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【運命】呪われた王妃

1.【運命】呪われた王妃



 彼がひざまずいたのは、他の誰でもなくわたしの前だった。


 目の前でひざまずき、綺麗な手を差し伸べ、訴えかけるような瞳を向ける青年。その瞳がわたしを捕える。


 手が震えた。いけないのに。そこには破滅が待っているだけだというのに。


 とうとう抗い切れず、彼の手に自分の手を重ねた時に悟った。もう逃げられないという絶望を。しかしわたしの絶望など知らない彼は、極上の笑みを浮かべる。


 咄嗟に思った。このまばゆい笑顔を、一生忘れないでおこうと。

 これほど純粋な喜びに満ちた笑みは、きっと他にないから。


 彼は底知れない情熱を帯びた声でささやいた。まるで、長年の夢を叶えた人のような。


「やっと会えた。あなたこそ私が求めていたひとだ」


 その先に破滅があるからこそ、彼の笑顔は美しい。残酷なほど。



 生まれる前から決められた“運命”って、本当にあるのだろうか?


 ひたすら逃げてもがむしゃらに抗っても、最後には必ずそこへ行ってしまう。まるで人間の儚い努力をあざ笑う、何か超自然の力でも働いているかのような運命は。



 今生のわたしがそれを悟ったのは、五歳の時だったと思う。細かいところは覚えていないけれど、華やかな祝いの場だった。たしか、晴れた空の下で開かれたガーデンパーティだ。生まれたばかりヒヨコのようにいたいけな幼児のわたしは、新調したばかりのドレスを大人たちに褒められ、ご機嫌だった。


 だけど。


 青々とした芝生の上を、のらくらと歩む男の子がいた。歳は当時のわたしよりも少し上で、黒いジャケットに半ズボン姿だ。どこかぼんやりした表情の男の子が周囲の大人にうながされ、わたしの目の前に歩いてきた。


 その時だ。わたしがその男の子の顔を見た瞬間、爆発した。


 爆発したというのはただの比喩で、現実では何事も起きていない。起きたのはわたしの頭の中でだけ。その時わたしの頭へと、大量すぎる情報が流れ込んできた。まるで爆発でも起きたかのように、一気に。


 『思い出した』。それは、わたしが何度となく繰り返してきた過去の出来事。

 

 敵国の軍に捕えられたというのに、身代金をケチられあっけなく処刑。

 愛妾からさんざん馬鹿にされた挙句、刺客を向けられて暗殺。

 DV男から暴行を受けているのに、誰にも助けもらえずそのまま撲殺。

 数十年のあいだ山城に監禁され、最後は衰弱死。


 そこまででも充分悲惨だが、極めつけはすぐ前の前世だ。

 その記憶は五つの幼女に恐怖の悲鳴を上げさせた。


『ギっ、ギロチンこわーい!』


 五歳の幼児には少しばかり、というかかなり刺激的過ぎる内容だった。ギロチンに首を落とされて死ぬ記憶というのは、誰でも思い出したくはないだろう。


 繰り返すけれど、現実では何も起きていない。それなのに人の顔みていきなり恐怖の悲鳴を上げたわたしに、その当の男の子や周囲の大人がどうしたか。わたしは知らない。何故ならすぐに気を失い、倒れてしまったから。


 でもそれからだ。わたしの人生は一変した。正確には変えた。己の手で変えてみせた。

 

 断言する。運命は変えられる。そうでなければ――わたしの将来、今生もまた、お先真っ暗になるところだったのだから。



「ジゼル先生、また来週ー」

「また来週、エミリー。ルイスもベンも、もう遅刻しないようにね」

「わかってるよ、先生。今日はたまたま、久しぶりだから遅れちゃっただけ」

「そうそう。ずっと雨ふってたせいで、学校休みだったじゃん? 忘れちゃうよな、学校行くの」

「そうね、でももう忘れちゃだめよ。それと、寄り道しないで帰りなさいね。特に川へは行かないこと」


 授業が終わるのは正午だ。白いエプロンドレスの少女と、ズボンにシャツの少年たちが教室を出ていく。ここは教室がひとつしかない小さな学校で、子どもたちを送りだした先生、つまりわたしは、黒板の文字を雑巾で拭き落とす。


 床の掃き掃除が終わると、わたしの今日の仕事も終わる。戸締りをして学校を出た。


 ここはある島の中の、小さな小学校しかない小さな田舎町だ。そしてわたしはその教師。と言ってもまだ一年目なんだけど。


 舗装されていない土の道には馬車のわだちが残る。昨日まで続いた雨のせいで、地面はすっかり柔らかくなっていた。短革靴(ブーツ)が汚れないよう、脇を歩くとしよう。最初の頃、気づかずにはまって大変なことになったからね。


 とはいえ、そのブーツも飾りのない質素な代物だ。模様のない茶色の服は、高襟(ハイネック)で袖も長い。その服の上には、うっすら浮いたそばかすを隠すように眼鏡をかけた若い女の顔がある。固くひっつめてまとめた髪は薄茶色。ごく普通の、むしろ歳の割には地味で生真面目そうな、若い女教師がそこにいる。これが今のわたし。


 自転車に乗った郵便屋さんが前からやって来て、片手で帽子を上げた。


「やあ、こんにちはリントン先生。今日はもう終わりかね?」

「ええ。雨がやんでよかったですわね」

「まったくですな。島に足止めされていた例の客船も、今日ようやくウィングタウンを出港するようですよ」

「……そうですか。本当、よかったわ」


 わたしは心からの感慨を籠めてそう言った。本当にそう思う。あの客船には、さっさと出て行ってほしいと。


 この町の隣町、島で一番大きな町であるウィングタウンには港がある。本土から来た大きな外洋船が、大洋へ出る前に立ち寄れる最後の港だ。なので嵐の時など、それら外洋船が雨風を避けるため、しばし停泊することがある。


 郵便屋さんが話したのも、そのうちの一隻だ。天気が良くなるのを待っていた客船が、ようやく出港したらしい。それを聞いてわたしは非常に安心した。何故ってそれは――。


「で、先生も見物しに行きなさったのかい? “殿下”を」

「え!?」


 ほっとしたのはつかの間、郵便屋さんの言葉に、必要以上に反応してしまった。

 でもしょうがない。

 例の船に乗った客のうち、最も有名かつ高貴な人物のことを話題に出されたから。


 内心の動揺を押し隠し、わたしは答える。どうか顔がひきつっていませんように。


「も、もちろんですわよ。わたくしも一度お会い、いえ、見物してみたいものだと思っていましたもの!」

「ほう、先生のような方でもそう思うんですな。で、見えましたか」

「え? お、おほほほ。どうだったかしら」

「はは、遠くて何がなんだかわからなかった、というところですか。なんでも島中の娘がウィング港に集まったそうですね。嵐をものともせず、王太子殿下見たさに」

「あら、まあ。なんてモノ好きな……いえ、コホン」

 

 危うく素で答えるところだったが、咳払いでごまかした。さらに何かまずい発言をする前に、「ではごきげんよう」とにこやかに挨拶し、去っておく。


 馬車道からまばらに草の生えた細い小道へと入り、立ち止まって深呼吸すること数回。


「……出港してくれたらそれでいいわ。二度と来ませんように」


 今日までこの島に停泊していた例の客船にはひとりの青年が乗っていた。王家の一員で、高貴な生まれのお人だ。大洋の向こうにある東大陸を、訪問する旅に出たばかりだそう。その旅の始めから嵐に見舞われるとは、なんだか不吉な気もするけれど。


 でもその報せは一気に島中に伝わった。有名人が来ることなんて滅多にない。平和だけども退屈な生活に飽き飽きしていた島の娘たちは、嵐の中、こぞってウィングタウンへ集まったようだ。風雨を避けるため、船を下りた王太子殿下見たさに。


 そう、王太子殿下。国王の第一王子で、いずれ王位につかれる予定のお方。


 殿下はそれはそれは美しい青年だと、まことしやかに囁かれている。黒髪に、憂いたような白皙の美貌、とかゴシップ紙に書かれていた。“一級品の彫刻のように整ったその顔立ち。美しい貴公子のもの憂げな灰色の視線に見つめられて、昇天しない娘はいない”とも。へえそうなんだ、と思ったものだ。


 でも、わたしは見に行っていない。郵便屋さんには、悪いけど嘘をついた。それにしても、行った人は単なる目の保養で行ったのだろうか。それともまさか、まだ独身の殿下に、もしかして見染められでもしたら、という淡い期待を抱いているとか。そしていずれは王妃に、とでも? 若い娘なら、誰でもそんな夢をみるのだろうか。


 しかし、わたしはそうは思わない。

 王子? 王太子? それのどこがいいんだ。


 権力にぎって好き放題できる連中がロクなもんじゃないってことを、わたしは骨身に、ううん、魂に刻みこんできた。見たいとも、ましてやお近づきにもなりたいとも思わない。


 そうだ。同じ過ちを繰り返さないよう、刻み込んだ記憶を思い返しておこう。


――戦乱の時代だ。

 ある国の王が無茶な戦争を仕掛けたせいで、逆に攻め込まれた。敵軍は王のいる本陣ではなく、防備が手薄だった別の城を襲う。王の妃はそこで捕えられた。身代金と引き換えに捕虜を救う方法があったが、王はその金を惜しむ。見捨てられた王妃はあっけなく、そのまま処刑された。


――貧しい小国でのこと。

 富豪の娘を、その身分の低さを承知で娶った国王がいた。結婚に愛はなく、これみよがしに貴族の女を愛人にした。寵愛をほしいままにした愛人は思い上がり、とうとう自分が王妃の座につくことを欲する。始めから財産目当てだった国王はその願いを聞き入れ、妻に刺客を送りこんだ。


――強大な帝国でのこと。

 絶大な権力を握る皇帝がいた。逆らう者には死を賜るだけではなく、自ら拳もふるう。恐怖政治を敷き、廷臣は誰も逆らえない。皇帝の暴虐は妻子にもおよび、子を守ろうとした皇妃は逃げずにその盾になる。エスカレートする暴力で、命を落とすまでは。


――密通を疑われた王妃が山城に幽閉された。そこは牢獄のように暗く冷たく狭かった。救援を求める手紙はすべて破棄され、脱出できる望みはない。国王本人に懇願しても聞き入れられず、冷たい無視が繰り返される。最後に残された希望は安らかな死だけ、それすらも、長年の幽閉で錯乱した精神が許さなかった。


 それぞれに不幸な顛末だ。けれど、どれも本当にあったことだ。証明できる。なぜって、すべてわたしの身に降りかかったことだから。歴史的事実としても残っている。


 どういう星の下に生まれたらそうなるのか。自分でもわからない。けれど、わたしは何度も王妃と呼ばれる人生を生きてきた。時代も状況も異なるけれど、幾度も『王』と呼ばれる人の妻になった。


 なんて幸せな人なんだろうって? 贅沢し放題のお姫様生活を楽しんだんだろうって?


 とんでもない。どの人生も、夫になった男のせいで滅茶苦茶だった。身分が高かろうが低かろうが、不幸になるには関係ない。裏切り、侮蔑、監禁、暴力。形の違う極めつけの不幸を、味わうための人生だった。そう断言できる。もうこりごりだった。


 だから、だ。今生の自分に生まれて約五年後。五歳の時に過去世のすべてを思い出したわたしは、固く決意した。


――もう二度と、何があっても二度と王妃にだけはならない。


 貧しくたって地味だっていい。贅沢も波瀾万丈もいらない。平凡が一番。地道な日々の生活に幸せを見いだせる、穏やかな人生を望んでいる。


 そして現在の、島での教師生活にわたしは満足している。そのため、ちょっと立ち寄っただけの王太子の見物にも行かなかった。辺境に住む田舎教師が目に止まる心配なんかないけれど、今までの巡り合わせを考えると用心するに越したことはない。だから今日、出港したと聞いてようやくわたしの緊張は解けた。


 ああ、よかった。はあっと息をついたところで、後ろから明るい声がかかる。


「ジゼル、おかえり!」


 声で誰だかわかったわたしは、思わず微笑みながら振り返った。十代後半の少女がそこに立っている。


「サラ。何を言うの、あなたこそお帰りなさいでしょう」

「ううん、わたしはさっき家に帰って、荷物を置いてまた出て来たの。だからジゼルにおかえりでいいの。ね、来て! 早く」


 初めて会った時には三つ編みお下げにしていた金色の髪を、今は大人っぽく結い上げたサラ。彼女はわたしが下宿しているバーリーさん家の娘で、ふだんはウィングタウンにある寄宿学校で暮らしている。


 週末を過ごすため実家に帰って来たサラは、わたしの腕をとると、強引に連れて行こうとする。


「どうしたのよ。なんだか幸せではち切れそうに見えるんだけど? なあに、とうとうロジャーが何か申し込んだの?」

「ロジャー? 一体どうしてあの人が出てくるのか知らないけれど、ぜんぜん関係ないわ! もっといいことよ、ねえジゼル、今夜空いてるよね? お願い、空いてると言って」


 どうしたんだろう。はしゃぐサラは喜びで興奮している。ロジャーはサラの幼馴染みだけど、今はなぜか気詰まりな空気が流れているとわたしは聞いていた。だけどサラの様子は、そのどこか甘酸っぱい関係のロジャーと、何か進展があったせいではないようだ。


「今夜よ、今夜! あのね、ウィングタウンでダンスがあるの!」

「ダンス? ダンスって舞踏かい……じゃなくてパーティーのこと?」

「そう、ダンスパーティーよ。それも町長さんのお宅で開かれるんだから」


 町長さんっていうと、ウィングタウンの町長か。確か町一番のお屋敷で、つまり島で一番大きな屋敷で開かれるパーティーだってことになる。


「学校の友達もみんな行くのよ。でね、パパにお願いしたら、『ふむ、リントン先生がお前に付き添ってくれるなら構わんよ』ですって」

「そうなの? サラにはまだダンスパーティーは早い気がするけれど……」

「ジゼルったら、十六はもう充分おとなよ! 今夜のはわたしが大人のパーティーにデビューするのにピッタリなの。ね、お願いジゼル、行くと言って」


 どんなに楽しみかをしゃべり続けるサラの相手をするうちに、下宿先、バーリーさんの家に到着した。


 島一番は町長宅かもしれないけれど、バーリー家も中々の邸宅だ。白い板壁に緑に塗られた窓枠が映える、赤い切妻屋根の総二階。わたしが借りている二階の部屋へと、サラはそのままついて来た。


「ねえ、すぐに準備しないと。何着ていく? わたしはもう決めたから、ジゼルの服も選んであげよっか」

「あら。誰も行くなんて言ってないわよね?」

「ええ!? そんな」


 わたしのからかいに、サラは本気でショックを受けた顔をする。でもその表情からして、無理強いできるとも思っていないのだろう。甘やかされてはいるけれど、素直で愛くるしい、妹みたいな子だ。


 仕方ない、か。心配事が消えた今、わたしにとっても決して悪い話ではない。


「いいわ、行きましょう。さて、ドレスはどれにしたらいいと思う?」

「ほんとに? やった、じゃあねえ……」


 この時のわたしの決断。自分が背負っているものにはほとほと愛想が尽きていたのに、この気まぐれが自分の一生を左右するなんて、夢にも思わなかった。


運命って、ほんと怖い。




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