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ゲンと源太(改訂版)  作者: 麗 未生(うるう みお)
生存
13/20

生存③

 冬の気配が濃く漂い始めた頃、山の奥はすでに白い雪に覆われつつあった。冷たい風が木々を震わせるその日も、ゲンはこっそりと源太の様子を確かめに里へ下りていた。だが、いくら待っても源太の姿を見ることはかなわず、ただ家の中から漂ってくる源太の臭いだけが、生きていると望みを繋いでいた。


「クオォォン……」


寂しげに声を漏らした瞬間、家の中で源太の指先がわずかに動いた。だがその微かな気配に、傍らの両親は気付くこともなかった。背後でカサリと草を踏む音がして、ゲンが振り返ると、そこにはリオンの姿があった。


〈兄ちゃん……〉

〈やはりここに来ていたか。おまえが時々いなくなるから、もしやと思った〉

〈源太が……源太の姿が見えないんだ〉

〈見付かったら今度こそ殺されるぞ。前にも言っただろう〉

〈で、でも……源太が生きているのかどうか、知りたいんだ。中からは確かに匂いがする。だけど一度も姿を見せない……ひと目だけでも、元気な顔を見られれば、それでいいんだ〉


必死に訴える弟を見つめ、兄は目を細めた。


〈それが分かったら諦めるのか〉

〈うん、源太が元気なら、それでいい〉

〈それを確かめたら、もうここへは来ないんだな〉

〈うん……約束する〉


しばしの沈黙の後、兄は頷いた。


〈分かった。なら、おまえはここで待て。俺が様子を見てくる〉

〈えっ……お、おいらが行くよ〉

〈駄目だ。おまえはまだ人間に甘すぎる。油断すれば、命を落とす。いいな、待っていろ〉

〈……分かった〉


兄は静かに足を運び出した。


〈兄ちゃん、ありがとう〉


振り返った兄は、わずかに口端を上げる。


〈まったく、世話の焼ける奴だ〉


そう言って苦笑し、足音を忍ばせながら家の窓のそばへと移った。


 そのとき、家の中で針仕事をしていた源太の母親が、窓辺をよぎる気配を感じ取った。ふと目を上げ、格子の端からそっと外を覗く。夕闇に浮かんでいたのは狼の影。毛並みも大きさも、まるでゲンそのもののリオンが母親の目にはゲンにしか見えなかった。


「ゲン……?」


母親の小さな声に、父親が敏感に反応した。


「何?」


母親の横で窓から覗いた父親の目に、こちらを窺う鋭い狼の眼差しが飛び込んだ。確かに現に見えた。しかしその瞳は、かつての人懐こいゲンではなく、荒ぶる野生そのものだった。


「……あいつ、何しに来やがった!」


父親は咄嗟に猟銃を手に取り、外へ駆け出そうとする。


「あんた、何をする気!」

「見ただろう、あの目を!もう昔のゲンじゃねえ!あいつは、源太の仇だ!」


叫びと共に父親は外へ飛び出した。人の気配を察知したリオンは、身を翻して茂みへと走る。


〈ゲン、戻れ!走れ!〉

〈兄ちゃん!〉


弟を促す兄の声にゲンは来た道を走り出す。しかしその直後、銃声が闇を裂いた。


「ギャオォン!」


苦痛の叫びにゲンは振り返る。そこには、地面に横たわる兄の姿があった。


〈兄ちゃん!〉


ゲンが近寄って行くと兄の腹からドクドクと血が流れていた。兄はまだ直りきっていなかった足の傷が祟って逃げ遅れてしまったのだ。ゲンは必死にその体を咥えて引きずろうとする。


〈ゲン……に、逃げろ……〉

〈いやだ!一緒に行くんだ、兄ちゃんと!〉

〈だ、駄目だ……は、早く……逃げろ〉

〈兄ちゃん!〉


血に染まる口から絞り出す声。ゲンは泣き叫んだ。


「ウオォォォォン!」


その遠吠えは、山に響く慟哭のようであった。だが迫りくる人間の足音が、容赦なく現実を突きつける。


〈……行け、ゲン!生きろ!〉


兄の最後の声に突き動かされ、ゲンは息を荒げて走り出した。そして、ゲンの姿が闇に消えた後、源太の父親は血に染まって倒れる兄狼のもとへ歩み寄った。


「……仕留めたか」


父親は足元に横たわる狼を見下ろし、低く呟いた。銃口からはまだ硝煙が立ち上り、血の匂いと混じり合って重く漂っていた。


 一方その頃、ゲンは無我夢中で山を駆けていた。どこをどう走ったのかも分からなかった。ただ兄の倒れた姿が瞼に焼き付き、涙で視界は滲み、道なき道を必死に駆け抜けるしかなかった。


「源太!」


そのとき、家の中で源太がようやく目を覚まそうとしていた。薄く開いた瞳の奥に、小さく震える声がこぼれる。


「……ゲン……」

お読みいただきありがとうございます。

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