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恋愛症候群  作者: 真殿悠
第四章
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タウ蛋白

「風に当たりたいってだけで、わざわざこんなところに?」

「そうですよー」


そんなわけがないだろう、と思った。

黒磯は他の人達と同様に、授業が終わったらそのまま帰っていったはずだ。

ただ独りで風を浴びたいだけなら、他の場所でいくらでもできる。

つまりわざわざこの場所に来るべき理由があったのだ。

しかしその理由がなんであれ、何故こんな明らかな嘘をついてまで隠す必要があるのだろうか。

言いたくないなら言わなければいいのに、嘘をつく理由が気になる。


「誰かを待ってたりするのか」

「んー、そういうんじゃないですけど、当たらずとも遠からずってやつですかね」

「風に当たってるだけじゃなかったのか」

「あれ、そんなこと言いましたっけ?」

「ボケるにはまだ5,60年は早いぞ」

「そうですね」


何故か楽しそうに会話を続ける黒磯。

視線は相変わらず窓の外にあり、ある一点を見つめていた。


「何見てるんだ」

「まだ何も見てないですよ」

「まだ?」

「はい。まだ」


視線の方向はどうやら校門とそれに続く玄関への道で間違いないようだ。

しかし「まだ」ときたもんだ。

つまりこれから何かが起こるということなのだが、さっきの口ぶりからするにそこを通る誰かを待っている、というわけではないらしい。

一体何が起こるってんだ。


「あ、来ましたよ」


その言葉に、俺も視線を窓の外に移す。

そこには1人の老人が校門に入ってくる瞬間の場面があった。

教職員、というわけではなさそうだ。

第一あの年でまだ働いているというのも違和感があるし、それにここで働いているのなら俺にも見覚えがあるはずである。

つまり彼は完全な部外者であろう。

手に持った大きめのバッグも、どこか怪しい雰囲気を助長している。


「なあ、勝手に入っても大丈夫なのか?」

「いいんですよ、あの人なら」


まるで日常の光景とでも言わんばかりに、特にリアクションもせずその姿を眺めている黒磯。


「いや部外者が入ったらまずいだろう」

「まあ確かにあの人は厳密に言えば部外者ですけど、あの人だから許されてるんです」

「なんでまた」

「見てればわかりますよ。ほら」


言われて視線を向けると、老人は手に持ったバッグから何かを取り出した。


「ほうき……?」


彼が取り出したのはほうき、そしてちりとりだった。

あんな前時代の遺物、時代劇の中でしか見たことがないぞ。

確か掃除をするための道具だったか。

あんなものを取り出して何をする気なんだ?

その疑問の答えはあっという間に出た。

そのまま老人は手にほうきを持ち、掃除を始めたのだ。

そりゃ掃除をするための道具なのだから掃除をするのが道理というものだけどさあ。

今の時代清掃ロボットがやってくれるのだから、わざわざ人間がやる必要がない。

しかもここは学校の敷地であり、ここを選ぶ理由もわからない。

非常に不思議な光景だった。


「あの人、毎週火曜日は必ずここに掃除しにくるんです」

「毎週来てるのか」

「うん、毎週」


全く知らなかった。

基本的にこんな時間まで学校に残っている生徒は少ないので、彼が噂になることもなかったのだろう。

俺も多分の例に漏れず、気付かなかった口だ。

そうするとまた1つ疑問が浮かんでくる。


「黒磯はなんで知ってるんだ?」

「あの人ね、私のおじいちゃんなんです」

「マジで!?」

「マジですよ」


あんまりさらっというものだから余計に驚いてしまった。

なるほど確かにそれなら黒磯が知っているのも頷ける。

とりあえず疑問は一つ解決したわけだ。


「なあ、その、おじいさんはなんであんなところで掃除をしてるんだ?」


自分で言うのも何だが、当然の疑問である。

というか最初からずっとこれが疑問の核にある。

黒磯が彼は自分の祖父だというのなら、そのぐらいは知っているはずだろう。


「あの人ねぇ、ボケてるんです」

「ボケてる?」

「そ。ボケてる。ちゃんとした言葉で言えば認知症ってやつですね」


認知症。

加齢により脳の機能が落ちていく病気だ。

症状としては物覚えが悪くなったり、場所や人の顔がわからなくなったりといった症状がよくある。

この病気になった人が何もわからず家を出て地域を徘徊するといったことは社会問題の1つになっており、様々な対策が求められている。


「認知症だから、掃除してるってのか」

「そうなんです。あの人、昔ここで用務員として働いてたんですよ。毎週火曜日になると必ずここに来て、あんな昔のやり方で掃除をして帰っていくんです。不思議ですよねぇ、家族の顔も名前も覚えてないのに、『火曜日には掃除をする』ってことだけは覚えてる。よくわからない話ですよねぇ」


そう呟く黒磯の横顔は、どこか寂しそうに見えた。


「話しかけたりしないのか」

「しないですよぉ。っていうか、1度それをやったらすっごい怒られちゃって。『掃除の邪魔をするなー!』って。ほんっとわけわかんないですよ」

「だからここで見てるってわけか」

「まあそういうことです」


認知症は初めから症状が出揃うわけではない。

何もないところから症状が徐々に進行していくのだ。

今までわかっていたものがわからなくなる。

その恐怖はどれほどのものだろうか。

しかもその恐怖を味わうのは本人だけに限らない。

周りの人間だって程度の差はあれ同じ恐怖を味わうことになるのだ。

その当事者の一人である黒磯は何を思うのだろう。


「これでも私、昔はおじいちゃんと仲良かったんですよ。茜ちゃんと一緒におじいちゃんの家によく遊びに行ってました。でも3年ぐらい前かな、なんだかおじいちゃんの性格がおかしくなったなーと思ったら、気付いたらあんな感じです」

「それは……大変そうだ」

「ええもう大変でしたよ。おじいちゃんがあんなになったのでお母さんはお世話をするためにこっちに帰って来なきゃいけなくて。それで離婚しちゃったんですよね。今でもお父さんとお母さんは仲良いですよ」


仲がいいままで別れなければならないことがある。

世の中そんなことがあるのだろうか。

いや実際の事例をこうやって目の当たりにしているわけだが、それでも納得はできていない。


「黒磯は反対しなかったのか」

「しなかったですねぇ。ていうかできませんでした。だって私達が反対しても絶対に覆る話じゃありませんから。だったら反対してお母さんとお父さんに余計な心配かけさせるのは無駄ですよ」

「優しいな」

「臆病なだけですよ」


そうやって謙遜する表情は、先程より少しだけ照れくさそうに見えた。



やがて、黒磯のおじいさんは掃除を終え校門を出て行く。

きっと来週の今日、同じ時間にまた来るのだろう。

そんな後ろ姿を見送った黒磯は、俺に向き直りながらこう言った。


「それじゃあ青葉くんも、大切な人と離ればなれになるようなことにはならないようにしてくださいね。特に女の子は泣かしちゃダメですよ?」

「お前、まさか……」

「あれだけあからさまにやってたら誰だって気付きます。そんなわけで、珍しく私からのアドバイスでした。それじゃあいい報告聞けるようにお祈りしますよ」


お祈りはフラグ失敗フラグだろ、と言いかけたが黒磯はすぐにいなくなってしまった。


だれでも気付いている、か。

ちょっとばかり誤算だったな。

それと大切な人と一緒に、ね。

あいつも意外といいこと言うのな。

あまり典型的な認知症の症状ではないです

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