終の時(ついのとき)①
五、終の時
銃を乱射して逃げた二人組を追っていたゲンは、別の人影に気づいた。茂みに身を潜め、目を細める。もしも近づいてきたなら……噛み殺す。唸り声が低く漏れた。
「ウゥゥ――」
その声に反応してか、人物は銃を握りしめた。だが、次の瞬間、鼻先に漂った懐かしい匂いが、ゲンの心を突き動かした。
――甘い。長い孤独の闇を、かすかに照らすような匂い。
「クゥーン」
ゲンは無意識に、少し近づいた。そこからはっきりと人の顔が見えた。知らぬ若者のはずなのに、その面影は懐かしさと重なった。
(……源太?)
ゲンの記憶の中にある源太とは確かに違う。だが、匂いは間違えようもない。ゲンの知る源太の匂いだった。
〈源太だ!源太だ!〉
そう思って身を乗り出すと鼻先に間違いようの無い源太の匂いがした。胸が震えた。孤独の鎖がほどけ、長い長い孤独との戦いが魂ごと解き放たれる気がした。
〈迎えに来てくれたんだな、源太――!〉
ゲンは叫ぶように心で呼びながら、夢中で飛び出した。
〈源太-!〉
引き返そうと背を向けた矢先に、源太は微かな唸り声を耳にした。さっきの男たちの言葉が甦る。
――熊のように大きな狼がいた――。
反射的に銃に手が伸びる。狼を撃ちたくはない。だが、ここで命を落とすわけにもいかない。母親を、村を、守らねばならない。身を引きながら茂みに目を凝らしたその時、黒い影が凄まじい勢いで飛びかかってきた。轟く唸り声。
(殺られる!)
源太は咄嗟に銃口を向け、その生き物に向かって引き金を引いた。炸裂音とともに、黒い塊は茂みの向こうへ崩れ落ちた。
源太は胸を抑えながら近づき、繁みをかき分ける。だが、そこには何もいない。残されたのは雪の上に残された点々と続く赤い血の跡だけだった。その瞬間、源太は我に返った。
(狼を……撃ってしまったのか?)
膝が震えた。源太は血の跡を追いかけた。
ゲンには何が起こったのか理解できなかった。確かに源太だと、そう思ったのに。飛び上がったと同時に胸を焼くような熱いものが走り抜けた。かしなぜかその体は源太の腕に抱かれている気がした。
血が、雪を濡らす。ゲンは胸からボタボタと血を流しながら本能的に祠へと向かった。撃たれたという実感はなかった。身体はどんどん熱くなり意識は朦朧として源太の笑顔だけが瞼に浮かんだ。
(源太……)
「クゥ――ン……」〈源太……会いたかった……よ……〉
薄れる意識の中で、確かに源太の匂いを感じ取った。傍にいる。きっとこの先に、必ずいる。そう信じてよろよろと前に進み、祠の前にたどり着いた。
するとそこに、兄の姿があった。とっくに骨だけになったはずの兄が、生きていた頃の姿で立ち上がり、こちらを見て笑っている。
〈兄ちゃん!〉
身体は崩れ落ちても、魂は軽やかに駆け出した。
〈兄ちゃん!〉
深い雪の中、ゲンはようやく孤独から解き放たれ、兄の元へ走り寄った。
〈兄ちゃん、兄ちゃんだ!〉
〈ゲン、長い間、一人でよく頑張ったな。さあ、俺と一緒に行こう〉
〈兄ちゃん……〉
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