終の時②
血の跡を辿って進むと、さっきの二人組が言っていたとおり、熊と見紛うほど巨大な狼が祠の中に横たわっていた。しかし、その身体は痩せ細り、毛並みは荒れ果てている。
腹の下には、別の狼のしゃれこうべを大事そうに抱え込んでいた。源太が近づくと、狼の体がわずかに動いた。
(狼を撃ってしまった……)
咄嗟のこととはいえ、自責の念が胸を締めつける。撃たなければ自分がやられていたのだ。そう思い直そうとしたが、罪悪感は消えなかった。源太がそっとその身体に触れた瞬間、狼はか細い声でひと啼きした。
「クゥ――ン……」
そして狼はそれきり動かなくなった。その口元には、木の端切れが幾つも挟まっていた。
動物が少なく、しかも雪深い今年、食べ物に事欠き、ついには木を齧って空腹をしのいでいたのだろう。源太はこの狼を哀れに思い、その口に詰まった木屑を一つ一つ取り除いてやった。ふと、牙の折れた口に目が留まる。右前の牙が失われて久しい痕跡がそこにあった。源太の手が、震えながら自分の首飾りに伸びた。
(まさか……)
「おまえ……おまえ、まさか……ゲン、ゲンなのか……?」
ゲンは死んだはずだった。ここにいるのがゲンのはずがない。だが見れば見るほど、この狼はゲンにしか見えなかった。
「ゲン……おいらが、わからなかったのか……?」
源太は痩せた身体を撫でながら呟いた。野生に戻ったゲンは、もう源太を忘れ、襲いかかってきたのだろうと思った。こんなところでずっと一人で生きてきたのならばそれも仕方あるまい、そう思うと、胸の奥が裂けるように痛んだ。
だが、まさか自分の手でゲンを撃ち倒すことになるとは。源太はゲンと、その傍らにあった骨を岩の上に置き、一人で神送りを行い、手を合わせて祭った。父親の言葉が甦る。
「野生のものは、野に返してやるのが一番だ」
もしあの時、父親の言葉どおり拾わなければ、ゲンは早くに死んでいたかもしれない。だが逆に、他の群れに助けられて生き延びていたかもしれない。そうすれば、こんなに長い時を、孤独と空腹にに耐え続けることもなかったのかもしれない。
(ゲン……済まない……)
源太は首飾りを引きちぎり、ゲンの身体の上に置いた。胸が締め付けられるような苦しさに、息が詰まりそうになる。
(おまえは、やっぱり野生の生き物だったんだな……)
変わり果てた姿を見つめながら、源太は心の底でそう呟いた。
☆ ☆ ☆
ゲンの目の前に、光の道が見えた。前を歩いていく兄の姿。その後ろを、ゲンが追うようにして駆けていく。道の先には母親が待ち受けていた。近づくにつれて、ゲンの姿はいつの間にか幼き日の姿になっていた。
〈母ちゃん!兄ちゃん!〉
二人に身を寄せると、心がほどけるように温かかった。
ふと、身体に何かが触れているのを感じる。それは懐かしく、優しいぬくもり。源太の手だと思った。
(ああ……源太だ。やっぱり源太だ……)
懐かしい匂いと温もりがゲンを包み込む。
〈源太……源太の手は、あったけえなぁ〉
小さな声でそう呟くと、ゲンは安らぎの中へと帰っていった。
「クゥーン……」
おしまい
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