表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/24

【周到】朝の訪問者

【周到】朝の訪問者



 のどかな島のダンスパーティーにセンセーションを巻き起こした王太子のご来訪。そのあとの驚くべきなりゆき。

 王子様がその連れと共に船に戻った後も、パーティーは夜更けまで続く。そしてそのなりゆきの、いわば準主役とも言える者のところには、人が殺到した。


 最も興奮の度合いが強いのは、その準主役の連れの少女だった。


「ジゼル! ねえ、どういうことなの!? どうしてあなたがダンスに誘われるの?」


 誘ったのはこっちなんだけど、サラはよく聞いていなかったらしい。それはそれでよかった。


「すごいわジゼル! わたし、さっきからドキドキしちゃって止まらないの! だってね、殿下が島の娘と踊ったりするわけないと思ってたんだもの。それなのに、まさかジゼルが選ばれるなんて。信じられないわ」


 サラの無邪気な疑問は、他の人々にも共通するものだった。いや。


(わー、ニラまれてるニラまれてる)


 もっと辛辣な視線が他の若い女の子たちから向けられているような。容姿に自信をもっていそうな、綺麗な子ほど特に。さっきまで壁の花をしていたような眼鏡の地味な教師だ。なんでまたこんな女が選ばれたのかと、大いに不満そうな様子。気持ちはわかるのでなんとも言いづらい。


 わたしはそもそもよそ者だ。島の住民からすれば、どこの馬の骨ともわからない人間。だから、名前は誰とかどこから来たのとか、親は何者なのかとか、根掘り葉掘り質問が繰り返される。執拗に。島に来てから今まで、こんなに注目されたこと、ないなあ。


「――そろそろおいとまする時間ですので」


 くたくたになった頃、そう言ってやっと抜け出せた。


 ダンスパーティーに来たのにひとりとしか踊れなかった今夜。センセーションを起こすだけ起こして去った王太子がいなくなった後も、話しかけられるのに忙しく、やっぱりわたしの未来の旦那様、素敵な農場主とは出会えていない。というよりもうそれどころじゃない。


 わたしが人に囲まれている間に、サラの姿がまた消えている。捜すと、舞踏室の外の廊下、ベンチでロジャーと並んで座っていた。


(まあ、ロジャーったら。油断も隙のない)


 暗がりに二人きりだ。何やら割って入れない空気。でもってロジャー、何気にサラの肩に腕を回している。さっきまで目も合わせられなかったぐらいなのに、進展が早い。

 若いなあ。邪魔したらちょっと可哀そうか。でも、お目付役の役割も忘れてはいない。


「サラ、そろそろ帰りましょう」

「え? ジゼル! ど、どうしたの」

「時間だわ。――ロジャー、送ってもらえるわね?」


 有無を言わさぬ調子で言い、にっこり笑いかけた。


 釘を刺されたロジャーは非常に無念そうだ。やれやれ、馬に蹴られても文句は言えないでしょうね。でも、恨むならわたしを任命したバーリー夫妻にしてほしい。



 バーリー家に到着したのは真夜中すぎだった。口ではまだ大丈夫そうなことを言っていたサラも、初めてのダンスパーティーに緊張して疲れたのか、寝室に入る頃にはもうふらふら。そんな彼女をベッドに入れ、脱いだドレスをクローゼットに吊るしておいてあげて、やっと自分の部屋に入る。


「さて。すぐにでもとりかからないと」


 自分もドレスを脱ぎ、髪をほどいてゆるく編む。寝間着に着替えて机に向かった。ランプに油を足しておこう、まだまだ寝ていられないのだから。引き出しから取り出したのはレターセット。できれば明日の朝一番に、郵便局へ出しに行きたい。

 

 宛先は南セントジョセフ島の教育委員会だ。内容は――。


「理由はなんて書こう。一身上の都合?」


 もうすぐ一年経つ。この村の小学校の、たったひとりの教師になってから。雇用の契約期間は一年で、次の契約をしてもらえるかどうか、まだ決まっていなかった。


 そしてこれから、その更新を断るための手紙を書こうとしている。さらに、できればすぐに代わりの先生を見つけてくれるように頼むつもりだ。


「なんて残念。せっかく慣れてきた仕事なのに」


 生徒たちの顔が頭に浮かぶと、溜息しか出て来ない。でも、後任の教師が決まったら、すぐにでも島を離れる。それしかない。


「……王子様との約束を破ったらどうなるのかしら」


 約束を破って申し訳ないと、思わないわけじゃない。明日、船に乗ってここを去るレオポルド王太子様。彼が旅の帰りにここへ寄る時、また会いに行くと約束した。だけど、その通りに王太子が来た時、わたしはいないだろう。


 肩をすくめる。


「いい時代になったわよね。昔と違って、逆らったからって幽閉されたりしないもの」


 思い通りになると思ったら大違いだ。わたしは島を出る。そして今度は、あの人が決して足を踏み入れないような場所へ行こう。もっと田舎、もっと辺境へ。なんだったら外国でも構わない。消えてしまおう。


 離れることを心から残念に思いながら、部屋の中を見回した。


 白い木枠のベッドは年代物で、今までバーリー家に生まれた何人もの少女たちが使ってきた。ベッドカバーはダイヤ模様のパッチワークキルトで、その少女のうちの誰かの手作り。

 壁に貼られた黄水仙の絵は、先月、わたしの生徒のエミリーが描いた物。その横のカレンダーはかなり前の日付だけど、高名な画家が島の林檎並木を写し取った絵が印刷されているので、気に入ってそのまま使っている。


 机に目を向けると、細い緑色のガラス壜に麒麟草が一輪。この前行った遠足で拾った赤いもみじの葉は、しおり代わりに本に挟んである。編みかけの濃い緑の毛糸の手袋は冬までに仕上げて、サラへプレゼントする予定だ。


 どうしてこんなことになったのだろうと、一瞬、途方に暮れる。ペンが進まない。


 せっかく慣れてきた教師生活に、教えている生徒たち。バーリーの一家との生活。自然ゆたかな島の環境。まだ会えていない未来の旦那様……はもういいとして、まだまだ未練がある。いい土地だった。


 進まないペンを置き、机に頬杖つく。そして左手を眼前にかかげた。その薬指にある指輪。

 忘れたわけじゃないけれど、これについて考える暇がなかった。


「……“わたし”の指輪だわ」

 

 わたしのものだ。いつ、どこで、などはまだ思い出せない。でもきっと、何度目かの王妃人生で持っていたはず。


 黒い石の嵌った指輪。ランプの灯りの下で見ても、何の石なのかわからない。その漆黒は吸い込まれるように深く暗かった。何もかも捕えて逃さない、深い穴のような黒。絶望の色かもしれない。


 そしてわたしの意識はいつの間にか、その色に吸い込まれるようにして、眠りへと落ちた。



 わたしの部屋はバーリー家の二階で、玄関からは最も遠い位置にある。だからしばらく気がつかなかったし、目も覚まさなかった。騒ぎが起きていることを知らなかった。


 机に伏して、何も知らずに眠っていた。


『――なんですって!?』

『いやそんな、ええ、もちろんいますけれど』

『お待ち下さい! サラ、お前が呼んでくるんだ、今すぐ』


「……ん?」


 階下で何やら騒がしくしているので、わたしはようやく目を覚ました。カーテンを閉めたままだったので部屋は薄暗いが、とっくに朝になっている。


「……寝過ごしたわ」


 うーん、と体を伸ばす。昨夜は椅子に座ったまま寝てしまったらしい。今日は学校が休みとはいえ、褒められたことじゃない。体が変な風に固まって痛い。ほぐそうと、うーんと両腕を伸ばした時だった。


「ジゼル、大変!」

「は、はい!?」


 サラがわたしの部屋の扉を勢いよく開ける。自分でもまだ状況が飲み込めていない様子のサラは、慌てながらこう言った。


「お、王太子殿下よ! 迎えに来たんですって、あ、あなたを!」


 待って。朝からそんなハイテンションな冗談飛ばされても、わたしついて行けない。




 医師であるバーリー氏の自宅は、島の中でも比較的立派な部類に入る。そしてその応接間はというと、高価で珍しいが、少々古ぼけた家具で埋め尽くされている。


 幾何学模様の絨毯は、バーリー氏の母親が嫁いできた時に持って来た高級品だ。寄せ木細工の小テーブルは東洋からの舶来物で、先祖の誰かが恋人から贈られたという言い伝え付き。暖炉の上に置かれた大きな巻貝は、船員をしていたサラのひいおじいさんのお土産。その横の金の優勝カップは、サラの叔父が若い頃、豚運び競争で獲得した物だそう。


 それら、田舎の一家のほのぼのとした歴史を物語る家具の中。違和感しかない人が立って、部屋の様子を眺めていた。もう出港したはずだと思いたいけれど、幻でも目の錯覚でもないようだ。


 男性は黒い服が第一礼装とされている。だからかどうかわからないけれど、今朝も彼は黒一色だった。黒い上着に黒いズボン、昨夜との違いは、イヴニングコートがモーニングコートに変わったくらい。


 都会の一流店の仕立てだろう、綺麗に形の整ったトップハット。ステッキとそれを手にしたレオポルド王太子様が優雅に振り返った。輝くように美しい笑顔は、一日経っても飽きないし慣れなかった。


「おはようございます、ごしゅじ――」

「おはようございます! 朝一番にお目にかかれて光栄ですわ、王太子殿下!」


 その言葉、言わせてたまるか。部屋に入ったわたしの後ろには、バーリー夫妻もいるっていうのに。


 そして気がついた。王太子はひとりで来たのではなく、同行者がいる。昨日のランサム中尉ではない。


「コホン。殿下、そちらが例の婦人でいらっしゃる?」

「そうだ。私の最も大切な人(ディアレスト)だ」


 参った。今日も朝から手加減なしか。

 王太子殿下の言動に胡乱な顔したのはわたしだけではなく、彼の同行者もそうだった。


 白髪まじりの灰色の髪はもじゃもじゃと見苦しく、分厚い眼鏡は油で曇っている。中肉中背、猫背で姿勢が悪い。着古したツイードのスーツを着た、五十前後の男性だ。尋ねるとやっぱり王太子の随従その二で、ケンドール博士だそう。いかにも厳しそうに眉をひそめ、監督役という雰囲気。


 そして現在も、見るからに機嫌の悪そうな博士が言う。


「大変でしたよ、昨夜」

「はい?」

「ミス・リントンとおっしゃいましたな? あなたを捜しだして家を突きとめろと、それはもう激しくおっしゃって」

「……」


 納得してくれたんじゃなかったのだろうか。

 そう思って王太子に目を向けると、恥ずかしげに目を逸らす。今さら何を恥じ入るのか何を。


「落ち着かないんだ。いざあなたがいなくなると、夢だったのではないかと思えて」

「そんな」

 

 そのまま夢だと思ってくれてもよかったのに。とか思ったら冷た過ぎるしぜいたく過ぎるのだろう。こんな美形を相手に。


 ケンドール博士が(呆れた様子を隠そうとしながら)言った。機嫌も悪そうだけど、なんだか具合も悪そうだ。さっきから手でお腹を押さえている上に、顔がなんだか灰色。


「……ミス・リントン。そういうわけで、やはりあなたをお連れしないことには出港できないのですよ。非常識だとはわしも思うが、もうどうにも」

「無理ですわ。わたくしにも事情というものが」

「どのような? 聞けば、こちらで下宿中だとか。どこにいらっしゃるか知りませんが、あなたのご両親の了解を得ればそれでよろしいか? こちらは急いでいるのでお早くお願いしますよ」

「わ、わたくしの両親には一切関係のないことです!」


 まずい、激しく言い返しすぎた。そう思い、いくらか口調を抑えて話す。


「……生徒がいます。わたくしがいきなり旅に出てしまったら、あの子たちは誰が教えるのでしょうか。非常に困ります」

「田舎の学校の教師ぐらい、いくらでも代わりが見つかるでしょう」

「なんですって?」


 わたし自身も代わりの人を捜していた。だけど、他人からそんな風に言われたくはない。


「見つからずとも休みにすればいいだけの話だ。何人いるのか知らないが、こんな田舎の学校のために王太子殿下の誘いを断るなど、正気とは思えん」


 正気じゃないのは殿下のほうです、とは言わなかった。代わりに静かに心の中で誓った。絶対に承知しないと。

 吐き気をこらえているような顔色の博士を気の毒だと思わないわけじゃない。けれど、はっきり告げてやった。


「お言葉ですがケンドール博士。無理をおっしゃっているのはそちらです。誘っているのが王様だろうが女王様だろうが、誰でもなびくと思ったら大間違いです。わたくしは自分の責任で教師をしています、それを放り出して行くほど恥知らずじゃありません!」

「そうだ、その通りだ」


 本気で言い返したら、加勢は予想外のところから入る。

 なりゆきを見守っていた王太子が深くうなずいた。真面目な顔でわたしを見ている。

 

(わかってくれたの?)


 やっと理解してくれたのかと期待した。正気に戻ったのかと。


「ご主人様はそんな人ではない、博士。無体を強いるな」

 無体を強いているのは誰なのか、という疑問が博士とわたしの胸に浮かんだのは恐らく同時だっただろう。


「殿下、どういう意味ですか。それにその呼び方、いい加減おやめになったほうが」

「代わりの教師がいればいいということだろう」

 

 しかし、彼の行くところは斜め上だった。


 聞けば、妙に具合の悪そうなこのケンドール博士はもともと王太子の家庭教師をしていた人らしい。専門は数学だけど、小学校程度の内容ならばひと通りの教科は教えられる。

 と、かつて生徒だった高貴なお人がにこやかにそう語った。そして最後に、


「――そういうことだ。生徒は下が七歳、上は十四歳だったな? ちょうどその歳頃だった、博士が私に教示するようになったのは」

「で、殿下?」

「しかし私もすでに大学まで出た身だ。そろそろそなたの世話を離れても良い頃だろう」


 何度もうなずく王子様。納得しているのは彼だけだというのに、まったく気に止めていない。


「では博士。ご主人様の代わりに、その学校を頼む。代わりの教員が見つかるまでだ、見つかったら追いかけて来てくれればそれでいい」


 誰も承知していないのに、すでにそう決めてかかっている。

 勝手だ。なんという王様気質。いや事実王様なのか、未来の。ならしょうがないか。


(……って、納得できません!)




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ