クリスマスイブ
クリスマスイブ。
今日は12月24日木曜日。時刻は午後7時を少し過ぎた頃。
クリスマス前日の今日、駅前のクリスマスツリーの前では壮絶な修羅場を迎えていた。
突如男は咆吼した。
その自尊心を粉々に破壊され、やり場のない悲しみや怒りや悔しさといった様々な感情が暴発すると同時に、男の心は支えをなくし、完全に我を見失っていた。
男は乱暴に手をコートのポケットに突っ込み、弄った。次に外に現れた手にはナイフが握られていた。
「死ねぇぇぇえええええ!!!!」
男はけたたましく叫んだ。刹那、男は桜木美咲にナイフを向け走り出した――
――遡ること2時間前。
「もしもし、桜木さん?」
僕は桜木さんに電話した。
「もしもし。どうしたの、長谷川くん」
彼女の透き通った声は僕の心をポカポカさせてくれる。
今こうして彼女と話せていることがもう嬉しくてたまらない。
「もしもし?」
彼女と電話している喜びを噛み締めていた僕は、つい返事することを忘れていた。
「ごめんごめん。えっと、今電話して大丈夫かな?」
僕はおそるおそる彼女に聞いた。
「うん、大丈夫だよ」
彼女のその返答に僕は安堵した。そして、僕は本題を切り出した。
「少しだけ会えないかな?直接話したいことがあるんだ」
そう、僕にはどうしても直接会って伝えなければならないことがあった。
「え、これから?!」
彼女は驚いていた。それもそのはずだ。何の前置きもなく突然尋ねたのだから。
彼女があたふたしている様子は電話越しにでも伝わってきた。
彼女の言葉が詰まって初めて、恐怖が僕を襲った。断られることを事前に考慮しなかったことを急に後悔し始めた。
声を震わせつつ、僕は彼女に聞いた。
「無理……かな?」
お願いだ。いいよと言ってくれ。
僕は心の中で必死に祈った。昨晩を境に完全に有神論家となった僕は、神のご加護を信じた。
「いいけど……、少し時間もらっていい。準備とかしなきゃいけないから……」
彼女の返事は少し歯切れが悪かった。しかし、今更そんなことは気にしていられない。
「よかった!じゃあ、7時頃でどうかな?場所は……昨日の駅前のクリスマスツリーの前で」
「うん、わかった!」
彼女は了承してくれた。
「じゃあ、また後でね」
「うん」
彼女の返事を聞き終えた後、僕は電話を切った。
午後7時に駅前のクリスマスツリー前。僕の胸は最高潮に高まっていた。
さて、どんな服を着ていこうか……。
「全然決まらないよお」
暫く試着を繰り返していた僕は嘆き座りこんだ。一体どのような服を着ていけばよいのか。待ちに待った瞬間に臨むのだと思うと余計に悩んでしまう。
一人では決められないと判断した僕は最後の手段をとった。
「お母さん。ちょっと手伝って欲しいんだけど」
何着か服を持ち出した僕は、一階でリビングで編み物をしている母を頼ることにした。
「あら、そんなに服を持ち出してどうしたの?」
母は不思議そうに僕に尋ねた。
「実は……」
僕は事情を全て話した。真剣に話す僕を尻目に、母は始終にやけていた。
事情を話し終えた僕に母は言った。
「お母さんに任せなさい。これでも昔はファッションデザイナーなんかもやってたんだからね」
母は満面の笑みで答えた。
これほど母を頼もしいと思ったことはなかったかもしれない。僕は母にコーディネートの全てを委ねた。
「寒いな……」
僕はぼやいた。
もうすぐ7時になる。果たして彼女は来てくれるのだろうか。
僕は本当は寒さよりもそっちの方が気になっていた。
「それにしても綺麗だな」
イルミネーションが点灯したツリーは神々しくもあり、なにより美しかった。
そのツリーの周りには、沢山のカップルが僕と同様にツリーを眺めていた。
「長谷川くーん!」
僕を呼ぶ声が聞こえたと思ったそのとき、僕の首筋をひんやりとした感覚が襲った。
「冷たっ!」
僕は何事かと首筋を押さえつつ振り返った。
「やったー、大成功!!」
背後で桜木さんはあどけなく笑っていた。
子供じみた一面もあるのだなと僕はほっこりした気分になった。同時に、今まで見たことのなかった彼女を見ることが出来た喜びも感じた。
「冷たいよ~」
僕は口を尖らせて言った。
「ごめん、ごめん」
彼女は謝ってきたものの、僕はそこに謝罪の気持ちなど微塵もないのであろうと思った。しかし、不思議と不快感はなかった。
「ごめんね、急に呼び出して」
僕はまず突然の誘いを謝った。
「全然いいよ。私こそ、準備してないからって時間を遅くしてもっらちゃってごめんね」
彼女も僕に謝った。
なるほどなと僕は思った。
彼女をまじまじと見てみると、昨日の彼女とはまるで雰囲気が違った。まるで大人のような上品さや品格があり、それでいて高校生らしい清楚さや清潔感を感じた。
彼女も僕のようにどんな服を着ていくかで悩んでくれたのかもじれない。
そう思うと、余計に僕は彼女のことを好きになりそうだった。
「どうしても直接伝えたいことがあったんだ。まず、僕は桜木さんに謝らなきゃいけない」
「どうして謝るの?」
彼女は不思議そうに尋ねる。
「終業式の日、僕は自分の誤解から桜木さんに素っ気ない態度をとってしまった。だから、あの時はごめん」
「終業式の日?ああ、確かに長谷川くん、ちょっといつもより暗かったね。いいよ、全然気にしてないから」
彼女は笑って許してくれた。その様子を見て、僕はひとまず安心した。そして、本題を切り出す。
「それから、どうしても桜木さんに伝えたかったことがあるんだ」
僕の言葉を聞いた瞬間、彼女の表情から笑みは消え、途端に真剣な表情になって彼女は僕に聞いた。
「伝えたいことって?」
僕は躊躇った。
この言葉を言ってしまえばもうこの関係には戻れなくなるかもしれない。
決断するために、僕は意識の中に降下した。
意識の中では二つの言葉が激しくぶつかり合っていた。
一つは「現状維持」。そしてもう一つは「進展」。
今、僕の自我は二つに分断されている。
「もしフラれたらどうするんだ!」
現状維持は叫ぶ。
「その可能性は十分にある。でも、この状況で満足なのか?」
進展が問う。
「お前は十分に幸福を味わっただろう!」
現状維持は一歩も引かない。
進展はさらに問う。
「お前の本来の目的は何だ」
「それは……」
現状維持は言葉が詰まる。
追い打ちをかけるように続けて進展が言い放った。
「お前の目的は、『くりぼっち』を脱却することであり、桜木さんと付き合うことではなかったのか!」
現状維持は狼狽えた。
進展はさらに続ける。
「お前のようにもしもの話をしよう。もし、桜木さんが他の付き合うことになったとしたら、お前はどう思うんだ!!」
「それは……」
「正直に答えてみろ!!」
進展は大喝した。
「そんなの、嫌だぁあああああああ!!!!!!!」――
「長谷川くん……?」
彼女の僕を呼ぶ声で、僕は現実に戻された。彼女の姿を再認識したとき、僕の中に熾烈な感情が駆け巡った。
目の前には桜木さんがいる。後はこの思いを告げるだけなんだ。
僕は覚悟を決めた。大きく深呼吸をして、僕は口を開く。
「桜木さん。僕は……、僕は、桜木さんのことがずっと……」
僕が核心を告げようとした時、僕の視界は桜木さんの向こうにある人物を捉えた。
「霧崎……?」
僕が彼の名前を呼んだとき、既に霧崎は頬を引きつらせ不気味に笑っていた。
「美咲ちゃん……。なんで長谷川なんだよ」
「えっ?!」
霧崎が桜木さんの名前を口にしたとき、漸く彼女も霧崎の存在に気付いた。彼女は後ろを振り返り、霧崎の姿を認識する。
「霧崎……くん?どうしてここに??」
桜木さんの問いかけに、霧崎は声を荒げて言った。
「そんなことはどうでもいい!なんで……、なんで俺じゃなくてこいつなんだよ!!」
霧崎のその姿を見た僕は愕然とした。
今の霧崎の姿はまるでいつもと違っていた。怒りで毛は逆立ち、瞳孔は完全に開いている。
僕は恐怖を覚えた。すぐに身の危険を感じた。
「言ったでしょ、私には運命の人がいるって!気持ちは嬉しいけどあなたとは付き合えない」
彼女が言い返す。
駅前のロマンチックな雰囲気は一変した。そこにいた人々はみな僕たちに注目していた。
「俺の方が、俺のほうがこいつなんかより勝ってる。顔なんて俺のほうが断然いいし、勉強も俺の方ができる。それに、俺には美咲ちゃんを幸せにできる自信があるんだ。長谷川なんかより俺と付き合えよ!!」
霧崎の怒号は広場中に響き渡った。
しかし、彼女は負けじと言い返す。
「私は運命を信じてる。どんなにかっこいい人が現れても、どんなに勉強ができる人が現れても、どんなに私を幸せにする人が現れても、私の気持ちは変わらない。私には運命の人がいて、私はその人のことが好きなの!!」
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……」
霧崎は誰もが認めるイケメンだ。勉強もかなりできる。正に才色兼備だった。しかし、霧崎には致命的な欠陥があった。霧崎はその高すぎる能力がゆえに、他人を卑下し、自分を絶対とする高すぎる自尊心によって支配されていたのだ。
突如、霧崎は咆哮した。
その自尊心を粉々に破壊され、やり場のない悲しみや怒りや悔しさといった様々な感情が暴発すると同時に、霧崎の心は支えをなくし、完全に我を見失っていた。
霧崎は乱暴に手をコートのポケットに突っ込み、弄った。次に外に現れた手にはナイフが握られていた。
「死ねぇぇぇえええええ!!!!」
霧崎はけたたましく叫んだ。
刹那、霧崎は桜木美咲にナイフを向け走り出した。
――このままでは桜木さんが危ない。
僕は一瞬で悟った。彼女を助けないと。
恐怖に硬直していた僕は、何か得体の知れない力によって体の自由が解放された。僕は咄嗟に、彼女を抱きしめた。僕はナイフが迫ってくる側に立ち、力強く抱きしめたのだ。僕がどうなったとしても、彼女だけはなんとしてでも助けたかったのだ。僕にはこれくらいしかできなかった。
「グサリ」
鈍い音が聞こえた。
鋭利な刃物が肉を貫通した感覚を全神経が感知した。途端に脳は、身の危険を知らせる警報を発令した。
背中を激痛が襲う。
「あ、あ、あ、ああああああああああ!!!!!」
霧崎は悲鳴をあげ、ナイフを傷口から引き抜いた。
僕は生暖かい感触を肌で感じた。
「キャーァアアアアアア!!!!!」
周りにいた人にも悲鳴は伝染した。クリスマス前夜、カップルが憩っていた駅前の広場はパニックに陥った。
僕は立っていられなくなって膝をついた。
傷口に手をやると、その手はすぐに独特の生暖かい感触を感知した。
僕は目の前の彼女を見上げた。彼女は気が動転してしまっているようだ。僕は彼女にまでナイフが貫通していないことを確認し、安心した。
やがて膝立ちすらままならなくなり、僕は地面に倒れ込んだ。
「長谷川くん、長谷川くん!!いや、いや、いや、いやあああああああああ」
漸く我に返った桜木さんは僕が臥しているのを見るや否や、悲鳴をあげ泣き崩れた。
僕の視界は、やがて霞んできた。
薄れゆく意識の中で、僕は神に願った。
「ああ、神様。あなたは僕を裏切ってしまわれたのですか?いいえ、そうじゃありませんよね。あなたは僕に彼女を守る力を与えてくださった。あれはあなたの仕業なんでしょう?あのとき、もしあなたが僕の恐怖を解いてくれなければ、僕は彼女を守ることができなかった。私はあなたに感謝します。最後に一つ、お願いです。もし僕が死んでしまったなら、僕をすぐに転生させるなんてことはやめてください。僕は彼女を守り続けたい。どうか、僕に、彼女を見守る時間をください」
聖夜を控えるクリスマスイブの晩は、実に凄惨だった。




