生存④
遠くでゲンの声を聞いた気がして、源太は意識を取り戻した。
「源太!あんた、目を覚ましたのね!」
母親が泣き声まじりに抱きかかえる。
「おっ母親……ゲ……ゲン……は……」
そこへ父親が猟銃を抱えて戻ってきた。まだ火薬の匂いを纏ったまま。
「あ、あんた! 源太が、源太が目を開けたわ!」
「何だと!」
その言葉に驚愕し、父親は源太のもとに駆け寄った。
「源太、おっ父親だ。分かるか」
「おっ父親……ゲ……ゲンは……」
脇に置いた銃から漂う匂いが答えを示していた。父親は口を結び、しかし力強く言い放つ。
「ゲンは死んだ。おまえの仇は、この俺がとった」
「ゲン……死んだ……?」
虚ろだった源太の瞳に、急激な光が宿り、源太は同じ言葉を今度ははっきりと口にした。
「ゲンが……死んだ?」
彼は身を起こそうとしたが、長く眠っていた身体は思うように動かない。母親が慌てて支える。
「源太、無理よ。あんたずっと眠っていたんだもの」
「ゲンが死んだって、ど、どういうこと……なんでゲンが死ぬんだ!」
必死に問いかける息子に、父親は険しい顔で答えた。
「俺が撃った。あいつは性懲りもなくここに来て、家を覗いていた。あの眼は獲物を狙う眼だった。きっとわしらを襲う気だったんだ」
「違う! ゲンがそんなことするわけない! ゲンは……ゲンはおいらを助けてくれたんだ!」
源太は必死に訴える。父親は言葉を失う。
「け、けど……おまえの身体には爪跡も噛み跡も残っていた。牙も深く刺さっていたんだぞ」
「それは違う!おいらが悪いんだ。崖へ近づいたのをゲンは止めてくれたのに……それでも行って、落ちたんだ。ゲンはおいらの手を咥えて、必死に引き上げてくれようとしてくれたんだ」
源太の言葉に父親の顔から血の気が引いていく。
「でも、岩が崩れて……ゲンがおいらを探して、背中に乗せてくれて……家まで連れて帰ってくれたんだ!」
母親は涙をにじませ、静かに頷いた。
「そう……やっぱり、ゲンは源太を襲ったんじゃなかったのね」
父親の顔色が苦渋に染まる。
「そんな……じゃあ、俺は罪のないカムイを……」
「おっ父親、ゲンはどこ?
「だが……遅い。もう遅いんだ。でも、さっきのゲンは、もう昔のゲンじゃなかった。あの眼は野生の眼だった……俺は……俺は撃ってしまった」
「ゲン……ゲンはどこにいるの! 連れて行って!」
源太は泣き叫び、布団から這い出ようとした。
「源太、あんたその身体じゃまだ外へ出るのは無理よ」
「い、嫌だ!ゲンのところへ行く。ゲンのところへ…」
「俺が……俺が連れていく」
父親はその小さな身体を背に負い、先ほどの場所へと足を運んだ。そこには、すでに息絶えた狼が横たわっていた。その姿は父親にも、源太にも、まぎれもなくゲンに見えた。
「ゲン!」
源太は父親の背から飛び降り、よろよろと駆け寄ると、その体にしがみついて泣き叫んだ。
「ゲン!ゲン!いやだ!目を開けてよ!」
父親の胸に重くのしかかる光景。息子の嗚咽は、山にまで響き渡った。
「なんで……なんでゲンを撃ったんだ! ゲンは悪くないのに!」
「仕方なかったんだ……。元は野生の獣だ。たとえおまえの言う通りだったとしても……もう人の側に戻ることはできなかったんだ。俺が見たコイツはもう野生そのものだった」
「ちがう! ゲンは、おいらを心配して来てくれたんだ……絶対にそうだ!」
源太はなおも顔を毛並みにすり寄せ、震える声で繰り返した。
「ごめん……ごめんよ、ゲン……おっ父親を許してくれ……おまえは何も悪くなかったのに……」
嗚咽に濡れるその姿を見つめ、父親の胸には深い罪悪感が湧き上がる。やがて、涙にくたびれた源太がようやく泣き止むと、父親は静かに言った。
「……こいつを、山に帰してやろう」
の亡骸を担ぎ、父親と息子は深い山奥へと分け入った。掘った土にそっと埋め、野晒しになって他の獣に食い荒らされぬようにと父親深く埋めて近くにあった石を置く。
(ゲン……すまなかった)
父親は胸の奥で繰り返し詫びながら、黙って手を合わせた。源太は振り返っては涙を流し、何度も立ち止まりながらその場所を後にした。涙は途切れることなく溢れ続け、夜の山に消えていった。
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