生存②
草や木の実で食い繋いでいたがそれでは空腹を凌ぐところまで行かなかった。飢えは兄狼の傷の治りをますます遅らせ、体力をさらに奪う。
ゲンは木の実を探して森の中を彷徨った、少しでも兄に栄養をつけなければ。焦るゲンの前に、ある日、一頭の子鹿が姿を現した。水辺に立ち、無防備に喉を潤している。ゲンは息を呑み、音を殺して身を伏せた。
(あれを……あれを仕留められれば、兄ちゃんもきっと元気になる)
胸の奥で強く念じながら、ゲンは子鹿へ忍び寄った。足音を消し、風を切る音すら恐れるように。子鹿は油断しきっていたのだろう、ゲンが間近に来るまで気が付かなかった。小鹿が顔をあげた時には、ゲンはすでに背後まで迫っていた。
「グルルッ!」
慌てて走り出そうとした小鹿に喉の奥から唸り声を漏らし、跳びかかる。兄がいつも獲物の首元を狙うのを思い出し、そこに喰らいついた。子鹿は驚愕の声も出せず、必死にもがいた。だがゲンは放さなかった。前足で頭を抱え込み、牙を深く、深く押し込む。ギリギリと締め付けられるうち、子鹿の抵抗は弱まり、ついに小さな悲鳴を上げて、地面に崩れ落ちた。
〈やった!〉
胸が震えた。初めて、自分の力で獲物を仕留めた。ゲンは小鹿を引きずり、誇らしげに兄の元へ戻った。
〈兄ちゃん!〉
リオンはゲンの獲物を見て驚きの眼を見開いた。
〈おまえが……獲ったのか〉
〈うん!ねえ、早く食べて!〉
兄がそれを口にしたのを見て、ゲンは胸の奥から喜びが溢れた。
〈よくやった……おまえも食え。これはおまえの獲物だ〉
〈うん!〉
兄弟は仲睦まじくその肉を分け合った。それを境に、ゲンは小動物を一人で獲れるようになり、日ごとに動きは俊敏さを増していった。やがてリオンの足も少しずつ癒え、立ち上がれるようになった。
しかし、ゲンの心には時折、源太の面影が差し込んだ。源太はどうしているのだろう。怪我は癒えただろうか。あれからどれほどの時が流れたのだろうか。
その思いに駆られ、兄が眠る隙を狙っては、こっそり源太の家の近くまで足を運んだ。鼻先に確かに源太の匂いが漂う。だが姿はなく、声も聞こえなかった。何度訪ねても同じだった。
〈源太……〉
胸の奥で名を呼ぶ。匂いは服の残り香に過ぎぬのか、それとも――もう死んでしまったのか。そんな疑念がゲンの心を蝕んだ。
――その頃。
源太が倒れてから三月の月日が流れていた。家に運び込まれた彼は高熱にうなされ、幾晩も魘され続けた。時折、譫言のようにゲンの名を呼ぶ声を上げながら。十日を過ぎる頃には熱も下がり、外傷も少しずつ癒えた。しかし源太は一向に目を覚まさなかった。この三月、源太はずっと眠ったままであった。
「ねえ……源太は、いつになったら目を覚ますのかしら。まさか、このままずっと……」
「やめろ! そんなことはない。源太は強い子だ。必ず、目を覚ます時が来る」
「……そう、そうよね」
母親の声は震え、父親の声には苛立ちと焦燥が混じっていた。
「まったく、狼なんぞ飼うから、こんなことに……」
「あんた、そのことだけど……」
「なんだ」
「私……どうしてもゲンがやったとは思えないの」
「何を言う!おまえも見ただろう。源太の手に突き刺さっていたあの牙を。腕にはゲンの爪痕だって残っていた」
「でも……あんなに仲良しだったゲンが、源太を襲うなんて……とても考えられないわ」
「奴には仲間がいたんだ。人知れず通じていたに違いない。森へ戻ろうとしたのを源太が止めたのかもしれん。あるいは仲間と会って野生の血が目覚め、牙を剥いたのかもしれん」
「……本当にそうかしら」
母親は小さく首を振り、針を持つ手を震わせながら縫い物へと視線を落とした。
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