休息
案内されたのは同じ建物の三階にある部屋だった。玄関と15畳程のリビングの他に、8畳程の寝室が4部屋ある。キッチンはない。白い壁の腰の高さほどに、青いタイルのラインが引かれている。リビングには先ほどの応接間よりは少し小さなダイニングテーブルと、暖房と思われる装置、小さな食器棚。リビングの隅には6畳ほどの一段高いスペースが設けられていて、マットレスが敷かれている。寝室にはダブルベッドと書き物机の他に箪笥が置かれている。よく見ればそれぞれ家具や扉には、彫刻などが施され、上質なものであるのを窺わせる。随分と待遇が良いのに二人は驚いた。
「直ぐにお茶とお湯などをお持ちいたします。お着替えは寝室の箪笥にご用意いたしました。その装束では苦しいでしょう。夕食の時間までご自由にお過ごしください。夕食もお部屋まで届けさせます。お手洗いとお風呂は一階です。館内はご自由に歩かれて構いません。御用があれば、どの者にでもお声かけください。」
「この建物は・・・ホテルですか?」
「いえ、政府の宿泊施設です。一般客は宿泊しません。それと、恐縮ですが今日は外出されないようお願いします。町は少し離れておりますが、市民から好奇の目で見られかねませんし。明日はこの世界のことをもっと詳しくお教えしたいと思っております。遺跡や、痕跡を収集した痕跡類文書博物館にもご案内します。」
「わかりました。ご親切にどうもありがとうございます。」
「とんでもないことです。それでは失礼します。」
メリッサが部屋を出て、部屋がしんとした。
「取り敢えず、着替えましょうか。」
用意されていた着替えは、メリッサが来ていた制服めいた服よりもいくらかカジュアルな服だった。下着と思われる伸縮性がありぴったりとしたTシャツに、丈が膝上まであるドルマンスリーブの紺色のチュニック。下はやはりごくありふれたスラックスで色は白。素材は麻のような軽い素材で出来ている。箪笥にはそれらがサイズ別にセットになって仕舞われていた。二人に対して部屋の指定は無かったので、男女兼用なのだろう。二人が着替え終わって、五分ほど経つと、予告通りティーセットとお茶菓子が運ばれてきた。花の様な香りを放つ素晴らしい茶と、見慣れない焼き菓子の置かれたテーブルを挟んで、二人は向かい合って座った。それだけを切り取ってみれば、大変に優雅な様子に見えるだろう。
「変な服ですね。古代風というか・・・。」
「でも着替えたら、少し落ち着きました。それにこのお茶、紅茶か烏龍茶か(※)・・・香りが凄いです。相当高品質ですよ。」
「お茶だけではなく、全体的に上質ですね。」
しばらくの間、部屋の内装や家具の細工、窓から見える景色などについて二人は他愛もないことを話した。肝心なことに入る前に、休息を必要としていたのだった。
「やはり、世界を終わらせたくなくて、我々に何かさせたいのでしょうね。」
「きっとそうでしょう。この待遇も、まあご機嫌取り込みですね。この世界では、このレベルがスタンダードという可能性もなくはないですが、あのドームからくる途中、少しだけ見た街並みでは、こんな立派な建物は一般的では無さそうでした。何よりこんなお茶は易々と生産できるものではありません。」
「お茶、そんな気にいったんですね。しかし、どこまで本当か分かりませんが、我々が語るものとやらだとして、何が出来るのでしょうか・・・。」
「今のところ、恐らく3つ、私たちには彼らにない特徴があります。元の世界の知識と再生能力と、なんて言うのでしょうか、触れたもののことが分かる能力の3つです。」
「やはりあなたにも?あの刀、打刀ですか、握ったときに失われた再生者だけが持つ、遠く今は行くことのできない常世の国のものだと・・・。常世の国って日本のことでしょうか。」
「常世はあの世ですから、辞書的には日本は現世だと思います。そうでないと困りますし、再生者が常世の国から来たとは、刀から出た言葉は言いませんでしたよ。常世なんて元々、死なない限り行けない場所です。そうすると“今は”行くことができないという言い方が気になりますが・・・。」
「前は行くことができたということですか。すると彼女の言っていた、もう終わってしまった世界のことなのではないでしょうか。私はそもそも、こんな能力があること以上に、二人が同じことを刀から感じたことが気になります。」
「どういうことですか?」
「つまり、我々が感じたのは誰か第三者が考えた文章だということにはなりませんか?それも、同じ型の刀とはいえ、別の刀からです。」
「確かにそうですね。それに、触れたときに、何かを語る物とそうでないものがあります。あのドームから出た後に触れたものには何も感じなかった。」
「何か法則があるのでしょうか。ところで、彩夏さんの刀を触らせてもらえませんか?私の刀にも触れてみてください。何か違うことがわかるかも。」
互いの刀に触れてはみたものの、感じたことにやはり違いはなかった。違うどころか、刀は機械で作ったかのように全く同じ出来栄えだった。日本で作られた刀であれば、刀鍛冶が一本一本手作業で作る以上―しかも鍛造だ―そのようなことがあるはずもない。
夏生が館で手に入れた盗賊の短刀と生命瓶についても同じことで、彩夏は夏生と全く同じことを読み取った。二人は書き物机から万年筆とインク瓶、それに便箋を持ってきて、今まで触れて読み取ったことを書きだしてみた。
“打刀。失われた再生者だけが持つ刀。遠く今はもう行くことのできない常世の国で作られたもの。しかし最早、常世の国を知るものは絶えて久しい。”
“盗賊の短刀。後ろめたい盗賊は、あらゆる用をこのナイフで為す。哀れな犠牲者の血に染まっている。呪われ、正気を失った盗賊は、人であることはやめても、なお盗賊であることを辞めなかった。”
“生命瓶。生命の水を湛える瓶。広く戦士が持つもの。霧の力を探求したブローティガンによって発見された生命の水は、王都を覆わんとする霧を払う戦士達の力を霧に対抗できるものとしたが、皮肉にも霧なしに生成することはできない。”
“革の楯。硬い皮革で作られた円楯。縁と握りが金属で補強されている。金属製が普及している今の世にはあまり見られない。”
“革鎧。硬い皮革で作られた、軽量な鎧。古代には一般的だったが、今やこのようなものを身に纏うのは、蛮族かあるいは・・・。”
「革はゴミ・・・と。」
「千年しか歴史がないのに古代とはどういう意味でしょうか。蛮族って?」
「我々を襲ったやつらのことでしょうか。」
「この盗賊の短刀はどこで拾ったんですか?」
「庭で襲われて、屋敷に逃げ込んだんです。そしたら盗賊と鉢合わせになって・・・それで。」
「正気を失って人であることをやめる。これも良く分からないですね。」
「あの白い霧と関係があるのでしょうか。実はこの生命の水、飲んだんです。怪物に襲われて死ぬ前に、怪我をして。不思議なんですが、怪我をしても、健康な時と同じように動けるんです。ただ、自分が実在するという感覚が遠のくだけで・・・。上手く言えないんですが、このままだと消えてしまうって感じました。これを飲むとまた、実在を帯びてくるように感じるんです。」
「私は一撃で死んでしまいました。よく飲みましたね。。」
「何故でしょう、本能的に必要と感じたんです。」
「霧を払う戦士達というのは、再生者のことでしょうか。」
「再生者も含まれているとは思いますが、それだけではないと思います。実はこの瓶は、彼女と話した時にも言った騎士から渡されたものです。広く戦士が持つ、ともありますし。」
「整理すると、
・刀は常世の国(≠日本)で製造された。
・常世の国にはかつて行けた(?)が今はいけない。
・この世界の人は常世の国を知らない。
・常世の国=終わってしまった世界(?)
・北の王国の人は、再生者は東方の国から来ると考えている。
・あの北の王国は、私たちを襲った人たちに攻められていて、その侵攻は霧と関係している。
・夏生さんが会った騎士と再生者は、王都を彼らから守っている。
・ブローティガンなる人物は、王都を守るため戦士のために生命瓶を開発した。
・生命の水は霧から作られる。
といったところでしょうか。」
「“失われた”再生者、というところを見逃していましたね。」
「誰あるいは何処から失われたのでしょう。少なくともこの世界から失われたとは解釈できませんよね。」
「やはり、この世界だけではなく、終わってしまった世界での事柄についても述べられているのではないでしょうか。王都というのが北の王国の首都で、ブローティガンという人物がこの世界の人物なら、詳しい事情が聴けそうですね。」
彩夏と夏生に与えられた情報はあまりに不足していた。二人はバルコニーへ出た。今は何時なのだろうか。まだ日は高いようだ。青い空に雲はまばらだ。赤い屋根の街並み。河。涼しい風の音。樽をたくさん載せた小さな船が見える。ドーム以外に目立つ建物は、川を渡る橋と、尖塔くらいだ。下にブーゲンビリアのような花が咲いている。気持ちの良さそうな庭には誰もいない。
「平和ですね。」
「ええ。」
夏生は彩夏の、彩夏は夏生の横顔が美しいことに気付いた。
「手紙を、受け取ったんです。」再び部屋に入り、お茶のお代わりを淹れながら夏生は言った。
「手紙?」
「あの騎士が王都に届けるようにと。まだ中身は開いていませんが、届けるにも行き方が分かりませんね。」二人のカップにお茶を注いでから、夏生は席につき、彩夏がバルコニーから戻って着席するのを待って、手紙を開いた。二煎目にしてなお、えもいわれぬ芳香を放っていた。
“王都防衛司令部宛て
オースター卿の検問所は壊滅。白霧迫る。敵戦力は東方、旧アレン伯領より侵入。推定三万。オースター卿は全軍を持ってこれを迎撃するも失敗し、防衛隊は壊走。卿は討ち死にす。再生者は確認されず。
二等騎士 オスカー・V・アストラ”
「・・・日本語?まさか読めるとは。」
「自然に話していましたが、彼女も日本語でしたね。メリッサとかオスカー・V・アストラ?とか日本人とはおもえない。」
「何人とも言えないような顔だちでしたね、彼女。それにお湯を持ってきた彼も。」
「それに、この風景は絶対に日本ではないですよ。」
「一つ確かめる方法があります。一緒に来てください、トイレに行きましょう。」
「は?」
「いいから。」
贅沢な作りながら、3階の部屋に水回りの設備はなかった。揚水技術がないのだろうか。
二人は一階におり、たまたま廊下に居た役人―彼もまたメリッサ同様の制服を着ていた―に夏生は声を掛けた。
「Excuse me. Where is the bathroom?」
「はい。お風呂ならこの廊下を進んだ先、突き当りを右にお進み一番奥の部屋です。トイレでしたら、突き当りを左に、廊下左手にございます。」
「Obrigado.」
「どういたしまして。」
ふたりはトイレに入り、前時代的な水洗トイレを前に向かい合った。
「どういうことですか?」
「私が英語で彼に話しかけたのが分かりましたか?」
「ええ・・・でも何事もなかったかのように日本語で・・・。」
「ありがとうはポルトガル語で言ったのですが、やはり返答は日本語でした。」
「トリリンガルということ・・・ではないですよね?」
「この世界では、言語は自動的に日本語というか、聞き手あるいは読み手の第一言語に翻訳されるのではないでしょうか。Bathroomの場所を聞いたのは、トイレとお風呂、どちらにもとれるからと選んだのですが・・・彼らの母語にはbathroom同様にトイレとお風呂を兼ねる言葉があるのでしょうか。あるいは母語が英語か。少なくとも日本語ではないみたいです。日本語が母語で自動翻訳されるとしたら、トイレの場所は言わないでしょう。」
「もう別世界であることは認めざるを得ないと思いますか?」
「残念ながら。」
「水洗でしたね。」
「水洗でした。」
二人は階上に戻った。帰りにお茶のお代わりを、彩夏が中国語で頼んだがやはり通じた。片言であることにも疑問は持たれなかった。
「明日訊くことをまとめましょう。」
「訊くことが多すぎるような気もしますが・・・ブレインストーミング方式でやってみましょう。」
二人は便箋をちぎって、思いつく限りのことを書きだした。
必ず聞くこと
・世界地図が見たい
・北の王国について
・生命瓶について
・二人が戦った相手について
・この町、この国について
・終わってしまった世界の歴史
・霧について
・文化、タブーなど
・世界が創られるとは、具体的にどのような現象か
・創造主ではない神々について
・死んで復活する場所、復活までの時間に決まりはあるか
・ほかに話す者の再生者はいるか
・ほかの再生者はどこにいるか
・過去の再生者たちが語ったこと
・永遠に時が止まるとは?
ある程度手の内を明かすとして訊くこと(我々に何をさせようというのか、見極めて考える)
・この世界で話される言語について
・常世の国とは何処か。対となる現世はあるのか
・物が語ることについて
・ブローティガンという人物について
・そもそも人間か。生物学的特徴
・死体から出た青い光について
相手が自発的に語らなかった場合に聞くこと
・我々に何を求めているのか
・世界はいつ終わるのか。終わらせない方法はあるのか
・世界が終わって過去の再生者達はどうなったか
・我々は帰ることができるのか
「多すぎますか?」
「今日の様子だと、数日はゆっくりさせてもらえるのではないでしょうか。一日で全部聞く必要もないと思います。」
「落ち着いているんですね。」
「夏生さんこそ。きっとお茶が良いのでしょう。」
※烏龍茶(青茶、半発酵茶)と紅茶(全発酵茶)の違いは発酵度合いによる。烏龍茶にも発酵度の低く緑茶に近い物から、発酵度の高い紅茶に近いものもある。彩夏はそのことを言っている。