遅発一過性徐脈
「しっかし兄ちゃんと華さんかあ」
「なんだよ」
「べつにー。ただ兄ちゃんには勿体無いなあって」
「んなこと今更言われても」
言わんとしていることはわからんでもない。
華はその通り俺には勿体無いほどにしっかりしている。ちゃっかりしているとも言えるが。
色々と危うい部分はあるにしろ、純粋で真っ直ぐで、裏表のない人間だ。
だから、こうやってうだうだ悩むのが常の俺にとって、そんな真っ直ぐな華は、もしかしたら俺を導いてくれる存在なのかもしれない。
……なんてな。
そんなどこぞの宗教家のようなこど、華には似合わないだろうさ。
あくまであいつが歩く道を俺が後ろから固めていく、そんなことが出来れば、きっとそれはとても嬉しいなんだと思う。
「それで、結婚とかはしないの?」
「は?」
「だって、もう恋愛症候群は治らなくなっちゃったわけでしょ? それなのに結婚もしないでそのままってなんか中途半端じゃない? せっかくだから結婚しちゃおうよ」
「簡単に言うけどなあ。第一俺はネイティブじゃないし、まだ14歳だぞ。そんなホイホイ結婚できてたまるかっての」
「じゃあいつするの?」
「いつって……そのうち」
「そのうちっていつさ」
「そのうちはそのうちだよ。そんな細かい時期なんて知るか!」
いかん、このままだと変な言質を取られそうだ。
結婚したくないとかしたいとかそういう話は別として、将来のことはもうちょっと余裕を持って考えたい。
恋愛症候群を受け入れるだけでもこれだけ時間をかけ精神をすり減らしたというのに、その上更に勢いで結婚まで進んでしまったら、おろし金ですりおろされるよりもあっという間に俺の精神が擦り切れて無くなってしまう。
俺の心が平穏に過ごせるペースを守ってもらいたいものだ。
「要は今は結婚なんてするつもりはないと」
「だいたい合ってる」
「はあ……、まあいいわ。私が尊敬してるのは勿論橘さんだけど、家族になりたいって思うのは華さんなの。そこんとこわかってる?」
「知らねえよ。ていうか初耳だ」
「橘さんはすごい人なんだけど、すぐに私の欠点とか色々見抜いちゃう人なの。華さんも多分そこら辺鋭い人だとは思うんだけど、決定的な違いは華さんはスルーしちゃうところを橘さんは見逃さないってことかな」
「それって華が気付いていないのと違うのか」
「ぜんっぜん違う。華さんは気付いた上でスルーしちゃうの。でも橘さんは気付いたらきっとそれを直してくれる人だと思う」
「お前たった1回しか会ってないのに、よくそこまでわかったな」
「ううん、あの後みんなと連絡先を交換したし、兄ちゃんが知らないところで会ってるよ」
いつの間に……。女の子同士だからかもしれないけど、紹介役の兄を差し置いてそう仲良くされるとお兄ちゃん寂しいぞ。
「もちろん橘さんのが悪いなんて思わないけど、ずっと一緒にいると、私多分緊張しすぎて疲れちゃう。だから華さんが家族になることにはとっても賛成!」
「そもそも比較対象が橘ってのがおかしいんだけどな……」
「そう? 橘さんは兄ちゃんのこと結構気に入ってるみたいだったし、その可能性もあったかもしれないって思うんだけど」
「うわ」
「何その顔。せっかく橘さんに気に入られてるって話なんだからもうちょっと嬉しそうな顔しなさいよ」
「出来ればしてるわ」
いや確かに嫌われていたらこうやって友達として話すこともなかったのだから、二元論的には気に入られると見ても間違いないのだろう。
しかし橘と家族に……
やめよう。
現状から悪化していく妄想ほど有害無益なものもない。
「ま、そんなわけで橘さんにも私の事よろしくねー」
多分お前、ヘタしたら俺よりも仲良いぞ。
翌日、朝の教室では珍しく人気が少なかった。
この時間だと半分くらいは埋まっているはずなのに。
「なあ一真、今日はなんでこんなに人が少ないんだ?」
「あー、電車が事故起こして止まってるらしいから、それじゃないか」
「なるほど」
そこに橘や黒磯の姿がない。あいつらも電車通学だったということか。
ちなみに華は元々この時間には出てこない、というより毎回遅刻ギリギリの時間に来るので、今姿が見えないのも当然である。
「青葉、あれはもういいのか」
「あれって?」
「……恋愛症候群の話だ」
少し声を落として一真が聞いてきた。
「ああ、それはもう、大丈夫。ちゃんと終わらせた」
「そうか」
「あれ、詳しい話は聞かないのか?」
「聞いて欲しいのか?」
「うーん、聞いて欲しいようなそうでもないような」
「はっきりしろ」
「でもやっぱり一真には聞いておいてもらったほうがいいかな。結局付き合うことにした」
「そうか」
あれ、随分とタンパクな反応だ。
「え、そうか、ってそんだけ? 他に聞きたいことは? なんでも答えるよ?」
「特にない。強いて聞くとすんならそのことで俺達の関係性は変わるのか、ってことぐらいだ」
「ええと……変わらない?」
「ならこれ以上聞くこともねえな」
「そ、そうか……」
一真の性格上、根掘り葉掘り聞いてくるのはないだろうとは思っていた。とはいえこんなにあっさり話が終わるとも思っていなかった。
「反対とか、しないのか?」
「なんに」
「ほら、恋愛症候群って伝染るっていうじゃん。だから他の人に伝染さないようやめろーとか」
「なら問題ない。お前ら2人の間で恋愛が成立してるなら、他に伝染ることもねえべ」
「え、そうなの?」
「……知らないで恋愛症候群を受け入れようと思ってたのか?」
「いやだって、一真だって自分の気持ちに素直になれって言うし……」
「確かにそう喋ったけどさあ」
あとから聞いた話によると、恋愛症候群が感染する必要条件として「恋愛対象がまだ恋愛症候群を患っていないこと」というのがあるらしい。
恋愛症候群の被対象になった場合、感染防止目的にクラスを変えるなどの特別な措置が取られるので、学校側に報告が必要というわけだ。
もちろんこれはネイティブには当てはまらない。
つまり俺と華の間で恋愛が成立している限り、恋愛症候群は他へと飛び火することがないらしい。
感染力が弱いってこういうことだったのか……。
「まあ何にせよ、伝染らないならいいことだな! よかったよかった」
「おい」
「……はい」
「もし伝染るとしたらどうしてた?」
「土下座かな」
「はあ……まあ伝染らないし今回は許す」
「あざっす」
大親友に俺マジ感謝。
このまま知らずにいたら大変なことになってたかもしれん。
その後、すぐに皆が揃い授業が始まった。
こうしてみると、恋人になる前と特に生活に変化がない。
案ずるより産むが易し、か。
「そうだ、青葉くん」
宿題を片付けていて少し遅くなった放課後、黒磯にそんな声をかけられた。
「どうした」
「聞きましたよ、華ちゃんと恋人になったんですって! おめでとうございます!」
「あ、ありがとう」
祝福されるそのこと自体はありがたい話なのだが、そもそも恋愛症候群てそんな祝福されるようなものだったっけ。
「別に何かしたわけじゃないんだけどな。恋人になったってだけで」
「いやいや、しましたよ。とっても大事なことを」
「大事なこと?」
「そうです。まず華ちゃんってネイティブじゃないですか。だから恋愛症候群ではないどころか、恋愛は素晴らしいものって認識なんですよ」
「え、そうなの?」
「そうですよ。知らなかったんですか?」
「恋愛に抵抗ないってことは聞いてたけど、そこまでだったとは」
そう考えれば華の行動にも納得がいく。
恋愛症候群について多少の知識はあるだろうが、それ以前にネイティブにとって恋愛は素晴らしいものだ。
だったらそんな素晴らしい恋愛を好きになった相手と共有しようと思うのは全く不思議なことではない。
そりゃ俺と華の間にあんだけ葛藤の差ができるわけだ。
「それで、ネイティブの方は恋愛をして結婚をすることが1つのゴールみたいなものなんです。今華ちゃんと青葉くんは、そのゴールに向かって走りだしたんですよ! お祝いしなきゃいけないじゃないんですか!」
理屈はわからんでもない。
黒磯の言う通りなら、確かにめでたいことだ。
でもそれって、ネイティブじゃない俺にはそんなに関係なくね?
そんな疑問をぶつけてみると、黒磯はこう返してきた。
「そんな寂しいこと言わないでくださいよー。青葉くんがちゃんとお祝いしてくれたら、華ちゃんも喜ぶと思いますよ?」
それもそうか。
「具体的にお祝いって何するんだ?」
「そうですねー、例えば皆でカラオケでわーっと騒ぐとか、甘いものを皆で食べるとか。あ、今度の夏休みに旅行に行くとかもいいですね。修学旅行のリベンジしましょうよ!」
絶対自分がやりたいこと並べてるだけだろこれ。
そんなこんなでお祝いの約束も(勝手に)取り付けられ、肉体的疲労よりも精神的疲労がピークに達した帰り道、とある人に出会った。
「橘か。そんなところで何してるんだ」
正直スルーして帰りたかったのだが、まるで俺の帰り道を知っていたかのようにそこに立ち塞がっていたため、無視しようにもできなかったのだ。
そういえば学校から家まで案内したんだから、帰り道ぐらい知ってて当然か。
「1つ確認しておきたいことがあってね」
「なんだよ。ていうか後でメールで聞くわ。今日はつかれた」
「キミの日記のことだよ」
「それか……」
実を言うと、この数日橘への日記の提出が滞っていた。
今まで律儀に提出していたものが急に途絶えたものだから、こうやってその原因を確かめに来たということか。
全く難儀なものだ。
「どうしたんだい、急に更新が途絶えてしまうなんて。これでもボクはキミの日記を楽しみにしていたんだよ? それなのにこれだけお預けだなんて非道いじゃないか」
「もう書く必要が無くなったからな」
「……恋愛症候群のことかい」
「よく知ってるな」
「様子を見ててなんとなく、ね」
どうやら俺と華の関係性の変化について、誰かに聞くまでもなく気付いたらしい。
ほんと、人間観察の手腕だけは恐れ入るよ。
「気付いてたならわかるだろ。もう恋愛症候群は弱みじゃないし、華についた嘘だってちゃんと謝って許してもらった。秘密にしておいてもらうことはもう何もないんだから、わざわざ日記を書く必要がないってだけさ」
「ふむ、なるほど」
俺の理屈に対して、確かにもっともだ、と頷いたあと、橘は何やら考えこむように唇に手を当てた。
「そうか、それじゃあ別の弱みを使うまでだ」
「別の弱み?」
そんな弱み持っていたっけ。
全く身に覚えがない。
「キミ、高所恐怖症なんだろう?」
「え」
「あのお城のことは忘れていないよ。高いところが苦手だなんて、可愛いところがあるじゃないか」
「あ、いや、まあそうだけど」
「そうだろうそうだろう。それを皆にバラされたくなかったら、これまで通り日記を書いてもらおうじゃないか」
何を言っているんだこいつは。
確かに高所恐怖症を皆に言いふらされるのは嬉しいことじゃないが、だがそこまでだ。
俺に無理矢理日記を書かせようという強制力を持つような話では決してない。
正直意味がわからない。
「さあ、どうするんだい」
どうするんだい、ってそりゃもちろん、と言いかけたところでふと疑問に思うことがあった。
何故こいつはこうまでして俺の日記にこだわるのだろう。
他人の文章を読むということは確かにそれなりに面白い。
趣味として読書があるのもそういうことだろう。
だからといってそれは「俺の文章」に限定される話ではないはずだ。
自分で言うのもなんだが、俺の文章は特別魅力的なものを書いている自信もないし、題材たる日々の生活がそこまで波乱に富んでいるわけでもない。
なのに橘が俺の日記を読みたがる理由はなんなのだろう。
そこまで考えてようやく気付いた。
こいつは不器用なんだ。
俺との関わりを保ち続ける方法として、こうやって相手の弱みを握るという手段をとっているんだ。
見捨てられるのが嫌だから、相手よりも優位に立つ。
さっきから浴びせられる橘の上から目線があまり不快に感じなかったのも、そんな捨てられることを恐れる子犬の視線のような焦りがあったからなのかもしれない。
そんな期待に満ちた目をされたら、いくら橘でも裏切るわけにはいかないだろうよ。
なんだかんだで友達なんだから。
クッソ、別の弱みを使うってそういう意味かよ。
そんな弱み、誰が抗えるって話だ。
「わかったよ」
「そうかい、ありがとう。楽しみにしているよ」
そう言って橘は俺に背を向け歩いて行く。
あいつ、こんなことを言うためだけにわざわざここで待ってたのかよ……。
「あ、そうだ」
「なんだ」
「今までサボった分の日記、待ってるからね」
「はぁ!?」
それだけ言うと、今度こそ橘の姿は見えなくなった。
……やっぱり引き受けなきゃ良かったかな。
次話で終了です




