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【召喚】王妃の思い出話

【召喚】王妃の思い出話



 大洋に面し、東大陸の玄関口とも呼ばれるグラン・リオン国。その王宮や国会議事堂、最高裁判所が置かれた場所もまた、海近くに築かれた都市だ。街中は公園や森が多く、王宮近くにまで運河が掘られていて、そこに浮かべた小舟から緑の中の古い町並みをのんびり眺めるのが、この街の過ごし方だそう。


 わたしの旅にそんな余地があるのかどうか。すでに少し怪しい。




 予定ではもっと後のはずだった。午後も遅い時間のころ、使用人用の入り口からグラン・リオンの王宮にこっそり入れてもらい、アストレア王太子のお供として密かに彼のそばへ戻ることになっていた。


 迎えに寄越された車の中。シャンパンを飲み損ねたわたしは、運転席に座るグラン・リオン人の後頭部へと語りかけた。


『運転手さん、もし可能なら裏口から入ってもらえませんか。裏口というか、裏口とみなされるような目立たない門から』

『はい、お嬢さん。上司からそのように言い使っております』

『ありがとう、よかったわ』


 返答に満足できたので、わたしは体を座席に預けた。隣に座る大男が言う。


「ミス・リントン、ずいぶんお上手ですね、グラン・リオンの言葉が。俺にはとても真似できないですよ、その、鼻に抜けるような中途半端な発音がね」

「子どもの頃からあれだけきつく叩きこまれれば、誰でも……話せますわ。寄宿学校で」

「ああ、そうでしたか。……ところで」


 どうしてか、ランサム中尉は恐る恐る尋ねた。


「俺はこのシャンパンの壜をいつまで持っていればいいんでしょうか」

「……あら、持ってきていたの?」


 目を向けると、情けなく両の眉を下げた武官は、栓を抜いたシャンパンを手にしていた。ホテルで報せを受けた時、持っていたそれをランサム中尉の手に押し付けたような覚えはないでもない。わたしが準備して出かけられるようになり、車で出発するまで、この人はずっと持ち続けていたようだ。


「どうして置いていらっしゃらなかったのよ」

「はあ、その。……話しかけられなかったもので、今まで」

「……」


 そんなに鬼気迫る様子だっただろうか。王族に拝謁できるようなドレスを、準備する間もなく呼び出されたわたしは。



 王宮、とは国会議事堂やその他政府機関が集まった場所を指していた。昔はすべてが王のものだったろうが、このグラン・リオンにも民主化の波が押し寄せている。そして国政から遠ざけられたかつての君主は現在、王宮の奥に広がる森の中、昔は狩猟小屋だったという館を住まいとして使っているそうだ。


 もちろん、狩猟小屋といってもそれは過去の話だ。グラン・リオンという国の面子のため、国王の住居は、それは素敵な宮殿に生まれ変わっている。


 紫色のブルーベルと白樺の森を抜けると、そこにこつぜんと現れる。三つの大きな塔と幾本もの煙突が突き出た屋根は、淡いピンクとブルーと白の瓦で葺かれ、その三色で幾何学模様を描き出す。壁は黄色い石積みに白い漆喰、赤い木の窓枠には緻密な彫刻が施されている。前庭には白鳥の泳ぐ池が掘られ、広い花壇だけではなく、ウサギや犬、猫をかたどって刈り込まれた植木の数々が点在する――らしい。


 船の中で予習した知識によると、グラン・リオンの国王の宮殿はずいぶんとメルヘンな外観だそうだ。正面からは見られなかったが。


 裏口らしき通用門から王宮内の森に入ると、車は道なりに進んでいった。止まったのは、建物の陰となって日当たりの悪い倉庫群の間。宮殿の使用人らしき人々が行き来する城の裏を案内されて、その内部へと入った。


 そして。


 メルヘンな城は内部もまたメルヘンだった。内装も家具も優しいパステルカラーで統一された部屋の中、赤ん坊が眠るゆりかごのそばの椅子にかけた貴婦人は、開口一番、こう言った。


「忠告するわ。まともな女性が、弟とうまくやっていけるとわたくしにはどうしても思えないの」

「……」

「身分違いなのは当然だけど、一番の問題はそこではないわ。たとえ結婚までこぎつけたとしても、あなたは必ず後悔するでしょう。そう忠告したうえで尋ねるわね」


 黒髪の弟とは違い、明るいブラウンの髪を持つ姉。背は高く、ほっそりした体形はたしかに似ているかもしれない。薄いラベンダー色のデイドレスは軽やかなモスリンで、そのしなやかな体によく似合っていた。


 グラン・リオン王妃にしてアストレアの第一王女でもあらせられる高貴な女性。

 ミルドレット・シビル・ラヴェンナ・シェヌロワ。第一子の出産を終えたばかりだ。


 レオポルド王太子と同じ灰色の瞳の王妃は、氷のように冴え冴えとした美貌に浮かぶ不快そうな感情を、あえて隠そうとはしなかった。


 王妃の視線の先にあるのは、太い黒縁の眼鏡がどうにも野暮ったい女。堅苦しい紺サージのジャケットとスカートがその地味さ加減を強調する。まるでどこかの寄宿学校の教師か生徒だが、わたしにはもう他に、昼間に着ていける服が他にない。用意する時間も。


「どんな魔法を使ったの?」

「はい?」

「ミス・リントンとかおっしゃったかしら。その魔女の魔法とやらがあなたの仕業なのかどうかはともかく、“何か”したのは確かだわ」

 

 同席している弟に、遠慮も欠片もなく指を突き付けた。


「これがレオポルドのはずがないわ! わたくしの弟は間違っても言いません、『大事な人ができました』なんて。しかも微笑んでいたのよあのレオポルドが! これは偽者よ、そうに決まっているわ!」

「ミルドレット、きみ、落ち着いて。エレナがむずかりそうだ」

「ああテオドール。ごめんなさい、大きな声を出してしまって」


 興奮しすぎたようなミルドレット王妃をなだめるのは、その横に立つ、立派な髭の男性。察するにご夫君のテオドール陛下だろうが、正式に紹介されていないのでわからない。そしてゆりかごの中の赤ん坊は、夫妻の間に生まれたばかりのグラン・リオン王女。


 夫と赤ん坊には蕩けそうなほど甘く崩れた笑みを見せたミルドレット王妃だが、次に自分の弟に向けた視線は物凄くきつかった。音がしそうなほど。


「元の弟に戻しなさい……決してあれが好きなわけではないけれど、この気持ちの悪いレオポルドよりは何倍もましだわ。なあに、金の斧くれる女神の池にでも入ってきたのかしら? 『心がきれいな王太子』に生まれ変わったとか?」

「ミルドレット、よしなさい。自分の弟だろう、アストレアの王太子でもある。私には良い青年に見えるが」

「テオドール……あなたは本当のレオポルドを知らないからそんなことが言えるのよ」


 まだどこかに子供っぽさを残した王妃は、十ほど年の離れた夫に訴える。


「忘れもしないわ、あれはわたくしが十二の歳。わたくしたちきょうだいで、ウサギを飼っていたのよ、真っ白いふわふわの毛で、耳だけ少し灰色の。とっても可愛かった」

「ウサギか。今でもきみのお気に入りだね」

「ええ……そう、優しいあなたがお庭に飾ってくれたあの子よ。わたくしのために」

「愛しい妻のためだから。名前はピーター、だったかな」

「そうよ、ピーターよ。可愛かったわ。あの頃のわたくしのすべてだった」


 そこで話を止め、悲しそうに目を伏せた妻の髪を、夫の手がそっとなでた。慰めるような手つきに励まされ、ミルドレット王妃は続きを話した。


「ある日、あの子は逝ってしまったわ。天国へ。ええ、仕方ないと思っている、ピーターの寿命が自分ほど長くはないって、わかっていたわ。だけど」


 そこで調子がガラリと変わる。再び睨まれたのは、レオポルド王太子だ。彼は、姉がいったい何の話をしているのかわからず、不思議そうに見返している。と、わたしは分析した。


「こ、この子はこう言ったのよ!

 『ピーターは死んだのですね。なら姉上、別のウサギと取り換えてきましょうか』って。あ、あの愛しい子の亡骸が、まだ温かったときによ! わたくしは今でも覚えているわよ、このレオポルドの言葉を!」

 

 それは――まずい。

 その場にいる誰もが胸の中で深いため息をついただろう。


 思わず王妃を抱き寄せたテオドール陛下も、彼らのお付きの女官や侍従たちも。レオポルド様の異変の説明でもさせられたのか、同席していたリップやエリスター侯爵も、それからランサム中尉も。そしてもちろんわたしも。


 確かにひどい。無神経きわまりない言葉だ、まだ十歳の少年のものだとしても。

 そして、もう少年ではない王太子様は、姉の弾劾にどう答えるのか。


 言われて何かを思い出したらしいレオポルド様は、こうおっしゃいました。否定でも弁解でもなかったが、そっちのほうがたぶんよかった。


「しかし姉上。その前の日、私に言いつけたではありませんか」

「は? 何を」

「『鉛筆が折れたから新しいのをもらってきて』と。だからピーターも、新しいウサギに替えればいいのかと」


 どのみち大丈夫だったろうと思う。妻を抱き寄せるテオドール陛下がその腕に力を入れなくても、長年の教育で躾けられた貴婦人は、そう簡単に誰かに飛びかかったりしない。いやひょっとすると、平手打ちぐらいは食らわせたかもしれないが。無神経な弟に苦しめられた姉は。


 ミルドレット王妃は、ヒステリーを起こす代わりにこう言った。夫の腕の中に抱き留められ、ぎりぎりと歯を食いしばりながら。


「もういいわ。レオポルド、さっさと帰りなさい」

「帰る? いえ、そういうわけには。まだ来たばかりですし、予定もありますから。姉上の子どもも、まだ一度も起きたところを見ていないのに」

「帰れと言ったら帰ればいいの! さっさとその、ブロッケン山にでも登って魔女とやらに会って来ればいいでしょう。

 ミス・リントン、言っておくけれど、この子は万事が万事こうなのよ。あなたの魂胆は知らないけれど、弟はこういう本性だから。この冷血人間が、あなたの手に負えるといいわね!」


 負えませんと正直に答えたかった。これはもうフォローしきれない、このプリンス・ミストレスにも。


 ミルドレット王妃がわたしについて色々と誤解しているのは確かだが、それを解く気にもならなかった。解いてもこの貴婦人の心はあまり休まらなかっただろうし。


 それよりも。


(なるほど。無神経だわ)


 これまでうすうす察しつつあったが、わたしは確信した。


 目の前で子供時代の言動を非難されても、顔色ひとつ変えないレオポルド様。実姉から言われれば、多少なりとも堪えるのが普通だろう。それどころか、


「姉上がそう言うなら仕方がないか。ではエリスター、出産祝いの品をすぐに運んできてくれ。渡すだけでも渡しておかねば」

「え。レ、レオポルド様? まさかと思いますが、本当にすぐ帰国を?」


 特に落ち込むことも反論することもなく、あっさり補佐役の侯爵に命じた。毛筋ほども気にしてないのだろうし、もしかしたら、そもそも何が悪いかをいまだに理解していない。


 何故ならレオポルド王太子様は、生真面目な表情でこう続けたからだ。


「ではミルドレット姉上。今度うかがうときは、ウサギの剥製を贈り物にお持ちすればいいですか。ピーターに似た、白いのを探して来ましょう」


 そういうことじゃない、と本人以外の総員が心の中で、美しい王太子の無神経さに恐れ入った。


 美しいものは時に残酷だ――と言っても慰められはしないだろう、ミルドレット王妃は。


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