リビングウィル
聞かせて、と華は静かに促した。
それに甘えるように、俺は訥々と語っていく。
恋愛症候群になったきっかけ。
どんな治療をしたか。
改めて嘘をついたことへの謝罪。
芽衣と話したこと。
周囲の誰もが恋愛症候群について知っていたこと。
恋愛症候群とどう付き合っていいかわからないこと。
話せることを話していく。
華は時たま相槌を打つものの、それ以外は口を挟むことなく聞いてくれている。
普段ならこれでもかというぐらいに喋り出すのに。
今はその気遣いがありがたかった。
どれだけの時間をかけただろう。
実際は10分程度だったかもしれないが、まるで永遠とすら感じられる時間だった。
「俺は、わからないんだ」
だから、そうやって結論にすらなってない結論を言い終えた時には、俺は心底疲れ切っていた。
これでようやくスタートラインに立てたに過ぎないというのに。
それまで黙っていた華は、俺が話し終えたことを確認すると、腰掛けていたブランコからすっと立ち上がり俺の正面に向かい合った。
「青葉くんて、将来の夢とかある?」
「将来の夢?」
唐突な質問に、ついオウム返しで聞き返してしまう。
その質問は一体なんだ?
「急にそんなことを聞いてどうしたんだよ」
「ちょっと興味があって。ねえねえ、教えてよ」
「そうだな……漠然としか決まってないけど、人の役に立てることがしたいかなって」
「おおー、立派だ」
「そうなれたらいいなって思ってるだけだよ。実際将来どうなるかなんて何も決めてない」
「いやいや心がけって大事だよ。そうなりたいと願った形にこそ人間はなるものなんだから。青葉くんが思っている限りは、そうなる未来が残されている。そう考えるほうが素敵じゃない?」
曇りない笑顔でそう言われたのなら、反論などできるはずもなかった。
「そうだといいな」
そう返すだけである。
「それで、華は将来やりたいこととかあるのか?」
「あるよー。もうたくさん。やりたいことだらけで大変だよ」
「例えば?」
「そうだねー、まず学校の先生になりたいんだ。それで音楽を教えるの。今は音楽っていえばデザイナーズチルドレンのすごい人が作るものか、ネイティブのほんととんでもない天才の曲を聞くのが常識じゃん? そうじゃなくて、才能なんかなくたって、自分で音楽を作る楽しみを教えたいなって。簡単な歌でも、音楽を作るってことはほんとにとっても楽しいんだよって教えたいんだ」
意外な夢だな、というのが正直な感想だった。
音楽に限らず芸術の分野は既にあらかた開拓が進んでおり、たまに現れるネイティブの天才や、先鋭化や最適化の得意なデザイナーズチルドレンが作り出す作品のみが出まわるばかりである。
より優れたもののみがやればいい、という考えのもと、自ら音楽を作ろうという概念は今や風前の灯火だ。
一応芸術として一括りになって授業として存在はしているものの、いつ無くなったとしても不思議はない。
華は敢えてそこに飛び込もうというのだ。
「あとはね、やっぱり家族が欲しいかな。今もお父さんやお母さんがいるし、お兄ちゃんだっている。でもね、ずっとじゃない。きっとお母さんだってお父さんだって、私より早く死んじゃうんだと思う。そうしたら私独りぼっちになっちゃうんだ。それってほんとに寂しいじゃない? だから結婚して子供を作って、それでその子供に看取られて死んでいく。そんな風に生きるのが夢かな」
「今から死ぬときのことまで考えてるなんて気が早いのな」
「あくまで希望だよ。でもね、そう考えてたらきっとできる気がするんだ。そう思わない?」
「かもな」
そう語る華は、いつにもまして楽しそうに見えた。
夢を持った人間はこんなにも輝くのかというぐらいに。
それはさながら夜の公園に咲いた太陽で、夜空の月よりも明るく輝いていた。
「夢っていいものだな」
「そうだよ。夢は楽しくなくちゃ」
そんな言葉が自然と口をついて出てきて、華がすぐに同意してくれる。
華の笑顔を見ることで少しだけ心地よい気分に浸れたが、それもつかの間すぐに違和感を覚えた。
俺はさっきまで恋愛症候群の話をしていたはずだ。
なのに何故夢の話をしているのだろう。
女子特有の脈絡なく話が飛ぶ現象、と片付けてしまうのは簡単だが、今回はどうもそうとは思えない。
何か理由があるのだろうか。
「青葉くん、青葉くんは将来のことはそんなに具体的に考えてないって言ったよね」
「ああ」
「それでどうしようって悩んだことある?」
「たまになら。でも不安ってよりは、これから先何をしようっていう期待もあると思う。だから真剣に悩んだっていうとちょっと違うかもしれない」
「だよねだよね。私もそう。将来のこと考えることはあるんだけど、どうも私はそんなに遠い未来のことを考えるのは苦手みたいなんだ。きっと楽しい未来になってくれるはずだーって結論で終わっちゃう」
「まあそれが気楽だよな」
未来は不定ではなく未定である。
華の言う通り、そこに向かう意志さえあれば、あとは具体的な道筋などはどうとでもなるのだろう。
意思あるところに道あり。
そう言ってはっと気付いた。
俺が悩んでいることは何か違うのだろうか。
いや、何も違わないじゃないか。
結局悩みの本質は恋愛症候群が将来にどう影響するかで悩んでいるである。
ならば俺が今出した結論はなんだ?
意志さえあるならば、それに付随する道などどうとでも作れると言ったばかりじゃないか。
つまり、俺の意志以外を考える意味はない。
「それで、答えは出たかな」
「まだ。でも、すぐに出せると思う」
「それは良かった」
華にはわかっていたのだろう。
結局、俺がそうやって決めるしかないってことが。
敵わないな。
心からそう思えた。
ブランコから見上げた先には、後ろに満月を従えた女の子。
俺が惚れた女の子。
その女の子は、俺のことを好きだと言ってくれている。
俺だってその女の子のことは好きだ。
今ここにある事実はたったの2つ。
その2つだけで、十分だった。




