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【脅迫】アフタヌーンの過ごし方

 【脅迫】アフタヌーンの過ごし方



 南セントジョセフ島に本土の新聞が届くのは、一日遅れだ。そのうえバーリー家が購読しているのは島で発行されている地方紙。国際情勢が載らないわけではないけれど、扱いは小さい。


 それを言い訳にするわけではないけれど、東大陸のどこかにある土地の、何カ国かの思惑が絡むの所有権争いについて、残念ながら知らなかった。我ながらちょっとショックだ。世間から隔絶し過ぎていた自分に気づく。


 だから、インタビューの場に同席することは丁重にお断りをした。そのため昼食後、殿下はひとり、というかわたし以外のお付きを連れてそちらへ行った。終わったらすぐに戻るとは言っていたけれど。


「勉強しないとだめかしら」


 またこんなことになったらどうしようと、自分の部屋で考える。高貴すぎる下僕の主人、プリンス・ミストレスでいるには、世界情勢にも通じていないといけないらしい。厄介な。


 思い悩みながら見ているのは、リビングのテーブルに置いた帽子。ごく細い麦わらで編まれていて、てっぺんが平たく、つばは狭い。紺色のベルベットのリボンを巻き、同じ生地で作った造花を飾っている。


「船旅はあと三日。デイドレス二着、イブニングドレス一着で、どうやってしのげばいいの?」


 優雅な貴婦人たちは、荷物を山のように持っていても運んでくれる人には事欠かない。だから何着も持って乗船し、一日に何度も着替える生活を続けられる。

しかしこのジゼル・リントンはそうはいかない。元から持ってない上に、詰められたのは鞄一個分。下着やブラウスは余分があるがドレスがない。帽子は一個、靴は一足。派手に着回すのは不可能だ。


 この量を持ちこむだけでも大変だった。だいたい、庶民の旅行ならこれでも多いくらいだろう。

 帽子の飾りだけでも交換できないかと考え、深い溜息をつく。頭を振った。


「……いいわ。殿下もああいう風に言ってるんだから、外見よりも中身を重視しましょう」


 わたしがみすぼらしいせいで王太子殿下が恥をかいたとしても、諦めてもらうとしよう。その分、中身を充実させておくとするか。世界情勢に精通するのは無理だとしても、付け焼刃ていどの知識は得ておこう。




 部屋を出て、これから行こうとする場所の位置を教えてもらおうと、隣の部屋のドアを叩く。留守番として残っていた従者は、教えてくれるだけでなく、自ら案内しようと申し出た。


「いえ、ご心配なく。迷子になったりしませんから」

「遠慮なさらなくてもいいんですよ、僕もちょうど暇してたところでして。お一人で行かせて海に落っこちでもしたら、殿下に申し訳ないですからねー」

「落ちませんわ。子どもでもあるまいし、柵から海を覗き込んだりしませんわよ」

「でも落されないという保証はありませんよね?」


 落されるとはどういう意味だ。不穏な。わずかに怯んだわたしの顔色に、ニヤリとリップは笑った。


「冗談です、とっとと行きましょう」


 笑えない冗談を言う。リップとあまり長く会話するのは避けたいのだけど、ついて行くことにした。


「――落そうとする人はいると思う?」


 質問したのは、内廊下を出て、広い甲板に出た時だ。薄曇りの空の下の、遠い水平線を見た時。甲板を散歩したり、ゆったりしたデッキチェアでの午睡や、おしゃべりに興じる一等客の中を進んでいる。


「どうでしょう。当たり障りのない返事がいいですか? それとも赤裸々なので?」

「……厳しい現実のほうで」

「本気でお妃さまの地位を狙うご令嬢方は、ま、ライバル視なんかしてないでしょう。遊び相手と本妻は、まったく別物ですからね」

「だったら?」

「目障りだと考えるのは、正真正銘の遊び相手、つまりマダムのほうかもしれません。邪魔者は消そうとするかも、チャンスがあれば」

「マダム!? え、その、殿下は既婚者と?」

「ですね。――大胆なものですよ、貴族の夫人がたは。ご夫君がいようがどうしようが、平気で殿下のベッドに潜り込もうと」


 赤裸々すぎると、自分で気がついたのだろう。面目なさそうに言う。


「そんな目で見ないで下さい。ミス・リントン」

「心底呆れました」

「殿下ばかりが悪いわけではないんですよ。ほら、おっしゃってたでしょう、レディ・ジュリエットが。どこでも女性に追っかけられて辛いだろうって。何しろあのご容姿ですからね」

「だからって。……いちおう確認しておくけれど、今、その、この船には」

「え? ああ、そこまで大勢いるわけじゃないです。僕が知ってるだけだと、寝室にまで辿りつけたのはほんの二、三人ですし」


 従者が言うのだから間違いないだろう。思ったよりは少ないとはいえ、その存在は確実となった。


(あの男。やっぱりとんでもないわ)


 浮気なら以前にも散々やり尽くされたとはいえ、不愉快には変わりない。誠実そうなことばかり言うわりには、やっぱり他の女がいるんじゃないか。あきれた。


(ん?)


 はたと止まる。浮気と呼ぶのはおかしい。夫婦じゃないんだった、今は。

 では何か。主従だ。あちらが従の。


「あ。ミス・リントン、噂をすれば陰ですねー」

「はい?」


 自分の立場の意味不明さに頭を悩ませていたら、リップが嬉しそうに言う。とんでもない従者が見ていたのは、甲板の一等客のうちでも、ひときわ華やかなグループ。淡い色彩のドレスに派手な飾りの帽子をかぶった、貴族のご令嬢方たちだ。


「避けて歩いたほうがいいんじゃないかしら」

「堂々としてらしたらいいと思いますよ、ご主人様」

「あなたの主人ではないわ。……言っておくけれど、あなたの主人の主人でもないから」

「おや。レディ・ジュリエットもいますね」


 リップの言う通り、その若い女性のグループには昨夜の美人も混じっていた。ますます近づきたくない。

 若い淑女たちの手にあるのは、絵筆やパレットの類。どうやら彼女たちの暇つぶしは、デッキチェアに腰かけての写生らしい。花嫁学校で習った水彩画の腕でも披露しているのだろう。風景というと、空と海しかないが。


「しかし美人ですね。残念だなあ、人妻で」

「ご夫君は新聞社の社長でいらっしゃるのよね」

「はい。ちなみにご結婚前の姓はヘイスティングスとおっしゃいます」

「ああ。それで“レディ”なの」


 たしか、ゴートラム公爵家の名字だ。公爵の娘ならば“レディ”の称号を与えられ、ファーストネームの前につけて呼ばれる。“ミスター”・ジョーダン――金持ちとはいえ平民の男の妻が貴族の称号で呼ばれるのは、妻本人がもともと貴族の生まれだからだ。


「ふうん。やっぱりそうですか」

「何のこと?」

「苗字だけですべてご理解いただけるとは」


 にやにや笑いの従者からそれ以上追及される前に、話を逸らそう。


「ずいぶん歳が離れていらっしゃるけれど。旦那様と」

「ええ。そうだ、ご存じないなら教えてあげましょう。また何かあの方に言われた時、反撃するための武器として。実はね……」


 わたしとリップは、水彩画のグループからは離れた場所を通るようにしていた。なるべくこちらの存在に気がつかれないように。

 でも。


「……」


 実は、の後に続いたリップの話。レディ・ジュリエットを巡るゴシップを知り、わたしは思わず本人を振り返って見てしまう。

 

 すると、振り返った拍子に目が合った。友人らしき少女たちに囲まれる、平民の妻となった公爵令嬢と。



「こちらです、ミス・リントン」


 少し憂鬱になりながら、リップが開けてくれたドアの向こうに入る。棚に本がずらりと並ぶ、この船の図書室である。さすがはアストレアを代表する客船と言うべきか、蔵書の数は南セントジョセフ島の小学校よりは段違いによさそうだ。


「ありがとう、リップ。もうお仕事に戻って下さって結構よ」

「え、待ってますよ? ミス・リントンが海に落とされないか、僕には気をつける義務が」

「……わたくしはしばらくここにいますから。長く待たせては悪いわ」


 遠慮しなくていいのに、というリップの言葉をやんわり断り帰ってもらう。


 そして書棚と向き合った。外洋を渡る船だけれど、アストレア船籍なので母国語の本が並ぶ。目指したのは地理と歴史の棚。行き先であるグラン・リオンについて、自分の知識を改めておきたい。それと現状を知るために、かの国で発行された新聞も。

 

 本を数冊と、グラン・リオンの高級紙を選ぶ。机と椅子が一組だけ置かれていて、ちょうど誰も使っていなかったので座る。ついつい新聞を読みふけり、やがて我に返った。


「やけに静かね」


 暇をもて余した一等客だが、読書でそれをまぎらわす人はあまり多くなかった。それでも無人でもなかった図書室が、いつの間にか空になっている。その理由を考え、立ち上がった。ガタリと椅子が鳴る。


「お茶の時間!」


 取材は時間までには終わらせるから一緒に午後のお茶(アフタヌーンティー)を、と約束していたのだった。もちろんあの、高貴すぎる下僕さまと。


 借りた本を持ち、図書室を出る。急ぎ足ながらも、決して走ったつもりはない。再び屋根のない甲板に出て、薄かった雲がどんより厚くなったことを知る。そして。


「……っ!」

「まあ!」


 甲板にはまだ人が残っていて、水彩画の令嬢たちもそうだった。そちらが最短だったので彼女たちの横をすり抜けようとしたら、不意に横から衝撃が来た。気がついたら、その場に膝と片手をついている。


「あらあら。足がもつれてしまったのね、ミス……なんだったかしらね」

「……」

「女も職業を持つと、みんなそんな風に品を失くすものなのかしら。ぞっとする、わたくしだったらとても耐えられないわ」


 しばし呆然とするわたしに声をかけたのは、昨夜同様、いささか明るすぎる口調の婦人。レディ・ジュリエットだ。一言もいえずに見上げたら、美しい貴婦人はその視線をきれいに無視し、


「さ、皆様。ここはメイドが片付けるわ。お茶に遅れる前に行きましょうか」

 

 そう、自分の仲間に告げて微笑んだ。

 わたしが立ち上がる頃には、レディたちはすでに背中を向けていた。くすくす笑いを残して、言葉通り、その場に絵具も画板もパレットも置いたまま。


(……本が無事だから)


 横から突き飛ばされて倒れた時、わたしはなんとか落とさずに済んだ。お陰で片手で体を支えなければならなかったけど。


 だから、よかったと思っておこう。たとえ、二着しかないデイドレスの裾が、絵具混じりの水で濡れたとしても。運悪くその絵の具が黒で、こちらの服が白だったとしても。

 真っ白なコットンワンピースに、紺のリボンやフリルを飾った日中着。帽子とお揃いのお気に入りの服が、台無しになったとしても。


 落されなかっただけましだと思わないといけないのだろう。



 わたしは認める。

 もう一着の服に着替えてから、お茶のため、高貴すぎる下僕の御前にまかり出た時。


「お断りしますわ」

「ミス・リントン?」


 王太子のリビングルームで、部屋の主とティーセットを挟んで向き合った時。お茶の入ったカップをソーサーに置いて一呼吸、それから放った言葉は、氷礫のごとく冷たく尖っていた。そう自分でも認めよう。

 

 にべもなく断られ、美しい王太子様はその秀麗な眉をひそめる。


「もしかしてどこか具合でも悪いのだろうか。それはいけない」

「悪くありません。でもこの先、殿下のお供はできかねます」


 乗客の退屈をまぎらわせるため、船会社は各種の催しを用意している。少なくとも一等客のためには、毎夜、何かしらのパーティーが開かれるのだ。もちろん今夜も。


 昨日と同様に紳士淑女が集まる晩餐会が行われるのだが、今夜はそこでちょっとしたコンサートを開くそうだ。高名なテノール歌手が同乗していて、その声を披露してくれるらしい。結構なことだ。しかしミス・リントンは出席しない。


 今の会話の行き先に、同じ部屋で控えているランサム中尉が不安そうに見ている。同じ不穏な空気を感じた従者はもっと遠慮がなく、口を出そうとした。


「ミス・リントン。もしかして、さっき何か困ったことでも――」

「殿下、今だけは黙るよう、あなたの従者におっしゃって」

「リップ」


 彼が威厳のある声でしゃべるのを始めて聞いた。リップを黙らせた王太子はこちらに向き直る。


「あなたを部屋に置いて、一人で晩餐会へ行けというのか? ならば私も部屋で」

「あのですね。話を整理いたしましょう。もったいないことですけれど、殿下はわたくしをこの上なく大切な“友人”だと思っていて下さる。それはよくわかりました」

「いや、友人よりもっと大事だ」

「……それでも、おおやけの場にお供する理由にはならないと思うんです。わたくしのために殿下が社交を放棄なさるのは、もっと違います」


 エリスター侯爵夫人に人前に出るなと言われたから、と正直に話さなかったことは褒められてもいいと思う。それだけが理由じゃないし。


 苦い記憶がある。過去の人生のうちのひとつ。


――嘲笑を甘んじて受け入れなければならなかった“当時”の立場。卑しい身分で王妃となった負い目が、どんな屈辱も耐えさせた。貴族出身の愛人が権力を握って好き放題しようとも、王からの寵愛を誇らしげに見せつけられても、人前で侮辱されても我慢した。


 だから、さっきの嫌がらせくらいならかわいいものだ。しかし受け入れなければならない法もない、今はもう。これ以上巻き込まれたくない。


「わたくしと殿下は生きる世界が違っています。わたくしには迷惑なんです、あなたの……その、お引き立ては」


 そう言い、例の指輪を見せつけるように彼の眼前に出す。気になっていた。彼はいつも左手ばかりを取ることを。


「はっきりさせましょう。あなたにとって真に重要なのは、この指輪なのでは?」


 その目的は、指輪か手か。“付属品”なのは指輪ではなく、人間のほうではないか。


「……」


 彼の灰色の瞳が指輪に引き寄せられた。すると。


 じっと見つめるレオポルド王太子。手を掴み、もっと近くへ。間近で眺めた黒い石を指で撫で、唇を震わせた。そして大きく目を見開き、はっと息を呑む。


 この後の彼の行動が、答えを明確にした。


「痛いです」

「……! すまない」

 

 息をのんで愕然とした王太子は、それから、黒い石を奪おうとしたのだ。むりやり指から引き抜こうとした。その指が彼の大事な“ご主人様”の物であることを忘れ、力任せに。


「違う、そうじゃないんだ。謝る、ミス・リントン」

「はっきりしてよかったです。そうでしょう、ランサム中尉? どうやらあなたの仮説が正しいようですわ」

「……え? ええ、そうですね。原因が指輪だとはっきりしました。よかったんじゃないかと」


 はらはらした様子で見守っていた武官に声をかけ、考え込んでいるリップにも目を向けた。


「同行させていただきますわ、グラン・リオンへは。でも帰国後、直ちにそのブロッケン山とやらへ行って、指輪を外してもらいます」

「待ってくれ」

「外した指輪は殿下に差し上げます。代わりにわたくしを主と呼ぶのも、お供にするのもやめていただきますので。そう約束してもらえないなら」


 美しい王子様に再び視線を戻す。困惑した彼は立ち上がったが、まっすぐその目を見上げた。


「海に飛び込みますわ。指輪ごと」


 どちらを救いあげたいですか、とは尋ねなかった。残酷だと思ったから、お互いに。

 


 自ら海に飛び込む、という脅しが効いたのだろうか。その夜の晩餐会に、レオポルド王太子様は一人で行ってくれた。モリーが食事のトレイを運んでくれたので、こちらも夕飯抜きの憂き目には合わない。


 しかし。


「……なんで?」

「旅の間は構わないと言わなかったか?」


 波が荒くなったのか、船の揺れが大きくなり、本を読むには適さなくなった夜更け頃。夜更かしをやめてベッドに入ろうとしたら現れた。


「昨日はすまなかった。だから持って来たんだ」

「は、はい? 何を」

「枕を。上掛けもだ」


 言葉通り、白い布類の塊を抱えたレオポルド様はあっさり言い放った。


「あなたの言う通り、私は指輪にも強く魅かれるようだ。だが」

「ええと」

「よく考えた。そしてあなたを慕う気持ちにも嘘はないと結論を出した。ミス・リントン」


 抱えた寝具をバサリと床に落とし、やわらかく微笑んだ。やっていることと表情が合ってない気がするのはわたしだけなのかどうか、第三者がいないから意見が訊けない。


「床でいいから、ここで休ませてくれないか。あなたのそばで」

「……」


 結論を述べよう。そんな勇気はなかった。おそれ多くも王太子殿下を床で寝かせ、三人は楽に寝られるベッドをひとりで占領する勇気は、わたしにはなかった。


 それと、三晩つづけてまともじゃない寝床で眠るつもりも。




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