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【乱心】踊る王子様

【乱心】踊る王子様



何もかもがまるで理解できない。頭の中はパニックだ。薄々わかりつつある相手の正体に、自分の立場。現在の状況。起こった出来事。

そして何より、その言葉が持つ測り知れないインパクト。うん、無理。これ、一度に受け入れられない。

 

「あ!」

「はい?」


 どうしてそんな真似ができたのか、自分でもわからない。それこそ超自然の力が働いたのかもしれないし、これまで踏んできた場数のお陰かもしれない。


 空いたほうの手で虚空を指さし、大きな声を上げたわたし。彼も彼だけど、わたしはその上を行く予想外で返してやったと言える。つられた相手が明後日の方向を見た隙に、わたしは自分の手を取り返した。そして足を動かす。


「え……待て!」

「人違いですから!」


 誰かと間違われているわけではない予感はしたけれど、そう言って駆け去る。背後で何か叫んでいるのが聞こえても、決して振り返らなかった。


 歩きにくいドレスの裾を持ち上げ、公会堂の中へと必死に駆け戻る。するとそこもまた、さっきまでとは状況が一変していた。

 島の人たちはこれまでにないほどざわついている。若い娘たちは喜びに興奮し、慌てふためいているのは町長か。海軍の兵士はもちろん、パーティーの世話役として来ていた婦人会の女性たちまでもが上の空だ。何か、驚くような出来事に心を奪われている。


 舞踏室に入ると、わたしを見つけたサラが駆け寄って来た。その表情は輝いている。でもわたしは嫌な予感しかしない。


「ジゼル、見てた!?」

「え、ええ。何を」

「王太子殿下よ! とうとう来て下さったんだわ、王太子様がこのダンスパーティーに」


 それを聞いて絶望の底に叩き落とされるのって、やっぱりわたしぐらいなのだろうな。いや、待て。まだ望みはある。それこそ別人の可能性も。いや別人にしても変なんだけど。


「まー、素敵。じゃあ今、中で踊っていらっしゃるの?」

「ううん、お言葉だけかけて下さったの。もう船に戻られたわ。ああ、あのお顔を拝見できただけでも充分よ。ジゼルは気づかなかったの? どこにいたのよ」

「外の空気をちょっと……でも待って、もう出港したんじゃなかったのかしら。殿下の船は」

「ううん。北島の艦隊にお寄りになっていたから、ご出立は明日らしいわ。だから今夜はここに来てくれるんじゃないかって、寄宿学校で皆と話してたんだけど……言わなかったっけ?」


 いいえ、いま聞きました。というか、聞いてたらここに来てないんですが。


「じゃあさっきのは」


 確定されていく事実に、徐々に血の気が引いてきた。嫌な予感が止まらない。


思い出す。五歳から始まった、“わたしの人生”。変えたはずの己の運命。


かつて暮らした場所からこの辺境の島にたどりつくまでの長い経緯、犠牲。そうして手に入れた田舎教師の生活。平和な日常。田舎の農場主を捕まえて、一生のんびり暮らそうというわたしの目論見。それら一体はどうなるのか。


家族を捨ててまで選んだ自分の人生だ。

だけどそれをひっくり返す運命と、さっき、すでに公会堂の庭で会ってしまっていた。


 さらに――。


「戻って来られたわ!」

 悲鳴のような歓声が舞踏室中に響いた。再び騒々しくなった室内だけれど、実際に本人が姿を現すと、一転、徐々に静かになる。


 さっきと違い、今度は大勢のお付きを従えた、麗しいその姿。ほう、と少なくない数の溜息が周囲から聞こえた。


「ほんとすてき……この世の人じゃないみたい」


 ロジャーそっちのけで見惚れるサラ。彼女の気持ちはよくわかる。


 一級品の彫刻のように、完璧に整った白皙の美貌。両の瞳はもの憂げな灰色。撫でつけた髪は、磨いた黒曜石のごとくつややかに輝く。


 美しいひとだ。女性的というわけではないが、美しいとしか言いようがない。灰色の瞳がとても神秘的で、整った顔立ちと相まって、ほとんどこの世の人と思えない。神の域の美青年。


 しかし、美しいがゆえに近寄りがたい。たとえ身分を知らなくても畏れ入るが、知っていたら一層声など掛けられない。誰もがみな、息を飲んで見惚れるばかりだ。


 レオポルド・アダム・ステファン・コロネイト・アストレア王太子殿下。フルネームが長いのは古く高貴な家系を受け継いだ証拠だ。それにしても長すぎるけど。


 先ほど同様、フル装備のイヴニングコート姿。舞踏会とはいえ、出席している中には貴族もブルジョワもいない。その中でここまで完璧なフォーマルに決めたら逆に滑稽なのかもしれないけれど、笑える人などいないだろう。


 そう、笑えない。冗談ごとでは済まされないことが起きようとしている。他ならぬわたしの身に。


 戻って来た王太子が何かを捜すような素振りを見せた段階で、また隠れればよかったのだろうか。だがわたしが逃げ道を見つける前にその瞳がこちらを捉えた。


 蕩けるような、とはこのことを言うのだろう。


無表情だった王太子が笑み崩れた。無垢なる喜びに彩られた笑顔は、人の心を奪うには充分すぎるほどだった。ようするに、見てしまったら最後なのだ。


 途中、何人かの人が間に入っていたけれど、彼の目には入ってない様子だった。彼が動けば人垣が割れ、自然とそこに道ができる。なかなか見事な光景だけれど、道の先にいるのが自分となると、のんきに感心などしていられない。あっち行け、と追い払うわけにもいかない。


「――!?」


 横で、サラが驚きの声を上げたのがわかった。何と言ったのかはわからないけれど。

彼はひたと見つめる。わたしを。王太子が立ったのは、地味な眼鏡の田舎教師の前でした。


ええと、うん。


(さっきの手は――使えないでしょうね)


 また「あ!」とか言ったって、引っ掛かってはくれないだろう。少なくとも本人は。

 万事休すか。違う。まだ望みはある。あのことさえ知られなければ――。


(あれ、そういえば)


 あの、特大のインパクトを放つ言葉が頭に蘇った。意味不明すぎてなかったことにしたけれど、もし、あれが聞き間違いでなかったら。


 何かを言おうとするのか、満面の笑みの王太子が口を開く。わたしを見つめて。

戦慄が走った。

まずい。あれはまずいよ、“ご主人様”は!


 先手を取ろう。腰を落としてドレスのすそを軽く持ち上げ、頭を下げる。


お初に(・・・)お目にかかります、王太子殿下。自ら名乗り出る無礼をお許し下さいませ。わたくしジゼル・リントンと申します」

 何か言われる前に自分から名乗った。ええい、マナーとか作法とか、この際無視だ。

 

「ああ。うん」


 一瞬、気を呑まれたように詰まった王太子。しょうがない。厚かましいのは承知で、もうこのままこっちのペースにのせてしまおう。負けるわけにはいかないのだから。


「無礼ついでにお願いがありますの」

「……あなたの願いならなんなりと」


 なんだそれ。やっぱりおかしなこと言ってるよこの王子様。しかも今気づいたけれど、この人、声までいい。なめらかで艶やかで、とにかく聞き惚れてしまうような声だ。


「い、一曲お相手願えませんか?」

「! 喜んで」


 驚いた顔をしたけれど、彼はすぐに笑って答えた。その様子もまた麗しかった。

 と、いうわけで。


 ことのなりゆきについて行けない周囲をよそに、わたしと王太子殿下は、何故か手を取り合って会場の真ん中へと歩み出た。我に返った楽団がワルツを奏で始めるまで突っ立っていた。ちょっと間抜けだったと自分でも認める。わたしにもわからないんだから、他の人にはもっと意味不明だろう。島の田舎娘が恐れ多くも、自分から王太子殿下をダンスに誘うか?と。


 だけど。やがて、他の人たちも音楽に合わせて踊り出す。それでもどうしても、わたしたち、というかわたしのパートナーに視線が集中してしまう。


 わたしも女にしては背が高いほうだけど、真正面で向かい合うと、目線は彼の喉あたり。

 音に紛れて囁いた。王太子が。


「あなたに訊きたいんだ。どうして逃げた?」

「な、なんのことでしょう」

「初めて会った時のことだ」


 “初めて会った時”、ですって? その問いかけに、心臓が止まるかと思った。

 だけど王太子はこう続けた。


「自分でもわかっている、おかしなことを言っていると。だが、逃げることはないと思う」

「……」


 きっとわたしの聞き間違い。とかいう儚い願いはあっさり破られるようだ。


 どうしてこんなことになったのだろう。またひざまずかれたらどうしようと困り果てて、咄嗟に頼んだだけだ。サラや他の人が聞いている前で何か言われるより、踊るほうがまだましかと。


今さらだけど、やめたほうがよかった。ふいに、お互いの体に回した腕を意識する。ダンスの動きのせいで、より一層近づく距離。至近距離で尊顔を見せられたわたしは、「わー、綺麗な顔」と現実逃避しておく他ない。そこへまた囁かれる。例のいい声で。


「私は本気なんだ。気が触れたわけでもない」

「いえあの」

「もう離れたくない。あなたに一生お仕えする」


 いやいや。だから、ね?


(おかしいでしょうが、王子が他の誰かに仕えるとか!)


 自分が次期国王だということを忘れたのだろうか、この人は。それともまさか、これは彼なりの悪戯なのか。暇を持て余した王族の遊びか。素朴な田舎教師を騙そうだなんて、なんて性悪なんだ。


「お、お戯れはおやめ下さい」

「戯れではなく」


 音楽はまだ続いているのに、強引に動きを止められた。いきなりダンスをやめた王太子に周囲が静かにどよめくのがわかったけれど、もうどうにもならない。


 涙目になってきた。やっぱり逃げられそうにないから。その涙目のわたしの顔を手が包む。

 

 真剣な表情の彼もまた、いっそう綺麗だ。灰色の眼差しに吸い込まれる。近い。キスされるんじゃないかと思うほど。でもされない。


「もうあなたなしには生きられない。失えない」

「……」

「あなたの行くところに私も行く。これからは死ぬまで一緒だ、ご主人様」


 距離が近くてよかったと、この時ほど思ったことはない。近いお陰で彼の声が大きくないから。囁いた言葉の最後を、他の誰も聞かなかったことを祈ろう。切実に。


「だ、だったら」


 後から考えると、わたしも馬鹿だったと思う。認めるようなことは、決して言ってはいけなかったのに。


「わたくしの言う通りになさって」

「なんなりと」


 だからその言い方はやめてってば。どこのランプの魔神ですか、あなたは。


「その手を放して。今すぐ」

「はい」


 すると王太子は、すぐにわたしの顔を解放した。そして微笑む。

 誰か教えて下さい。なんでこの人、命令されて嬉しそうにするの?




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