出会い②
翌朝。源太は桶を抱えて川へ水汲みに向かっていた。これは毎朝の役目だった。水を汲んだら朝飯を食べ、その後は父親が弓の作り方を教えてくれることになっている。ずっと楽しみにしていた。父親の仕掛けた弓はいつも大きな獲物を捕らえ、自分も早くああなりたいと憧れていた。
けれど今朝の源太の頭を占めていたのは、昨日の狼の子供のことだった。あの震えていた瞳。あの寂しげな顔。おっ父は仲間がいるはずだと言っていたが、ちゃんと仲間のもとへ戻れただろうか。そんなことを考えながら歩いていると、足が石に引っかかり、そのまま桶ごとひっくり返った。
「わっ!」
桶が跳ね、頭の上から冷たい水を浴びせられた。びしょ濡れになり、膝を突いて項垂れる。もう一度川まで行かねばならぬと思うと全身ずぶ濡れになったことより、気持ちが沈んだ。そのとき、 目の前で何かが動いた。黒い小さな泥の塊が、ふらふらと揺れるように近づいてくる。
「うわぁ――っ!」
源太は心臓が止まるほど驚き、折角立ち上がったというのに、また尻もちをついた。目の前に現れた黒い塊は、よたよたと足を引きずりながら近づいてくる。よく見ると、その口元からも足からも赤い血が流れていた。
「……おまえ」
もしかして、昨日の――。
弟狼は一晩をかけて必死に茨の蔦を噛み切った。口の中は棘でズタズタに裂け、あちらこちらから血がにじみ出ていた。前足に巻きついた蔦は肉に食い込み、太い棘が皮膚を突き刺さっている。その痛みは鋭い刃物で切り裂かれるようで、じっとしていても息を詰めるほどだった。
泥濘の中でもがいたせいで、幼い体は全身泥にまみれ、まるで黒い衣をまとったかのようだった。重たい泥が体を押しつけるように絡みつき、一歩進むごとに余計な負担を背負わせた。口内はヒリヒリと焼けるように痛み、まとわりついた蔦の端があちこちに引っかかっては体を引き戻した。何度も倒れ、立ち上がるたびに足元はふらつき、今にも意識が途切れそうだった。
それでも水を求め、川辺へとよろめきながら辿り着いたとき、不意に昨日の少年の匂いを嗅ぎ取った。その懐かしい匂いに導かれるように、弟狼は力を振り絞って進んだ。やがて目にしたのは、桶をひっくり返し地面に転んでいた少年の姿だった。立ち上がった少年年はこちらを見た途端、叫んでまた地面に尻を突いた。
「おまえ……昨日の狼の子供、だよな」
少年は恐る恐る声をかけた。弟狼は鼻を鳴らし、腹ばいになって少年を見上げた。声を発する代わりに、小さな鳴き声で必死に助けを求めているかのようだった。
少年が震える手をそっと伸ばすと、弟狼は腹ばいのまま後ずさりした。
「大丈夫、何もしないよ。怖がらないで」
その手が頭の上に触れた瞬間、弟狼の体に温かさが広がった。母親の舌のぬくもりにも似た優しさに、緊張がふっとほどける。だが立ち上がろうとした途端、視界が暗転し、そのまま地面に崩れ落ちた。
「おいっ!」
源太は慌てて倒れた子狼を両手で抱き上げた。泥にまみれたその体はずっしりと重く、六歳の小さな腕にはかなりの重さだった。だが必死に抱え直し、家まで走り出した。
「おっ父!おっ母!助けて、この子が死んじゃう!」
血相を変えて飛び込んできた源太に、母親は驚いて声をあげた。
「源太、どうしたの。まあ……何を抱えているの?」
母親には息子の腕の中にあるのは、泥の塊にしか見えなかった。だがよく見れば、弱々しく息をする生き物のようにも見える。
「おっ父、昨日の狼の子供だよ!」
源太は必死に訴えた。父親は一瞥すると、険しい声で言った。
「それは連れてきてはならん。元の場所へ戻せ」
「なんで?そんなことしたら、この子死んじゃうよ!」
「それがそいつの運命だ」
「嫌だ!そんなの嫌だ! おっ父、助けてよ!」
半泣きで駄々をこねる源太を見ても、父親は揺るがなかった。
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