。」
聞こえるか聞こえないかの音量で唇は動かさずにそう告げる。ハロルドの瞳が一瞬曇ったが、エスコートは完璧にこなした。あとはお互い適当に別の相手と踊ってパーティーは終わる。
ハロルドは王太子なので別のご令嬢とも踊る義務があるが、まだ婚約者の私にそんな義務はない。いつもなら1人2人と踊った後、ぼんやりハロルドを見つめているが、今日は終了間際まで何も考えずに誘われるままに踊った。
「マリィ?俺だよ。」
王宮内に与えられた部屋で待っていると想像よりも早くに扉をノックする音が聞こえた。
ベッドの上から動かずに入室を促すと何のためらいもなく開く扉。蝋燭のみの薄暗い部屋で私が寝間着姿で寝台に腰掛けていてもこの男は欠片も表情を変えない。
「話って何?」
「私が今怒ってるって分かる?」
「久しぶりに顔を合わせる前から、きっと怒ってるだろうな、とは思ってたよ。」
「理由に心当たりは?」
「有りすぎて困ってる。マリィを人前で罵ったこと。何の説明もしないで遠くに追いやったこと。人と連絡を取ることを禁止したこと。一年間1度も会いに行かなかったこと。」
「そうね。でも、一番怒ってるのはどれも違う。」
視線を合わさずに答えると、少し離れた位置でベッドの軋む音がした。
「俺は、君のためを思って行動したつもりだった。」
今から1年ほど前のこと。
私とハロルドは婚約者としても幼い頃からの友人としてもそれなりに上手くやっていた。
私に対してもハロルドに対しても、妬みや悪意、欲望などといった負の感情を向ける輩は一定数存在していたが、ハロルドの手腕は素晴らしく、脅威になるような存在はいなかった。
しかし、1つの偶然の出会いによってそれが覆される事態が起こってしまう。
国内でも有力貴族の息子であるガドルナリと貴族の中でも名ばかりの家の娘であるジョセフィーヌが出会ったのだ。
ガドルナリは私に歪んだ好意を寄せていて、私の想い人は自分であるのに、身分違いのせいで王太子の婚約者にさせられ、自分との恋は諦めようとしている、という妄想を信じ込んでいた。実際にはパーティーで会えば挨拶をかわす程度の仲なのにも関わらずである。しかも、それを数少ない友人に吹聴して回っているらしかった。
一方のジョセフィーヌは頭の良い狡猾な女で、身分が低いのが問題なだけで能力は自分こそが王妃にふさわしいと、これまた思い込んでいた。毎日毎日、勉学に勤しみ、容姿を自画自賛し、自分の身分の低さを呪う生活を送っていたらしい。
詳しい出会いは誰にも分からないが、いつの間にか2人は手を組み、私の暗殺計画を立てる仲になっていた。ガドルナリは私を殺すことで私を手に入れ、ジョセフィーヌは婚約者のいなくなったハロルドに取り入るチャンスが増えるという互いの利益が一致したかたちだった。
ガドルナリもジョセフィーヌも個人では恐れるほどの相手ではない。しかし、ガドルナリの権力とジョセフィーヌの頭脳が合わさり、私の暗殺計画は不可能なものではなくなってしまった。
ハロルドはその情報を敏感にキャッチし、私を危険から遠ざけるために、私に何の説明もなしに片田舎の屋敷に追いやった。茶会の噂などから私は大体の推測を立ててはいたが。そして、2人が目撃可能な場所で私を思い切り罵る、というおまけつきで。
ハロルドが私に婚約破棄だなんだと喚けば、ジョセフィーヌは私への暗殺計画からハロルドへ取り入る計画に変更するだろうと見越してのことだった。
それでも、慎重なジョセフィーヌは私の暗殺計画は取りやめようとはしなかった。ジョセフィーヌの計画は完璧で、ハロルドをもってしてもなかなか尻尾をつかむことが難しかった。ガドルナリに私の居場所を探させ、自らは動かずに証拠は残さない。
しまいには便乗する輩も増えていく始末で、それを一掃するのにハロルドは1年を要した。
「だから、君を王都に再び呼び寄せて2人でパーティーでもと思ったんだけど。1年も会いに行かなくて申し訳ないと思ってる。」
「だから、私が怒ってるのはそこじゃない!」
本気で分かってなさそうなハロルドに再会してから1番の怒りが沸く。
「私を囮に使えば良かったのよ。そうすれば、もっと早く解決したし、私たちが離れる必要もなかった。」
「、、、、マリアンヌは、本気でそんなことを言ってるのか?」
ハロルドは昔から、物凄く怒ったときと真剣な時だけ私をきちんと名前で呼ぶ。
「本気だわ。当たり前でしょう?」
「そんなの、俺が許すはずないだろう!」
一瞬にして距離を詰め、私の手首を掴んで激昂するハロルドに驚く。瞳には怒りともしれないただならぬ光が浮かんでいる。
「マリアンヌ、君は俺の未来の妻で俺が唯一愛する女性だ。マリィを囮にするなんて、そんなこと俺が耐えられない。」
一転して弱々しく私の肩に額を乗せるハロルド。その背に腕をまわして抱きしめる。
「君を失いたくないんだ。マリィを手に入れるために将来国王になることに決めた。弟にも誰にも渡さない。」
この言葉は婚約が初めて正式に決まったときに聞いたので、これで2回目だ。
「私だって、ハロルドのためじゃなかったら囮なんてやろうと思わないわ。婚約者の立場だって、ハロルドが国王になるっていうから受け入れてるのよ。」
だから困るのだ。この男は私が嫌なことばかりあげつらう。こんなことまで白状させられて。
「どうして何も言ってくれなかったの。私だけ安全な場所に隠して1人で頑張って。私は何のためにあなたのパートナーになるのよ。ずっと、対等に支え合えるようになりたくて頑張ってきたのに。」
幼い頃から優しく私に甘いハロルドに恋心を抱いていた。将来は国王になると思っていたから王妃教育も積極的に頑張ってきたのだ。離れていた1年間だって、ずっとずっとハロルドのことを考えていた。
「囮だってなんだってよかった。2人で一緒に解決したかった。どうして、何も話してくれなかったのよ。」
「ごめん。」
「1年間、一度も音沙汰ないし!」
「手紙をだしたら声が聞きたくなる。声を聞いたら会いたくなる。会ったら離れてるのが辛くなる。」
「だったら、離れなきゃよかったのよ。久々に会っても爽やかな笑顔で久しぶり、の一言だけだし。」
「久しぶりだったから、少し緊張してたんだ。1年ぶりのマリィは頭で考えていたよりずっと綺麗だった。」
そんなの、私だって同じことを考えていた。
「でも反省したよ。次からはマリィを遠くへやったりしない。目を離さなきゃいいんだ。」
「目を、離さないのは無理じゃないかしら?」
「婚約者なんだから、少しの間くらい仕事中執務室にいても大丈夫だし、視察だって同行しても問題ない。マリィの意見だって貴重だ。」
「ええ、まあ他者の意見をきくのは大切なことだと思うけれど、」
「マリィ。俺と離れて寂しかった?」
急な問いかけに、急激に顔に熱が集まるのが分かる。その答えを、今、この状況で言わなきゃいけないのか。
あまりにも照れくさく、それ以上に恥ずかしく、答えを渋っていると、ハロルドは私の耳に口を寄せて「マリィ。」と囁き、答えを催促してくる。
「寂しかったわよ。当たり前でしょう!」
半ばヤケクソになって言うと、ハロルドが笑う気配がする。肩から振動が伝わってくる。
顔をあげたハロルドは、さっきまでの弱々しさは何処へ行ったのか。瞳になんとも怪しい光をたたえている。
「マリィ、すっかり忘れていたけど、ここはベッドの上だったね。」
「そうだけど、、、」
ハロルドはやけに嬉しそうに笑うと、私の胸の前で揺れるリボンに指をかける。リボンを胸の前で結んで留めているだけの簡単な寝間着だ。そのリボンをほどけば、簡単に下着姿になってしまう。
「偶然、俺の指がリボンに引っかかったらどうなるかな?」
「こ、婚前交渉は貴族の女性の恥だわ。」
「偶然、指が引っかかっただけだよ。」
震える声で返しても、一向に気にする様子もなく、むしろ嬉しそうな姿に愕然とする。まさか、未来の国王ともあろう者が、常識外れなことをするものかと思っても、ハロルドの雰囲気がその考えを打ち消してしまう。
「そういえば、今日のダンス、どうしてあんなに色んな男と踊ったの?全員、下心しかない連中ばかりだ。」
「誘われたから、、ハロルドだって色んなお嬢さんと踊ってるじゃない。」
「嫉妬?嬉しいな。でも、俺のは義務で嫌々踊らされてるだけだ。」
「ハロルドの気持ちは知ってるから、嫉妬なんてしないわ。私とだけずっと踊ってられたらいいのにとは思うけど。」
「俺だって出来るなら、マリィとだけずっと踊ってたいよ。でも、マリィが何人もの男と踊ったのは許し難いな。俺は心が広くない。マリィは、誘われたらどこにでもついて行くの?結婚してと誘われたらそいつと結婚するの?」
「そんなわけ、」
「指が引っかかって、もう少しでほどけてしまいそうだ。」
「や、やめて。」
ビクリと肩を揺らすと、再びハロルドが笑い出す。揶揄われたのだ。私はこんなに心臓が煩いというのに。
「バカ。ハロルドのアホ。」
「ごめんごめん。マリィがあまりにも可愛くて。」
人間、焦ると語彙が幼くなるらしい。ハロルドを罵る言葉が幼児並みにしか出てこない。ハロルドはリボンから手を離し、私の頬を撫で、そのまま、指で唇を艶かしく撫でる。
「君の身体に触れられないのなら、マリアンヌ、その柔らかく甘い唇に口付けを、」
そう言って、ハロルドは私の返事など聞かずに甘く誘われるように唇を寄せた。
読んで頂きありがとうございました。
最後まで読んで頂けただけで物凄く嬉しいです。