孤独④
源太の父親は、彼が十歳を迎える年に熊に襲われ、その傷がもとで帰らぬ人となった。母親は、「罪のないカムイ(狼)を撃ってしまった報いなのかもしれない」と呟いた。以来、源太と母親は部落の人々に支えられ、今日まで生き延びてきたのだ。立派な若者に成長した源太は、今度は自分が村のために力を尽くさねばならぬと心に決めていた。
「狼狩りのせいで、餓えた逸れ狼がそこいらに出没している」
「だが、狼はむやみに人間を襲ったりはしないぞ」
「本来はそうだ。だが、群れから逸れ、餓えた狼は凶暴になる。気をつけたほうがいい」
「それは分かるが……だからといって、むやみに撃つのは賛成できねえ」
「俺たちは分かっている。だが山の掟を知らん、山の恵みに感謝もしないよそ者が懸賞金をかけ、狼狩りをしているんだ」
「もとをただせば、あいつらのせいじゃねえか」
「山から神が消えたら、自然が壊れるのではないか」
「我らも、そろそろ違う生き方を見つけねばならぬのかもしれん」
「もはや狩猟だけでは暮らしていけない」
「俺たちは何をしたというんだ。山と共に生きてきただけなのに」
若者たちの声が入り乱れる中、ふと源太に問いが投げられた。
「源太、おまえはどうするんだ」
「……おいらは、おいらはやっぱり、おっ父親のような猟師になりてえ」
「おまえのおっ父親は勇敢な猟師だったって、うちのおっ父親も言ってたぞ」
「狼に会ったらどうする?」
「狼……」
その言葉に、源太の胸裏にゲンの姿が浮かんだ。
「狼は……むやみに殺してはならねえ。内地の人間と俺たちは違う」
「だが向こうが襲ってきたらどうだ?身を守るためなら仕方あるまい」
その声に、源太の脳裏には父親がゲンを撃った時の情景が蘇った。
「……分からない。そうなってみなければ。だが、狩りは生活の糧のためだけにするものだ。その教えは守らなければならねえ」
「そうだな……源太の言うとおりだ。だが俺は家族を守るためなら撃つかもしれん。おまえだって、おっ母親が襲われそうになったら、そうも言ってられまい」
「それは……」
言葉に詰まった源太は、静かにうつむいた。
「ま、とにかく逸れ狼には近づかないことだ」
「……そうだな」
源太はそっと胸元に手をやった。そこには小さな首飾り――あの日、自分を救おうとしたゲンの牙が吊るされていた。血に濡れて抜け落ちたその牙は、今もお守りのように源太の心を支えていた。
山の奥へと分け入った源太は、ふと気づいた。動物の姿が、あまりに少ない。木々のざわめきも、獣の気配もほとんどない。ただ冷たい風が、木立の間を抜けていくだけだった。
(やはり……山は変わってしまったのか)
そんな思いに囚われていたとき、不意に前方から足音が駆け寄ってきた。現れたのは、この辺りの部落の者ではない、見知らぬ二人連れだった。二人は顔を引きつらせ、息を荒げている。
「あんた、この辺の者か!」
「この頂の途中にある部落の外れに住んでいるが……どうした」
「この先に、熊みたいにでっけえ狼が居るんだ!気をつけろ!」
「近寄ったら、凄い形相で迫ってきやがった。俺たちゃ、命からがら逃げてきたんだ!」
「すげえ俊敏な奴でよ、銃なんか簡単にかわしやがる。いくら懸賞金が貰えるっていっても、死んじまっちゃ元も子もねえ!」
口々にまくしたてると、二人は振り返りもせず、早々にその場を去っていった。源太は、そこで初めて自分が思いのほか山の奥深くまで入り込んでいたことに気づいた。
胸にかすかな不安が芽生える。
だがそのすぐ近く、さきほどの二人組を追うように狼が、鋭い眼を光らせて忍び寄っていることに、源太はまだ気づいていなかった。
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