出会い③
「駄目だ。助けることは出来ぬ。大地に、自然の中に生きる者の定めだ」
「嫌だ!絶対嫌だ!怪我してるんだよ!おっ父は……カムイを見捨てるの?狼はカムイなんだろ」
その叫びには涙と怒りが混じり、幼い声ながら胸を打つ迫力があった。母親がそっと口を開いた。
「あの狼はまだ幼いし……怪我の手当てだけでもしてあげられないかしら」
「おまえまで何を言ってるんだ」
父親は眉をひそめた。
「でも……源太の生き物を思いやる優しい心は、大切な恵みだと思うわ」
父親は黙り込み、ぶら下がった子狼の前足に目を落とした。蔦の棘が深く食い込み、そこから赤い血が滴り落ちていた。しばし視線を落とし、ため息を吐いた。
「……源太、水はどうした?」
「おっ父!」
「早く汲んでこい、お前の仕事だろ」
「おっ父!」
源太は唇を噛み、必死に父親を睨みつけた。だが次の言葉が返ってきた瞬間、表情がぱっと輝いた。
「水が無ければ湯も沸かせん。傷の手当をして、その子の体を洗ってやれ」
「おっ父!うん、すぐに汲んでくる!」
源太は子狼をそっと床におろし、一目散に川へと駆けていった。母親はその後ろ姿を見つめながら、そっとつぶやいた。
「あの子も泥だらけね」
そして倒れている子狼へと視線を戻し、小さく首をかしげた。
「この子は……大丈夫かしら」
父親は厳しい声で答えた。
「分からん。随分衰弱しているし、駄目かもしれん。それならそれで良い。こいつは野生の狼だ。我らは狼と共存して生きてきたが、それは一緒に暮らすという意味ではない」
母親は静かに頷いたが、どこか納得できない面持ちだった。父親はさらに低く言葉を重ねた。
「おまえも覚えておろう。昔、下の部落で狼を飼った家がどうなったかを」
母親の表情に影が差した。唇が小さく震え、思い出したくない記憶を噛みしめるように黙り込んだ
それを言われて、母親の顔はふっと暗くなった。あの出来事を思い出したのだろう。彼女は視線を伏せ、小さく呟いた。
「……神を飼うなど、間違っているんだ」
「そうね……」
そこに、外から小さな足音が駆け込んで来た。
「おっ父!水、汲んできたよ!」
桶を抱えた源太が、頬を赤くして息を切らしながら戻ってきた。
「よし、まず足を洗ってやれ。絡み付いている茨を丁寧に取るんだ。肉に喰い込んだ棘を残さぬようにな」
「うん、分かった!」
源太は真剣な顔で狼の子の足をそっと持ち、父親の言葉に従いながら慎重に蔦を取り除いた。血に濡れた足先に触れると、まだ温かさが残っている。それが命の証だと思うと、源太は胸の奥が熱くなった。母親が沸かした湯で泥を洗い流していくと、真っ黒に見えていた体の下から、本来の灰色の毛並みが少しずつ姿を現してきた。
子狼はときおり小さな声を漏らしたが、ぐったりと横たわったままだった。源太は干した草を積んで、その上に布を敷き、そっと子狼を寝かせた。
「元気になるんだよ。死んじゃ駄目だからな」
そう言いながら小さな手で頭を撫でると、そのまま疲れ果てて隣で眠り込んでしまった。
夜が明けかける頃、くすぐったい感触に源太は目を覚ました。頬をペロペロと舐める小さな舌。目の前に子狼の顔があった。
「おまえ、元気になったんだ!」
立ち上がっている子狼の姿に、源太は飛び起きて抱き上げた。
「お前、結構重いなあ。でも、良かった」
子狼は尚も源太の顔をしつこく舐め続けた。
「やめろよ、くすぐったいって!……そうか、おまえ、お腹が減ってるんだな」
源太が動くと、少し足を引きずりながらも子狼は後ろをついてきた。食料と水を与えると夢中で食べ始め、その勢いに源太は安心して笑顔になった。
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