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【発覚】眼鏡はだめ、眼鏡は

【発覚】眼鏡はだめ、眼鏡は



 唐突すぎる求婚で大きく波打った鼓動。朱に染まっていく頬を自覚する。

 人違いでもなければ、今度はもう臣従の誓いでもない。間違えようがない。


 レオポルド様はわたしの右手を取り、自分が持っていた指輪を握らせながら言い募る。


「一分一秒でも長く、共に過ごしていたいんだ。あなたは、今している指輪を外したら離れていってしまうのだろう」

「本当は外さないでほしいが。しかしそれが無理なら、せめてこれを代わりに。どうしてもあなたに贈りたいと思ったんだ、この、金剛石(ダイヤモンド)と金の指輪を」


 『金剛石と金の指輪を』。


 既視感。ただでさえ混乱していた頭を、さらに過去の記憶が襲う。前にもこんなことがなかっただろうか。それを告げたのも、“彼”ではないか。


 黄金とダイヤモンド。単に高価というだけで、彼はこの二つを選んだわけじゃない。どちらも『永遠』の象徴だからだ。

 かつての“彼”が指輪に誓ったのは、永遠の――。 


「愛していません」

「え?」

「きっと錯覚なんです。……大丈夫、殿下は悪くありません。それに治ります、わたくしがこの指輪を外せば。きっとこの指輪が悪いの、すべて」


 最初からだ。ふいに思い出した。いまわたしの左手にある黒い石の指輪。何度も繰り返した王妃人生、この手に指輪が渡されたのは、一度目の時だ。


「覚えてないなら話せない……じゃなくて。ええと、そうですね」


 思い出してよかった。流されているだけなのだから。わたしも、きっとレオポルド様も。


 幾度も『王』と呼ばれた人と、その妻になるわたし。過去の事例を思うと、こうなることは予想できた。何かに捻じ曲げられるようにして、必ず結びついてしまう悲劇へと。


 だけど、これ以上前世に流されてはお互い不幸だ。忘れるところだった。過去は過去であり、現世(いま)じゃない。五歳のあの日から、己の手で変えてきた運命。これまで続いてきた不幸な絆を断ち切るのは、もう今をおいて他にない。


「前にも申し上げました。わたくしと殿下では住む世界がまるで違います」

「どこが? あなたは今ここに、目の前にいる。私は目の前の女性に言っているつもりだが」

「同じ場所にいても離れているでしょう。身分が」

「特に離れていないと思う」

「離れているんです! わたくしなんて、よくて愛人ですわ」

「愛人になど。私はハートフォード公爵に殺されたくない」

「父がそんなことするわけないでしょう! いつの時代の話ですか」

 

 反射的に言い返し、思わず立ち上がった。ガタリと大きく椅子が鳴り、テーブルも揺れる。ラベルに林檎の木が描かれたボトルも。義姉がくれたロケットペンダントの表蓋には、同じ林檎の木が彫られている。


 ロケットの中の写真は疎遠なる我が父。その父の領地で採れた林檎で作られるお酒は、ハートフォード公爵アップルツリー家を由来にしたラベルを貼っている。


「え。あれ?」

「レディ・クラリス。ミス・リントンでもどちらでもいい」


 すると相手も立ち上がり、テーブルの向こうから歩み寄ってきた。


「結婚してほしい。言っておくが、本当にどちらでもいい。公爵の娘だろうと教師だろうと、あなたの好きなほうで。確かに前者のほうが面倒が少ないかもしれないが、たいして変わらない」


 何故なら、と続ける。


「私の気持ちは同じだ。少しでも、一日でも長く共に過ごしたい。離れたくない」


 少し表情を陰らせた。


「……あなたの夢には悪いが」



 一年半ほど前に実家を出たとき、もう家名を名乗らないことを決めた。娘との絶縁を宣言した父がそこまで強いたわけではないが、自分で決断した。


 CGRA。クラリス・ジゼル・ラセット=アップルツリー。

 長い名前は長い家系を受け継いだ証拠だ。捨てた名前ではあるが。


 ハートフォード公爵長女、レディ・クラリス。生まれた時からその称号が与えられているが、あまりにも世間に出ないので、同じアストレアの貴族ですらわたしの存在を知らない人は多いだろう。今では父も母も、娘などいなかった振りをしている。兄たちも。


 正直、両親を気の毒だと思わないでもない。五歳でいきなり豹変した娘。それから仮病と家出を繰り返した挙句に、国王への拝謁――社交界デビューからも逃げた。そして成人と同時に本当に家を出た。由緒正しい貴族の令嬢としてはもう完全に失格している。公爵家の利益になるような結婚など、わたしには無理だろう。

 だからレディ・ジュリエットを称賛せずにはいられない。反抗もせず、よく犠牲になったな、と。


 そして『リントン』は義姉の旧姓だ。リントン大佐の一人娘のアリソンは、結婚したのでもうミス・リントンではない。だから借りた。


(それはそれとして)


「ご、ご存じだったのですか、わたくしが何者か。いつから?」

「最初から、と言いたいが。思い出したのは帰りの船が出てからだ」


 『思い出した』。その言葉ですべてが終わったと悟る。


「二十年近く経ってますわよ。子どもの頃とは面立ちも」

「確かに違う。眼鏡もかけていなかった。しかし」


 いま渡された指輪を握ったままのわたしの右手を、綺麗な手がさらに上から覆った。


「そう簡単には忘れない、人の顔を見るなり悲鳴を上げて倒れた女の子のことは。それに気絶した人間を見るのはあれが初めてだった」


 十七年ほど前のこと。ハートフォード公爵家のタウンハウスで開かれたガーデンパーティーへ、アストレア王妃が王家の子どもたちを連れて訪れた。あれが出会いだった。


 わたしがこの黒髪の王子様と会ったのは、島でのことが初めてではない。

レオポルド様とわたしが初めて顔を合わせたのは、二人ともまだ幼い時。


 こちらが覚えているのは、どこかぼんやりした様子の黒髪の男の子だ。まだ子どもだったレオポルド様の顔を見た瞬間に、わたしは過去を思い出したのだから。また“彼”と出会ってしまった、と。


 そして現在。冷え切った手に気づいたのか、先ほど脱ぎかけてやめた上着を今度こそ脱ぎ、わたしの肩に着せかけながら言う。


「あの後もあなたの名前は何度となく聞いた。そうだな、最近は聞かなかったかもしれないが。どうしてだろう?」


 首をひねったレオポルド様だが、着せかけた上着の前をしっかり合わせると、


「しかしそのつもりはあったはずだ、私の両親も、あなたの両親も。だから反対はしないだろうと思う。問題ない」

「いえ、それはどうかと。今は状況が」

「結婚してくれ。ミス・リントン、またはレディ・クラリス」


 すっと眼鏡を外してしまった。それがいけなかった。



 眼鏡をとった途端、“ミス・リントン”が“レディ・クラリス”に変わってしまうとか。そんな人格交代が起こるわけではない。


 しかし、眼鏡を取られたわたしはうろたえる。眼鏡というのは不思議な物で、いったんかけることに慣れてしまうと、人前で外した時、とたんに無防備な気分におちいる。自分を守る壁がなくなり、真裸になったような心もとないような、そんな状態になる。


 何か言わないといけない。そう思うのに頭は空回りした。


 ただのガラスと金属に過ぎない物体がなくなったくらいで、どうしてここまで動揺しないといけないのか。流されてはだめと、さっき自覚したばかりだ。それなのに。


 逃げられない。


 こちらはただでさえ無防備だというのに、相対するのは恐ろしい人だ。その瞳も何もかもが、恐ろしい力でわたしを惹きつけようとしている。自分を見ろと命じている。他には何も考えるなと、逃げ道を探すことを許さない。


 残酷なほど美しい王子が無防備なわたしを捕らえようとする。

 そしてわたしは、囚われの蝶のように身動きできなかった。それどころか目を閉じた。


 頬に手を添えられても、その手が顔を上向かせても。唇が重なっても抗わなかった。

 しかし。

 触れるだけの優しい口づけのあと、目を開けて見上げた“彼”。


「……っ」


 今まで感じたことはなかった。今まで不思議なほどなかった、艶めいた予感。“男”が“女”を見るまなざし。灰色の瞳にその色が浮かぶのを初めて見た。今の彼にとって、わたしは“女”なのだ。主人ではなく。


 これまでとは違った意味で求められているとわかると、とたんに怖くなった。外れていた防備が急速に固められる。あまりにも早かったので、相手が反応できなかったくらいだ。


「なっ」

「ごめんなさい! むり」


 後になって考えれば、悪いことをしたような気がする。しかしわたしは必死だった。


 もう一度キスしようとしたのか、身をかがめてきたレオポルド様。その顎をむりやり押しのけて拒否したのはまずかったかもしれない。さらに彼の上着を奪ったまま、その場から逃走したのは。


 建物内に戻り、やっと立ち止まって途方に暮れた。


「どうしよう、指輪持ってきちゃった……」


 眼鏡も忘れた。取りに戻る勇気などあるはずない。返すことも。


 幸せとは言えなかった過去の事例を思い返すと、今夜のレオポルド様は完璧だった。それがなんとも締まりのない結末となった。これはさすがに自分のせいだと、わたしは頭を抱えた。




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