世界の終わり~残された手記~
何のために書かれたのか、手記を見つけた。最初の数ページ以外は読むことができない。以下はその手記。
それは研究室の机の上に置かれていた。一角獣の頭骨はほのかに暖かく、柔らかに光っていた。あの日の研究室に入るまでの記憶はなく、その一角獣が何という動物で、何のためにその頭骨が置かれていたのかは分からないが、私は吸い寄せられるようにそれに触れ、そして気を失った。
気が付くと私はどこかを歩いて白い霧を抜け、月夜にどこかの屋敷の庭に入ったところだった。庭は荒れ果て、庭のために植えられた園芸植物の中で残っているのは、何本かの樹木だけで、庭を彩るべき鮮やかな花はなく、生い茂る雑草が申し訳程度に小さな花を咲かせていた。草は腰の高さにまで茂っている。
霧から出たとき、なぜか私は革の鎧を着て、刀と盾を持っていた。しばらく何だか頭がぼんやりとして突っ立っていたが、だんだんと目が覚めてきて、思考がはっきりしてきた。後ろを振り返ると、霧は消えて、庭の入り口を閉ざす門がそこにあった。
再び向き直ると、遠くに二人分の人影が見えた。その後ろに石造りのアーチが見える。庭の出口だろうか。こちらを向いてはいるが、動く様子はない。
私は自分が武器を持っている理由も考えずに、彼らのほうへ近づいて行った。近づくと彼らもまた鎧兜に槍を持った兵士であることに気付いた。1分ほどかかって、ようやく表情が窺えるほどの距離に近づいたとき、首だけ動かして私の動きを追っていた彼らが同時に、手にした槍を構えて、こちらを挟み込むように、じりじりと動き始めた。
徐々に距離が詰まってきて、彼らの表情が明らかに正気でないことに気付いてから、やっとまずいことになったと気付いた。挟まれないように距離を開けようと、やや左斜め後ろに引くと、自分から見て正面と右奥に敵の二人がいる形になった。そして、正面の兵士が槍で突きかかってきた。同時に奥にいた兵士が、私の右側方に走りこんでくる。咄嗟に突き出した革の盾に槍が突き刺さり、わずかに突き抜けた穂先が、私の腕を傷つけた。右手の刀で振り払おうとするが届かない。右からも回り込んできた敵の槍が飛んできて、脇腹に刺さった。激痛が走った。しかし、全く不思議なことにまだ動ける。刺されてもまだなお動けるということが、私が超人的な力の持ち主であると自分自身を錯覚させ、勇気を与えた。今度こそ脇腹に刺さっていた槍を払いのけると、正面の相手に踏み込んで切りかかった。相手の体からは血が噴き出しふらついているが、まだ斃れてはいない。返す刀でもう一撃すると、相手の手から槍が転がり落ち、仰向けに倒れた。やったと思ったところで、再び激痛が私を襲った。背後から槍で突かれたのだ。
しかしやはり、私はまだ動くことができた。振り返って、もう一度襲い掛かってくる穂先を盾で受け流し、右足を踏み込むと同時に、腰に溜めた右手の刀を突き出す。刀は相手に突き刺さった。素早く抜いて、敵がよろめくうちに、今度は両手で袈裟斬りにする。この時の私の動きは、まるで普段の―運動不足の学生の―私の動きではなく、まるで生粋の武者のようだった。
兵士は倒れ、倒れたからだから光の粒のようなものがふわりと浮き上がり、一息置いた後、私の胸に勢いよく流れ込んできた。
私は戦闘の興奮から、しばらく身動きが出来ずにいた。私の興奮する心とは裏腹に、庭には静かな風が吹いて草が鳴るばかりで、それ以外のことは何も起こらなかった。月が死体と私を静かに照らした。
次第に恐ろしいことをしたという思いが浮き上がってきたが、立ち止まっているわけにはいかないのだ、兎に角先に進もうと自らを鼓舞し、今や物言わぬ死体となった二人が守っていた石造りのアーチを抜けて先へ進んだ。
抜けた先は広場になっていて、半ばまで進むと、背後から草を踏みしめながら足早に誰かが近づいてくる音が聞こえた。振り向くと先ほどの兵士と同じ格好をした兵士が何人もこちらに向かってくるのが見えた。一人は弓を構えている。二人と戦ったアーチの手前にはいなかったはずだ。とすると広場の中で草むらに隠れていたのだろうか?一体いつから・・・?
私は走った。広場の中央には噴水があり、その向こうに出口が見える。矢が飛んできたが幸い当たらず、敵に追い付かれる前に広場を出ることができた。広場の先へ抜けると屋敷の脇へ出た。どうも裏庭にいたらしい。井戸があり、使用人の通用口らしい扉が開いていた。慌てて中に駆け込むと、最悪なことにナイフを持った男と鉢合わせになった。この男もやはり正気とは思えない顔をしている。
私も相手も互いに躊躇わず、ほとんど同時に斬りかかった。ナイフと刀が重なり合い、刃と刃が火花を散らす。私の刀は相手のナイフより重く、相手のナイフは押し返された。私は刀を腰に溜め、体重を乗せて突進し、姿勢を崩していた相手を突き殺した。最初の二人を倒した後ほどの動揺はなく、すぐに私は背後の扉を閉めて閂を掛けた。
また私の体に死体から光が流れ込む。流れ込む感覚は何もないが、死体から飛来したものというのは何だか気持ち悪い。しばらく扉に耳を押し当てて、外の様子を窺っていたが、どうやら追手は通り過ぎたらしい。
部屋を見渡すと、私と死んだ男が戦っていたのは狭い使用人の物置だった。死んだ彼の傍らに、彼のナイフが落ちていた。拾い上げるとそれは、
“盗賊の短刀。後ろめたい盗賊は、あらゆる用をこのナイフで為す。哀れな犠牲者の血に染まっている。呪われ、正気を失った盗賊は、人であることはやめても、なお盗賊であることを辞めなかった。”
だった。そして私が持っているのは
“打刀。失われた再生者だけが持つ刀。遠く今はもう行くことのできない常世の国で作られたもの。しかし最早、常世の国を知るものは絶えて久しい。”
だ。そうかこれは日本刀かと私は気づいた。だが、私の着ている鎧はとても日本のものには見えない。大体、常世の国とは何だろうか。もう行くことができないとは・・・。
次の部屋もまた狭く、そこは無人で、さらにその先は廊下になっていた。物音はせず、私が扉を開ける音だけが響き、誰かに聞きつけられはしないかと、私の神経をすり減らせる。廊下には緋色の絨毯が敷かれ、豪奢な作りが所有者の地位を想像させた。かつては華やかな生活が営まれたのだろうが、その荒れ果てた様子が、捨てられて長い時が経っていることを示している。
何一つ音がせず、極力出さないように歩いてはいても、私の足音は否が応にも目立ち、扉の空いた、暗く中の見えない部屋の前を通過するときは、星明りでさえ明るすぎるように感じた。やっと着いた廊下の先は左に折れていた。緊張が頂点に達した私は、震える手で刀を握りしめて、顔だけを出して、恐る恐る廊下の先を覗き込んだ。
誰かいるのが見え、すぐに首をひっこめた。何者かが壁に寄りかかるようにして座り込んでいる。死んでいるのか、生きているのか。また、正気を失った者なのだろうか。こちらに気付いた様子はなかった。避けては通れないだろうが、引き返しても、あの勝手口以外の手口があるとも思えない。あるいは窓から出るか。出たところで、生垣と塀で囲まれた屋敷の敷地から出るには、兵士達のいる建物の周囲を回らなければならない。どうやら前に進むしかないようだった。意を決して、もう一度座り込んでいる奴の様子を窺うと、どうも先ほどの兵士や盗賊とは装備が違うし、剣は床に放り出され、すぐ手に届きそうにはない。
私は抜き足差し足、なるべく相手に気付かれないうちに距離を詰めていった。動き出せば、相手が剣を取る前に一気に切り掛かるつもりだった。半分はここは夢の中ではないかという思っていたことも、私を強気にした。
結局のところ切り掛かる必要はなく、近づいてみると彼は傷を負い、息も絶え絶えの状態だった。彼の前に立って、私は刀を突き付けた。
「待ってくれ・・・。僕は奴らの仲間じゃない。」
私は無言のまま、刀は下さず次の言葉を待った。
「珍しい刀だな。もしかして再生者なのか・・・?まあ、いい。この屋敷が検問の出口だ。ここを抜ければ王都に入れる。しかし、ここもやられているなんてな。」
「ここはどこだ?」
「知らないのか?オースター卿の検問所だったところさ。」
そこまで言うと彼は咳き込んだ。彼の言うことが全く分からない。
「再生者とは何だ?」
「あんた、再生者じゃないのか?詳しいことは知らないが、遠く東方の国からちょうど君が持っているような変わった刀を携えて王都にやってくる戦士だ。その東方の国っていうのが、いったいどこ何だか分からんが。」
彼はまた咳き込んだ。どうも先は長くなさそうだ。よく見れば出血している。
「もう時間切れみたいだ。この生命の水を持って行ってくれ。・・・そしてこの手紙を、王都に届けてほしい。最期に助言をしておくと、いかれた検問官がこの先にいる。強いぞ。」
「・・・さあ、行ってくれ。」
私は青白く光る液体の入った不思議な瓶と手紙を受け取った。
彼を置いて、いくらか進むとガシャリと、飾ってあった鎧が崩れ落ちるような音がした。振り返ると、彼はこと切れて、横倒しになっていた。
“生命瓶。生命の水を湛える瓶。広く戦士が持つもの。霧の力を探求したブローティガンによって発見された生命の水は、王都を覆わんとする霧を払う戦士達の力を霧に対抗できるものとしたが、皮肉にも霧なしに生成することはできない。”
手に瓶を持つと、ふつふつ言葉が湧いてきて、それが何であるかを教えてくれる。あまりに自然に湧き上がってきたのと、興奮していたのとで刀のときは気付かなかったが、頭に浮かんだフレーズは私の考えたものではない。私が知るはずもないことだ。これが夢なら私の記憶から作られるはずだが・・・。
手紙は暗くて読むことが出来ず、フレーズも湧いてこなかった。そして私は彼の言った検問官のところへ向かう。
廊下を更に進むと玄関ホールに出た。洋館特有の観音開きの大扉の正面に二階へ続く大階段がある。私はその階段の脇に出たのだった。大扉は開け放たれ、外に広い前庭が見える。人の姿はない。検問官とは何者なのか、この“検問”の荒れ様は此処が捨てられて何年も経っているとしか思えないが、彼はそれを知らなったようだった。白い霧とこの荒廃ぶりには何か関係があるのだろうか。
奇妙なことは幾らでもあった。だいたい二度も刺されてなぜ生きている。痛みもないし、出血もない。ただ何となく消耗しているという感覚はある。それは疲れでもない。体が薄く透明になっていくような奇妙な感覚だ。そしてそれは私から生命の水が漏れだしたからだろうというのが、なぜか私には分かった。
生命瓶の中身を飲むと、私の体が実在を取り戻していくように感じる。私は瓶を腰のベルトにいくつもついたポケットにしまい、大階段の上を警戒しながら、開け放たれた大扉から前庭に滑り出た。大階段に肖像画が飾られているのがちらりと見えたが、あれが検問官のオースター卿だろうか。
外に出ると、ここが丘の上で、遠くに見える街から伸びてくる道を塞ぐように館が建っているということがわかった。前庭は広く、大型バスが何台も停められそうだったが、石畳の目地からは長い草が伸び、長いこと使われていないのは明らかだった。
早く屋敷を出たくて、前庭を駆けて半ばまで進むと、背後に何かが落ちた音がした。振り向くとそこに、錫杖を持った怪物、あるいは怪人が立っていた。3m以上はあろうかという身の丈。目は星明りを受けて爛々と輝いている。異形の体は樽のようにずんぐりとしていて、太ったイグアナのようでもあるが、人のように直立し、他に何も身に着けていないのに不釣り合いな貴族の様な帽子を頭に載せて、彫金の施された錫杖を持っている。帽子は人のものだが、錫杖は4mはあろうかという大きさだ。
私は走って逃げた。しかし背後にはどんどん気配が近づいてきた。出口に着く前に、追いつかれてしまい、盾をかざしながら振り返ったのは、頭上に錫杖が振り下ろされるのと同時だった。楯は砕け、ついでに左腕の骨も砕けたようだった。激痛と共に私は右肩から地面に叩きつけられた。生命の水が失われたのを感じる。それでも私は立ち上がって、やけくそ気味に刀を突きだして突進した。丁度検問官は私を吹き飛ばそうと、大きく振りかぶったところで、奇跡的に脇腹に刃は突き刺さったが、大した手ごたえもなく、錫杖はそのまま振り抜かれ私を打った。
手記はここで終わっている。