化学者タケル
「うーん・・・」
誰かのすすり泣く声が聞こえる。俺はどうしたんだっけ・・・
なんだか長い長い夢を見ていた気がする。俺は随分と固いベッドで寝ているな・・・いやこれは床だ。
煉瓦のようなものでできていた。
起きないと
そう思い体を動かそうとするが、後頭部に鈍痛が走った。頭痛とは違う。もっと明確な痛みだ。
上半身を起こすと目の前には鉄の格子が。
どういう事だ・・・・?
ふと隣を見ると、体育座りで肩を震わせ泣いている少女がいた。
・・・・そうだ思い出した。俺はこの子の父親を助けにいって、後ろから殴られたんだ。
「君、ここはどこ??っ痛てて・・・」
声を出すと脳が軋むように痛む。痛みの発生源である後頭部を手で押さえた、幸い出血はしていないようだった。
目を真っ赤にはらした猫耳少女は俺の顔を見ると大声をあげて泣き始めた。
「ごめんなさぃーーー!!」
「どうしたんだい!?ここはどこ?君のお父さんは??」
猫耳少女は泣きながら俺に全てを打ち明けた。
少女はいわゆる奴隷の身分で仕事を探していたところ、俺たちの話を聞き、俺に何らかの価値があると思い込んで奴隷商人に売ったらしい。
しかし交換条件だった金貨はもらえず、猫耳少女は俺と一緒に捕まってしまったという。そしてここは奴隷商人のアジトの牢屋である。
「なるほど・・・ふざけるなぁーーー!!」
俺は怒りのシャウトをかました。牢獄中に俺の声が響き渡る。
・・・とにかくここから脱出しなければ。
泣きじゃくる猫耳少女を放置し、牢屋の中を見回す。正面には頑丈な格子が、それ以外の壁は煉瓦でガッチリと組み込まれており、都合のよい穴などは微塵もなかった。牢屋の中には火のついた蝋燭と壁にかかっている錆びだらけのエンブレムのようなものしかなかった。
要するに脱出は不可能・・・
「うわーーーーー!!!」
鉄の格子を掴み、思いっきり押し引きするが手に錆がついただけでびくともしなかった。
俺はその場に膝をつき、がっくりと項垂れた。
こんな、こんなことになるなんて、あんまりだ!!ひどすぎる!
「・・・なぁ、俺達このままここにいたらどうなるんだ?」
「わからないけど・・・きっとどっかの鉱山に売り飛ばされて・・・一生働かされるんだ・・・うわーーーん!!」
「そ、そんなぁ」
漂流刑より厳しい現実を目の前に叩きつけられ俺の目の前は真っ暗になった。
しかも避けることはできない。見知らぬ世界で強制労働。俺みたいな貧弱の極みはきっと3日も持たないだろう。
「ロランさーーーん!!俺はここです!!助けて下さい!!」
きっと、きっとロランとフィアナが助けに来てくれる!そう思うしかなかった。
どれぐらい時が流れたのだろうか・・・一向に誰かが助けに来る気配はない。絶望の色が次第に濃くなっきていた。猫耳少女は疲れたのか、牢獄の隅で縮こまっていた。
俺はじっとしてられず狭い牢獄内をぐるぐる歩き回る。ただ助けが来てくれるのを待って・・・
すると突如、隅にいた猫耳少女が耳をピンと立てた。
「そうだよ!あんたユリウス人なんだから魔法使ってよ!価値のある凄い人なんでしょ!?」
「・・・俺は使えない。それに価値もない」
「え?」
俺は自分が今日初めてこの世界に飛ばされてきたこと、一切魔法が使えないことを少女に話した。
「もうダメだよ・・・おしまいだよぉ・・・」
「泣きたいのはこっちだよ・・・」
2人して頭を塞ぎ込んでしまった。だが、俺は何も悪くないじゃないか。むしろこれは立派な誘拐事件だ。成人男性が中学生くらいの獣人に誘拐される事件。
あれ、普通は逆じゃないか?というかこれだとむしろラッキー・・・
いや、今は命がかかってるんだ。金のために人を売るなんて許されない行為である。
こいつのせいで・・・
俺の中で沸々と猫耳少女に対する憎しみと怒りが湧き上がってきた。俺は猫耳の少女を睨みつけた。よく見るとボロボロの服から柔らかそうな肌が露出している。・・・それにけっこうかわいい。
・・・どうせ死ぬなら今やれることをやるべきではないのか!・・・男として!!
極限状態に陥ると人の判断力は低下する、と何かの本で読んだ。今の俺がまさにそれだ。
もはや教師としての尊厳は影も形もない。法律なんてクソくらえだ!!
ゴクリと生唾を飲み込む。俺は禁断の一歩を踏み出そうと少女の体に手を伸ばした。
「キャーーーーー!!!」
・・・結果的に言うと俺は返り討ちにされた。肩にいやらしく手を置いた瞬間、腕の関節を決められていた。
「何すんのさ!!変態!!変態!!」
この猫耳族は運動神経がいいらしい。それを身をもって学ぶことができた。
「いでででっ!誤解なんだ!ギブアップ!ギブアップ!」
「遊んでないでよ!・・・もうっ!バカっ!」
やっとのことで腕を放してもらえた。危なかった・・あと一歩で犯罪を犯してしまう所だった。少し落ち着いた方がいいかもしれない。
ドンドンドン
突如、足音が廊下に鳴り響いた。誰かが近づいてくる。遂に助けが来てくれたのか!?
だがその期待はすぐに絶望へと変わった。格子の前に身長二メートルはあろう大男が立ち止まり、俺たちをギロリと睨みつけた。手には巨大な棍棒が握られている。
「「ひっ・・・」」
気が付くと猫耳少女は背中にしがみ付き俺を盾にしていた。
「てめえら・・・さっきからうるせぇんだよ!!!」
大男は鼓膜が張り裂けんばかりに大声をあげ、棍棒で鉄の格子を思いっきりぶっ叩いた。
その衝撃と音に蝋燭が消え、天井から煉瓦の粉がパラパラと降り注ぐ。壁にかかっていたエンブレムが音を立てて落ちた。
猫耳少女が俺の背中を強く掴む。
「次にわめいたらタダじゃ済まさねえぞ。ったく、上にはボスがいるんだ」
男は不機嫌そうにそう言うと再び音を立てながら帰っていった。
「・・・大丈夫?」
俺は猫耳少女にそう尋ねた。
「・・・うん、怖かったけど・・・平気だよ」
少女の手は小刻みに震えていた。俺は何を言っているんだ・・・大丈夫な訳ないじゃないか。俺の手も恐怖から震えていた。それを中学生ぐらいの子が耐えられるわけがない。
今の出来事で目が覚めたような気がした。さっきまでは現実を受け止められず二人でわめいていただけだ。俺も疲れて、錯乱していたんだ。精神を落ち着かせるため大きく深呼吸をする。
ここから何としても出なければならない、2人で一緒に
「蝋燭消えちゃった。火つけなきゃ」
・・・そう言えば、この少女はどうやって蝋燭に火をつけたんだ?少女は懐中時計のようなものを取り出すと蓋を開け、中に入っていた黒い粉を少しだけつまんだ。その手を蝋燭の芯に持っていくと、指パッチンの要領で指をこすり合わせた。
そうすると、少女の指先からボウッと火が現れ、再び蝋燭に明かりが灯った。
「それは?」
黒い粉について少女に尋ねた。
「本当に知らないの?これは魔法が使えない種族が火を起こすために使う黒紛だよ」
「・・・見せてくれ!」
そう言って黒い粉を掴むと俺も少女と同じように指パッチンをした。確かに指先から一瞬だけ炎が出現する。
どうやらこれは衝撃を与えることにより発火する性質があるらしい。
だがこれだけじゃどうにもならない。ここから脱出するにはどうすればいいんだ・・・
「ん?これは・・・」
「どうしたの?」
俺は床に落ちたプレートをまじまじと眺めた。落ちた時の衝撃で表面の錆が削れ、元地の銀色が姿を現した。それに、持ってみると意外に軽い。
「そうか・・・」
頭の中で点と点が繋がる。
「この黒粉を全部くれ」
「え?急にどうしたの?」
「ここから出られるかもしれない。とにかく手伝ってくれ!」
「ほ、本当!?出れるの!?」
猫耳少女が驚いたような声をあげた。
「うん、そのためには協力が必要なんだ。えーと・・・」
「私はアルだよ!」
逃げられる可能性は少ないが、やってみる価値はある。
俺はアルに指示を出すと次の問題を解決するための糸口を探し始めた。
「できたよ!」
「よし、あとは任せてくれ」
アルが持ってきた銀色の粉末を破ったローブの布切れに包みこむ。そうしてテニスボールぐらいの大きさのものが二個出来上がった。準備は整った。後は実行するだけだ。
「さっき言った通り、俺は上に行く、けど必ず戻るから。信じて。」
「・・・うん、わかった」
アルは不安げに頷いた。一か八かやるしかない。
「おーーーい!!看守!!!話があるんだーー!!!」
俺は大声で何度も叫んだ。しばらくすると看守の足音が聞こえてきた。
「てめぇ、覚悟はできてるんだな?」
その迫力に思わず逃げたくなるが、もう引くことはできない。
「ここのボスに会いたいんだ。頼む、重大な話なんだ」
「・・・」
「俺は魔導士の持ってる大金の隠し場所を知ってる!本当だ!教えてやるから解放してくれ!」
看守の大男はしばらく考え込むと、腰に付けていた鍵を使って格子を開けた。
「もし、嘘だったら・・・わかってるだろうな?来い」
薄暗い廊下を進み階段を上がると、目の前にドアが現れた。ドアの前には屈強な男2人が立ち、門番をしていた。
「これをつけろ。貴様は使えないようだが、念の為にな」
ドアを開ける前に腕輪をつけられた。これをつけると魔法が使えなくなるらしい。
腕輪がついたのをを確認すると門番2人がドアを開けた。
「さあ行け!」
部屋の中はそんなに広くなかった。部屋の奥には趣味の悪い服を着て、ダイヤモンドや宝石で身を固めた肥え太った男が椅子に座っていた。
「君かね?奴隷の分際で私に話をしようという輩は」
ドンと後ろから背中を押された。話せということだろうか。
「・・・そうだ。とっておきの話があるんだ・・・大金のありかを知ってる」
「ほお、話してみろ」
「話す前に条件がある」
そう言うと周りから笑いが起こった。人を馬鹿にするような嘲笑。椅子に座っている男も歪んだ笑みを見せている。
「奴隷が私に指図をするか、話にならんな・・・おい、殺せ」
男が隣の側近に合図をすると側近の兵士は剣を抜いた。
「待ってくれ!!」
俺はズボンからさっき作った袋を取り出す。兵士の動きが止まった。
「金貨か?そんなものはいらん」
「金貨?・・・それはどうかなっ!」
俺はそう言うと持っていた袋を思いっきり地面に叩きつけた。
瞬間、激しい炸裂音と共に部屋が眩い閃光に包まれた。袋は激しく燃え、黒煙を吹きあげている。
「目がっ!!」
男たちは目を押さえ、閃光を直接見てしまったものは地面にのたうち回っていた。
「動くなっ!!今度はケガ人が出るぞ!」
俺がそう叫ぶと全員が俺の方に注目した。
「待てっ!手を出すんじゃない!」
椅子に座っていた男は目を押さえながら兵士たちにそう命令した。兵士たちは抜刀しながらも、じりじりと俺の周りから離れていく。
「出口の鍵と牢屋の鍵をこっちに渡せ!早く!」
棍棒を持った大男の看守は戸惑いながら男の方を見ている。
「・・・渡してやれっ!」
男がそう言うのを確認し、俺は看守から二個の鍵を奪い取った。
「それでいい・・・っ!動くなよ!」
壁に背を預け、ゆっくりと扉の方へ進んだ。兵士たちは警戒しながら俺の方を見続けている。
自分が部屋から出たのを確認し、もう一つの袋を部屋の中央に向かって放り投げた。
「ぐわっ!!」
男たちの悲鳴を背に、元来た道を素早く戻っていく。成功だ!!
「おーーい!!ここだよーーー!!」
アルの声を辿り、牢獄まで走った。
「タケル!信じてたよ!うわっ、顔が真黒だよ!?」
「ああ、それより早く逃げるぞ!!」
格子を開け、出口の扉へと二人で駆け抜けた。予想した通り、出口の扉には鍵がかけられていた。
「すごいっ!やっぱり魔法使えたんだねっ!!」
アルが興奮した声で言った。
「いや、マグネシウムの燃焼反応を利用したんだ。マグネシウムは発火すると凄まじい閃光を出す。あれだけの粉末を一度に燃焼させたから、効果も相当なはずだよ!」
「どういうこと?」
「魔法なんかじゃない、化学ってことさ!」
扉を開けると日はもうすっかりと落ち、辺りは暗闇に包まれていた。
「追ってが来る前に逃げなきゃ!こっちだよ!」
無事に脱出した俺たちは追っ手から逃げるため、夜のジオを疾走するのだった。