クリスマスまで残り三日
クリスマスまで残り三日。
今日は12月22日火曜日。このカウントダウンはもはや無意味であるが、一応しておこう。今学期最後の登校日の今日、僕は浮かない顔で校門をくぐった。時刻は午前7時30分。いつも遅めの登校の僕が今日こんなにも早く学校にきたわけというのは、気まぐれであり、昨日の仮病で昼間から眠っていたため朝早くに目がパッチリ覚めてしまったからでもあり、そして単なる腹いせである。
僕は閑散として誰もいない教室に到着した。以前の放課後に熟考していたときの教室の風景と似ているようであるが、太陽の光は希望に充ち満ちたような蛍光の黄色であり、窓辺の花瓶の影はおよそ東南東から西北西に向かって伸びている点で、今が朝であると判断できる。
僕はゆっくりと自分の席に着いた。室内はものすごく寒い。まだ使い古しの手袋はつけたままであるが、それでもなお僕の体は寒さで震えていた。首元になにもつけていない僕にはいっそう寒く感じられた。各教室には備え付けの暖房があるものの、それは事務室で集中管理されており、まだ職員が来ていないのか動いていない。僕ははぁーっと息を吐いてみた。案の定、それは白い煙となって天井に消えていった。僕は来て早々、早く来すぎたことを後悔していた。
――ガラガラガラガラ
年季の入った教室の引き戸が音を立てて開いた。
「あれ、長谷川くん?」
寒さに体を縮めて俯いていた僕は扉が開いた時もその体勢を維持していたのだが、印象深い透き通った声を聞いた瞬間、ハッと顔を上げて声の主の方を見た。
「桜木さん……?」
声の主というのは、なんと昨日まで僕が彼女にしたいと思っていた桜木美咲だった。
「おはよう。珍しいね、長谷川くんがこんなに早く来てるなんて」
「うん」
僕はたった二文字の素っ気ない返事をして再び俯いた。
「寒いね。私はいつもこの時間に登校するんだけど、時々まだ暖房が動いてない日があるんだよね。今日は外れの日かな」
彼女は両手でそれぞれ反対側の腕を小刻みにさすりながら僕の隣の席に着いた。
つい二日前の僕ならこのシチュエーションに歓喜していただろう。だが、今の僕にとって桜木さんと二人きりというのは苦痛でしかなかった。
「昨日は体調不良って聞いたけど、もう大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
僕はまた素っ気なく返事した。
彼女にとって僕と話すことは平気でも、僕にとっては彼女と話すことは平気ではない。僕のことを友達としか見ていないであろう彼女とは違うのだ。
昨日の出来事で失意の中にいた僕は、彼女のいつもと変わらない態度に苛立ち始めていた。彼女は何も知らない。僕の思いなど知る由もない。彼女のその態度は、僕のことなど微塵も理解していないことを痛感させた。
「もうすぐクリスマスだね」
彼女は言った。
「そうだね」
僕は言った。
彼女の想い描くクリスマスと僕の想い描くクリスマスは全く違っているだろう。僕は悔しかった。悔しくて悔しくて仕方がなかった。あきらめきれない自分がまだ心の中にいて、その感情を引き起こしているのが腹立たしかった。
「トイレ行ってくる」
僕はそうとだけ言って二人きりの教室を抜け出した。別に用を足したいわけじゃなかったが、あの空間にいることが耐え切れなくなったため僕はトイレに逃げ込むことにした。そして、朝のショートホームルームギリギリまで僕が教室に戻ることはなかった。
「なんか今日元気ないな。何かあったのか?」
今学期最後の日程を全て終え放課となってすぐに、木山は僕の席にやってきて覗き込むようにして僕に尋ねた。木山はやはり僕の一番の理解者だ。ただ、僕の失恋について、今は語る気が起きなかった。
「一応病み上がりだからな」
僕はそう言ってその場を凌いだ。
「そういえばさ、昨日のメール見たか?」
「え?」
彼の質問に僕は戸惑った。彼から電話はきていたがメールなんてきていなかったからだ。因みに電話を無視した僕は、掛けなおす気分ではなかったので、電話の主だけ確認して放置していた。
「ほら、送っただろ?霧崎の告白についてのメール」
「あ、ああ。そういえばきていたな。読んだよ」
メールなんてきていなかったが、『霧崎の告白について』と言われると大体内容が想像ついたので、僕はメールを読んだことにしておいた。
「そっか。よかった。それだけはいち早く伝えておきたかったんだ」
笑みを浮かべながら木山はそう言った。
僕が失恋したというのにへらへらしている木山を見て、このとき初めて木山に対して苛立ちを覚えた。僕は何も言わなかったが、木山に裏切られた心持ちがしてならなかった。一番の理解者という前言が僕の思い込みだったのかと疑ってしまった。
その後の会話は早々と切り上げ、僕は帰る支度をして教室を出た。教室を出る直前、かつては敵だった霧崎を一瞥したが、そこから何かが生まれるわけでもなく、ただただ虚しさが募った。
クリスマス戦争か。戦争にすらならなかったな。
僕はコンクリートできれいに舗装された土手沿いの道を歩きながら思った。
一人で勝手に霧崎がライバルだなんて決めつけて、桜木さんのを絶対彼女にしてやるなんて意気込んで……。僕の全ての熟考も葛藤も全て無駄で無意味だった。こんなことなら恋なんてするんじゃなかった。今年もくりぼっちでいようと思うべきだった。
僕の悔しさはいつしか後悔に変わっていた。恋なんてするんじゃなかったという後悔。僕はスマートフォンで桜木さんの連絡先を眺めた。途端に僕は、今すぐこのスマートフォンごと土手に投げ捨てたい衝動に駆られた。しかし、実質的には僕は桜木さんにフラれたわけではない。それに、まだ三学期が残っていて、後三か月弱は彼女と一緒のクラスで生活しなければならない。そんないいわけとも聞こえる考えが僕の脳裏に過り、今後も良好な人間関係を保つためにはこのスマートフォンを土手に投げ捨てるわけにはいかないという結論に至ったので、静かに僕はそれをポケットにしまった。
開戦の狼煙が上がることすらなかったクリスマス戦争。桜木さんはもう手の届かないところに行ってしまった。僕は土手を通り過ぎてもまだしばらく続く帰路を、肩を落としてとぼとぼと歩いた。
クリスマスまで残り三日。そうだ、明日は駅前のイルミネーションを見に行ってみようか。立派だって評判であるし、かねてより見てみたいと思っていた。クリスマスに一人で行っても惨めになるだけだろうから、明日行くことにしよう。
消化試合といきますか……。




