生存①
三.生 存
二匹は茂みに身を潜めていた。もう三日、まともな食べ物を口にしていない。
数日前、小ぶりの鹿を狙ったが、兄リオンが素早く首に食らいついたものの、未熟なゲンは一噛みもできぬまま鹿の体当たりに振り払われ、獲物は逃げてしまった。以後、動物の気配すら途絶え、胃の中は空っぽのままだ。
そこへ、草を食む一羽のウサギが姿を現した。小さな獲物だが、今の二匹にとっては宝そのものだった。
〈兄ちゃん……おいら、どうすればいいの〉
狩りなどしたこともないゲンの声は震えていた。人間に飼われていた日々、与えられた食事に満たされ、獲物を追ったことなど一度もない。源太が「いつか一緒に狩りに出よう」と笑っていたのを思い出すが、実際にはそんな経験などなかった。
〈あれなら俺ひとりで十分だ。おまえは見てろ〉
リオンは低く告げ、音もなく忍び寄った。次の瞬間、ウサギが振り返り跳ねたが遅すぎた。稲妻のような動きで前に回り込み、牙で首を押さえ込む。わずかな痙攣ののち、ウサギは動かなくなった。
その獲物を咥えて戻る兄を見て、ゲンは思わず声を弾ませた。
〈兄ちゃん、すっげぇ!〉
リオンは深く息を吐き、ウサギを足元に落とした。
〈おまえも早く覚えろ。大物は俺だけじゃ仕留められない。こんな小さな獲物じゃ何日も持たん。これから冬だ、そうするともっと厳しくなる〉
〈……うん。頑張る〉
ゲンは答えたが、その胸には自信より不安が広がっていた。源太と一緒におっ父親の狩に付いて行った事は何度かあったが、おっ父親が仕留めた物を草むらの中から見つけ出して取ってくるといった事しかしてこなかった。それでもここ何日かは兄の見様見真似で少しずつ動きは早くなっていっていた。
数日後、水辺に大きな蝦夷鹿の姿を見つけた。群れを離れたその一頭を、リオンは目を細めて窺う。ゲンもそれに見習って横に座った。あれだけ大きな獲物を仕留められれば、しばらくは食い繋げる。だが二匹だけでは危険が大きすぎた。群れでさえ怪我人を出す相手だ。
そしてゲンはまだまだ頼りない。行くべきか諦めるべきか、迷っていたら、鹿がこちらに気付き走り出した。リオンは反射的にその後を追った。ゲンも兄に遅れまいとついて行く。リオンが素早い動きで飛び上がり、首元に食らいつくと、鹿は絶叫し、身体を大きく仰け反らせて暴れた。
〈ゲン!足だ、足を噛め!〉
兄の叫びに、ゲンは恐怖を押し殺して後ろ脚に回り込もうとする。しかし右往左往と暴れ回るその蹄に、近づくだけで跳ね飛ばされそうだった。
〈ゲン!早く!〉
ゲンは必死に飛び込み、やっと後脚に噛みついたが、その瞬間、鹿が激しく跳ね上がり、ゲンは振り払われた。次いでリオンの身体も大きく宙を舞い、大木に叩きつけられる。二匹が離れると、鹿は土煙を上げて瞬く間に森の奥へ消え去った。
「グルル……ッ」
〈兄ちゃん!〉
駆け寄ったゲンの前に、リオンが崩れ落ちていた。舐めても呼んでも応えず、ようやく目を開けた時、ゲンは涙が滲むほど安堵した。
〈兄ちゃん……〉
〈ゲン、大丈夫か?〉
〈兄ちゃんこそ〉
〈俺は大丈夫だ〉
しかし、そう言って立ち上がろうとしたリオンはよろけた。左前脚に力が入らない。足を着けば激痛が走るどうやら骨を痛めているようだ。
〈兄ちゃん……〉
ゲンが心配そうにリオンを覗き込む。
〈大丈夫さ……これくらいの傷〉
そうは言ったもののリオンはこの足では小さな動物でさえ狩が出来るかどうか不安になった。そしてその不安は的中した。それからどんな小動物も一匹も仕留める事ができなかった。そして足の痛みは激しくなりついには立てなくなってしまい小さな洞窟の中で身を休める事を余儀なくされた。
「クォン……」〈兄ちゃん……〉
〈大丈夫だ、心配するな。すぐ良くなるさ。俺が獲物を仕留めてくる〉
リオンはそう言ったがゲンは彼の怪我がそう軽くない事を悟っていた。
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