出会い①
一.出会い
二本足で歩くその生き物は、弟狼の姿を見つけて足を止めた。視線を冷たくなった母狼に移すと、その顔には深い悲しみが浮かんだ。
「源太、どうした?」
低く響く声。後ろから、もう一人の二本足の生き物が近づいてきた。こちらは最初に現れた者よりもずっと大きく、体つきも逞しかった。
「おっ父、死んでるよ……子供がいる」
弟狼は心臓が張り裂けそうだった。これが母親の言っていた人間という生き物なのか。今すぐ逃げなくては。そう思うのに、四肢は地面に縫いつけられたように動かない。全身が恐怖で小刻みに震えていた。
「ホロケウカムイ……」
大きな人間が低く呟いた。その言葉は弟狼には意味がわからなかったが、ただ耳に残った。
「カムイ?神様のこと?」
小さな人間――源太と呼ばれた少年が、首を傾げて尋ねる。
「ああ。むやみに狩っちゃならねえ。しかも、こいつは……」
父親は母親狼の腹に目を落とし、険しい顔をした。
「母狼か。だが、一匹でこんな所にいるはずがねえ」
「どうして?」
「狼は群れを成して生きる。子を産むのは群れの長の嫁だけだ。その嫁は群れで二番目に大事にされる。だから他の仲間が子の世話をし、餌を運んでくる。母狼が一匹で狩りに出ることなど無い。……つまり、群れが襲われて散ったんだろう」
「じゃあ、どうして死んでるの?」
「撃たれたんだ。……よそ者の仕業だ」
少年は俯き、冷たくなった母狼の毛並みに目を落とした。
「この子は、どうなるの?」
「一匹じゃなかろう。他にも子がいるはずだ」
「でも震えてる。……きっとひとりだよ。お母さんが死んじゃったから、お腹も空いてるんだよ」
「どうしてやることもできねぇ。そいつは野生の生き物だ」
「置いていくの?可哀想だよ」
「それが山の掟だ」
弟狼は、人間たちの言葉は理解できなかった。ただ、小さな人間――源太からは不思議と敵意を感じなかった。
「行くぞ」
父親が促したとき、源太が躊躇うように懐から何かを取り出した。
「じゃあ……これ、やってもいい?」
そう言って差し出されたのは、鹿の肉を干したものだった。手が伸びてきた瞬間、弟狼は怯んだ。だが鼻先をくすぐる獲物の匂いが、空腹に耐えきれない体の奥まで沁み込んでくる。地面に置かれたそれを前足で転がし、匂いを嗅ぎ、次の瞬間、思わず口にしていた。肉の旨味が舌の上に広がり、胃の腑に落ちていった。
「……行くぞ」
父親が先に立ち、山道へ戻っていった。少年は振り返りながら、その後を追う。弟狼は自然とその方向へ足を向けた。振り返った源太と目が合うと、少年は笑った。柔らかく優しい笑顔だった。弟狼は一定の距離を保ちながらついていった。
「おっ父、おっ父……」
源太は小声で父親に話しかける。
「着いてくるよ、狼の子供。ねえ、おっ父」
「分かってる。振り返るな」
叱るように言われても、源太は気になって何度も振り返った。そのたびに狼の子と目が合った。しかし、やがて姿は消えていた。
「……やっと諦めたか」
父親が吐き捨てるように言った。だが源太は、草むらの奥に目を凝らし、なおも振り返りながら歩いた。
――そのころ、弟狼は足を蔦に絡め取られ、身動きできなくなっていた。ぬかるみの中で必死にもがくほど、蔦は肉に食い込み、鋭い棘が容赦なく足を締め付けた。歯で食い切ろうとすれば茨が口内を刺した。
「クゥオ――ン……」
小さな声が森に吸い込まれる。
(兄ちゃん、助けて……)
しかし兄は戻ってこなかった。泥濘は弟狼の体を汚し、冷たさが骨身に染みた。
「クゥ――ン……」〈兄ちゃん……冷たいよ……〉
夜の闇が森を覆い、冷気がひしひしと迫る。小さな命は凍えるように震えながら、その場から動けなくなった。
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