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【出港】とんでもない下僕

【出港】とんでもない下僕



 もうひと悶着あった末、結局、眼鏡の女教師の旅立ちが決まってしまった。


 サラとバーリー夫妻だけが港まで見送ってくれる。できることなら生徒ひとりひとりに説明したかったけれど、出港の時間が迫っていた。せめて全員に手紙を、と頼んだけれど、その時間すらない。


 場所はすでにウィング港、船上にのぼるタラップの前で抗議の声を上げる人がいる。


「信じられません! だいたいですな、わしがいないで、いったい誰が一行の規律を守ると言うのですか。殿下、お願いですから考え直して下さい。せめて島に残れという命令だけでも撤回を」

「しかしだな。私はもともと博士の同行を頼んだ覚えはないぞ。今さら何か教わる必要があるのか?」

「お母上から頼まれたのです! ああ、これを知ったら本国の王妃様がどう思うか。なんでこんなことに」


 とうとう顔が土気色になってしまったケンドール博士からにらまれるのは、「こんなこと」の元凶だと思われているわたしだった。

 こっちだって不本意だというのに、理不尽だ。しかし博士のほうでも、本当に体調が悪いようにも見える。旅に出るより、医者にかかったほうがいいんじゃないかなあとわたしはぼんやり思ったりした。


 ささやかな荷物を詰めた旅行鞄ひとつを手に、ぽつんと立つわたし。どうしてこんなことになったのだろうと眩暈(めまい)がする。呆然としたその視線を、サラがとらえた。


「気をつけてね、ジゼル。東大陸まで何日も乗るんでしょう、船酔いとか大丈夫?」

「リントン先生がしっかりしたお嬢さんなのはわかっているけれど……一人で行かせるのはねえ。心配だわ。外国では知らない人について行ったりしないで下さいね? お水にも気をつけて」


 サラとその母が半分はしゃぎながら口々にそう語るのを、ぼんやり聞いていた。するとそこへ、問題の“彼”がやってくる。博士の説教などまるで効いていない。


「船が出る。行こうか」


 これほど喜びのこもった笑顔はない、としか言いようのない王太子が手を差し伸べる。その光景はほとんどおとぎ話のようで、若い娘なら誰でも夢心地だったろう。


 でも――わたしは暗い気持ちでそれを見ていた。こんなのは悪夢でしかない。

 王太子のエスコートで船のタラップをのぼるという、豪華かつ非日常な体験は。


「そうだ、ご主人様。あなたの荷物は私が持とう、貸してくれ」

「……」

「ご主人様?」


 ついにぶっ切れた。優しい気遣いには変わりないんだけど、もう耐えられない。王太子に荷物持ちさせるとか、いったいどこの何様なら許されるんですかね!?


 幅の狭いタラップを他にのぼる人がいないことを確かめて、はっきり言った。


「殿下。同行させていただくには条件があります」

「条件?」

ご主人様(ミストレス)とお呼びになるのはやめて下さい。だいたいなんなんですかっ、ご主人様って。いったいいつ、わたしがあなたの主人になったんです? おかしいでしょうが!」

「それは……」


 いきなり逆上され、王子様もさすがにたじろぐ。

 しばらく考えるそぶりを見せたあと、神妙に語った。


「私にも理由はわからない。しかし私はあなたの下僕なんだ、そう強く感じる」

「げ、下僕?」

「『この人に従わなければいけない』と本能が命じている」


 と、ここまでの語りにも完全にお手上げだけど、相手はさらにわたしの度肝を抜く所存だった。

 きょとんとする王太子。首をかしげ、心底不思議そうに言う。


「もしかして、あなたは嫌なのか?」


 もはや鈍感とか、そんなレベルじゃないと思った。どこからどう指摘していいかわからず、わたしが言えたのはやっとこれだけ。


「……わたくしのことは、どうぞミス・リントンとお呼び下さい」

「うん。従おう、それが命令なら」


 奇妙なまでに得意げだ。我が意を得たとばかりに満足そうにうなずく。


「ではミス・リントン。さあ、何でも言いつけてくれ」


 ……うん? 少しは改善した、よね?



 客船が出港する。

 王太子一行の監督役であるケンドール博士を島に残し、代わりに島の田舎教師をひとり乗せて。


 何代か前の女王の名を冠したという旅客船。四つの煙突を備えた大きな汽船だ。船というより巨大な一個の建造物で、バーリー家のある集落ぐらいなら、住人全員が乗り込んでもまだまだ余裕がありそう。

 なんでもこのアストレア国で最も大きく、かつ、最新の設備をそなえた豪華客船らしい。乗客も多いが乗組員も多く、船自体が町を形成していると言ってもいいと。


 ではその町の町長、つまり船長はというと。


「おかえりなさいませ、王太子殿下」

「マカリスター船長。待たせたか?」

「とんでもない。殿下のご要望でしたら、もう何日でもお待ちしますよ」


 ものすごいお追従だった。

 タラップをのぼって甲板につくと、白い顎髭の立派なマカリスター船長に出迎えられた。船長とレオポルド王太子が何か話し合い、そして振り返る。


「ではミス・リントン。あなたの部屋はこちらだ」

「殿下、そのお荷物はお連れの方の物ですかな? 誰かに持たせましょう、どうぞ」

 

 と、差し出された船長の手を、当のレオポルド殿下はどうしたか。


「無用だ。船長、今後、彼女の用は私が務める」

「は?」

「まあ! なんてお優しいのでしょう、王太子殿下。わたくしのような者までこんなに丁寧に扱って下さる男性は初めてだわ。殿下ほどの完璧な紳士は、他にいませんわね」


 冷たく拒絶した王太子に、面食らった船長。その間に入ってごまかすわたし。乗船して一分でこれである。先が思いやられる。


 先行きに限りない不安を抱くわたしが案内されたのは、一等客室の中でも最も格式高い極上の部屋。最上等客室だ。

 白いふかふかの絨毯が敷かれた床に、鏡板張りの壁は落ち着いたダークブラウン。どこのお屋敷だろうと思うような、それは立派な内装の部屋だった。そこかしこに高価な温室育ちの花が飾られた花瓶があり、家具調度も豪華。しかも寝室だけじゃなく、ダイニングルームにリビングと、何部屋もあるようだ。


 どこからどう見ても、ここはただの教師が使う部屋じゃない。背中を汗が伝う。


「あのう。立派すぎます、もしやここは殿下の」

「まさか! 違いますよ、ミス・リントン」


 船長が笑って否定してくれたのでほっとした、のはつかの間のこと。


「我らが“船の女王”は、最上等の部屋を二つ備えていましてね」

「二つ?」

「はい。王太子殿下のお部屋は、ここと対になった隣の最上等客室です」


 その言葉に目を丸くしていたら、


「何か会合でもする時に使えるかと、供の者が予備に両方を取っておいてくれたんだ。あなたに窮屈な思いをさせずに済んでよかった」


 と、無邪気に微笑む王子様がいました。案内してもらうだけでもおそれ多いというのに。それにしても、


(窮屈って?)


 どっちの意味なのだろう。わたしを下の等級の部屋に押し込めずに済んだことを喜んでいるのか、はたまた。


(……違う! そういう意味じゃない、冷静に冷静に)


 変な想像してあたふたしているうちに、荷物が部屋に運び込まれてしまう。ん?


「ま、待って下さい。ここからは自分でできますので」

「そうか? だったら私は何をすればいい」

「何をって……そんなこと訊かれましても」


 鞄を持って寝室に入ろうとする王太子を止めたのはいいけれど、訊かれてもわたしにはわからない。見上げて途方に暮れる。下僕と言われても、この人に何をしてもらえばいいというんだろう。どちらかというと何もしてほしくないのに。


「――殿下! こちらにいらっしゃったんですか」


 すると、ちょうどよく呼んでくれる人がいた。わたしにも聞き覚えのあるこの声、ランサム中尉だ。大柄な武官に呼ばれた王太子は、そっちを見た。


「なんだ?」

「リップの姿がありません。相談しようと思ったんですが……その、色々と」

「リップが?」


 ランサム中尉は何やら困惑しているようだ。言動のおかしい中尉の主人以外にも何かあるのか。苦労の多い人なんだ、わたしよりはましだろうけど。


「しかし、リップの居場所など私は知らないぞ。船のどこかにはいるはずだ、そのうち戻るだろうから放っておけ」

「でも」


 リップとはいったい誰のことだろうと思っていたら、中尉の返事に驚いた。


「いちおう殿下の従者なんですよ? いいんですか、用も務めずにふらふらさせておいて」


 従者(バレット)のことだったのか。それは確かに、王太子のそばを離れてふらふらさせていてはいけないような。


「いいかどうか訊かれても。捜せと言うのか、私に」

「え、あ、いえ。違います。わかりました、俺が捜してきます」

「そうしてくれ。私は忙しい」


 王太子殿下がいったい何に忙しいのか、というわたしの疑問はすぐに晴れた。


「ではミス・リントン。部屋の中を案内しよう、作りは私の部屋と同じだから」


 と、先に立って、結局入って行ってしまった。しかもバスルームに入ってその使い方を説明してくれようとするので、わたしは大いに焦る。


「バスルームの使い方ぐらいわかります、大丈夫です。殿下はどうぞ、お楽に」

「何かしたいんだ。――船長があなたにと、果物を用意したみたいだな。よし、何かむこう。何がいい」


 ダイニングルームに置かれたテーブルで果物が山盛りされた籠を見つけ、嬉々としてそんなことを言い出す。この美しい青年が林檎の皮を華麗にむく様子を想像したわたしは、一瞬、何かに血迷ったようだ。頭を振って想像も振り払う。


「す、座っていて下さい。そこのソファにでも」

「ソファで何をすればいい」

「……とにかく座って下さい」


 二回言って、ようやく聞き入れてくれた。やれやれ、学校のやんちゃな子どもたちよりはまし、くらいのものだ。


 王太子がやっとリビングのソファに大人しく納まったので、鞄を手にしたわたしは寝室へ通じるらしい扉を開けた。ささやかな量とはいえ、自分の荷物を仕舞っておかないと。

 

 扉を開けた先の部屋もまた、田舎教師には目もくらむような豪勢さだ。

 

 他に何部屋もあるというのに無駄に広い。三台の小テーブルからなる化粧台は猫足で、鏡の前には金の蓋つきガラス壜がいくつも並んでいた。部屋の角にある小さな暖炉の上には絵画まで飾られていて、天井が低くなければ、ここが船だということを忘れただろう。


 寝室なので部屋の片側にはベッドが鎮座する。ベッドの天蓋はマホガニー製の支柱がささえていて、白いカーテンが下がっていた。大きい。セントジョセフ島のバーリー家で使っていたベッドより。


(船の上じゃないわね、ここは)


 呆れながらベッド足下の台に鞄をのせた。質素な革装の鞄を置くにはもったいないような、ゴブラン織りの台に。

 そして何気なく開けた。ベッドのカーテンを。


「っ、だれ!?」

「……ご主人様!?」


 開けてびっくり、わたしは思わず悲鳴を上げて後ずさりする。『ご主人様』の悲鳴を聞きつけて駆けこんできた王子様の胸に飛び込み……はしなかったけれど、その背後には逃げ込んだ。


「だ、誰かいます! あの、えっと? あ、ごめんなさい?」


 少々混乱した。やっぱりこんな豪華な部屋がわたしの物のはずがない、間違えて別の人の部屋に入っちゃったのかと思った。


「なんだと? 何者だ、出て来い」


 わたしが開けかけていたカーテンを、王太子がさっと開く。あ、と思った。ご主人様なんて呼ばれるから忘れていたけれど、この人は王子様じゃないか。ベッドの中にいる者が誰かわからないのに、近づけたらだめだ。危険人物だったらどうする!


 だけど。


「リップじゃないか! こんなところにいたのか」

「へ?」


 慌てて引き止める前に、王太子が驚きの声を上げた。ベッドで寝そべる人物を見て。わたしも覗き込んだ。


 そこにいたのは、思っていたより小柄な人だった。


「んあ? ああ……」

「起きろ、リップ! お前がなぜご主、いやミス・リントンのベッドで寝ているんだ」

「ああん? ……ああ、殿下じゃないですか」


 呼びかけられて目を覚まし、起き上がったのは十代の少年……いや。


(ん? 女の子? どっちなのかしら、本気でわからないわ)


 細い体に着ているのはたしかに男物のジャケットとズボンなのだけれど、まだ眠たそうな表情のその顔は、非常に可愛らしいものだった。大きな緑色の目に黒い髪。何故だか猫を連想させる、少女のような人物だった。


 しかし、起きてからのリップの行動は迅速だった。少女のごとき容姿の従者は主人の顔を認めると素早くベッドから降り、乱れた髪をかき上げながら爽やかに笑う。片手を胸に当て、丁寧に一礼した。何事もなかったかのように。


「おはようございます殿下。では今日のご予定の確認でも、さらっとこなしときますか」

「もう昼だぞ」

「おや。では昼食のメニューでも決めましょう! 何にします?」


 そんなやりとりが繰り広げられる。リップもリップだが、そのとんでもない態度を、王太子もまた平然と受け入れている。おまけに気のせいかもしれないが、リップ、酒臭い。どう見てもサボって昼寝を決め込んでいた道楽者だ。


 なんというか。


(従者、なのよね?)


 とんでもない下僕だ。その主人と同じように。




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