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恋愛症候群  作者: 真殿悠
第四章
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ドデシル硫酸ナトリウム

結局橘は不満気な表情を崩さないまま帰っていった。

ご期待に沿えなかったのは残念なことだが、無理に期待通りに振る舞う必要もないのでどうしようもない。


「あれで良かったの?」

「あれ以外何があるんだ」

「パパっと決めちゃうとか」

「それができたらここまで拗れてない」

「ごもっとも」


さて、橘はこれであしらえたことになるわけだ。

あしらえたということにしておこう。

あいつのニヤケ顔を考えてたらまとまる考えもまとまらん。


「それでどうだった?」

「どうだったって何が」

「華のことぢゃお。何のためにお前に紹介したと思ってんだ」

「あー、そういやそんな理由だった気がしてきた」

「おい」

「そんな怒んないでよ。理由は忘れてたけど、ちゃんと見るべきところは見たつもりだから」

「ならいいけどさあ……」


本当に大丈夫なのだろうか。

俺の目には楽しくゲームをして遊んでいたようにしか見えないが、今更やり直しが出来るわけでもないので芽衣の言葉を信じるしかない。


「じゃあまず華と話してみた感想はどうだった」

「うーん、しゃべり方とか結構可愛いと思う。変に媚び売ってるわけでもないし、本当に楽しそうに喋るから、釣られてこっちも楽しくなる感じ」

「なるほど」

「あとはすっごい素直。裏表が全然ないの。思ったことを口に出す、ってのとはちょっと違うけど、なんていえばいいのかな、邪気がない? とにかく話してたらつられてこっちが浄化されるぐらい。もう天使だよね」

「えらい高評価だな。そんなにすごかったか」

「まあね。あれなら兄ちゃんが惚れるのもなんとなくわかるかなーって感じ。あ、でも一目惚れだったんだっけ? じゃあやっぱりわかんないわ。別に可愛くないってわけじゃないけど、ネイティブ顔だし、なんで惚れたんだか」


自分のことではないが、これだけ華が褒められると少し鼻が高い。

そんな人が俺を好きだと言ってくれているのだから、間接的に俺も褒められている気分になる。

だか最後の一言が余計だ。

確かに一目惚れだったかもしれんが俺は容姿とかそういうので惚れたんじゃないから。

空気っていうか雰囲気っていうか溢れだすオーラに惚れただけだから。


「でもね」

「ん?」


先ほどまでの楽しそうな表情とは一転して、困惑した様子の芽衣。

一体どうしたというのだろうか。


「裏表がなさすぎっていうか邪気がなさすぎっていうか……信じたものには一直線だから、ずっと付き合ってたら疲れるかもしれない」


言い得て妙だ、と思った。

付き合い続けるには疲れる、実際その通りなのだろう。

白河の 清き魚も すみかねて 元の濁りの 田沼こひしき

江戸時代からこんな和歌があるように、人は綺麗事だけで生きていくことはできない。

ある程度の邪悪な側面が存在しなければ息苦しさを感じてしまうのだ。

よく「仲を深めるためには共通の敵を作るのがよい」と言われるが、ある程度は汚い面も見なければ人間全幅の信頼を寄せることはなかなか難しい。

中には敢えて軽い闇を見せることで本当の闇を隠すという高度なテクニックも存在しているらしいのだが、華の場合はそんなテクニック以前の問題だ。

ちょっとした冗談を言うことはあっても、明らかな性格の悪さを見せる場面がないのだ。

たった2ヶ月、されど2ヶ月。

この2ヶ月で彼女の邪気が全く見えてこない以上、存在しない、もし存在したとしても表に出てくることはないと考えていいのだろう。


勧善懲悪は古今東西人々のこころを潤わせてくれる。

元来悪とは忌むべき存在なのだ。

その悪を持っていないということは素晴らしいことだとも言える。

だがそれは同時に恐怖の対象にもなりうるのだ。

行き過ぎた消毒薬は皮膚を犯し、戻らぬ痛みを与える。

純粋さは時として猛毒にすらなるのだ。


「そうかもな」

「それで兄ちゃんの聞きたいことは聞けた?」

「あー、まあだいたい。俺の思ったことは基本的に間違ってなかったってわかったわけだし」

「それじゃ私はもうお役御免でいいかな? 橘さんが来るっていうから色々張り切ったら疲れちゃった」


そういえばわざわざ和服まで着つけてたものな。

さっき2人で話していた時も緊張しっぱなしだったし、思った以上に疲労が濃かったのだろう。

小さなあくびをして布団に入ろうとする。


「お前晩飯はどうするんだ」

「その時になったら起こして」

「ったく……」


いい御身分にしか見えないが、ここで叩き起こして夕飯の用意を手伝わせようとしたところで役には立たないだろう。

寝かせておいてやるか。


「あ、それとまだ聞きたいことがあったんだ」

「なに? 眠いんだけど」

「1つだけだから」


先程以上に不機嫌そうな声色を隠そうともせず、布団に入る芽衣。

だが鉄は熱いうちに打てという言葉どおり、こういうことは早めに聞いておかなければならない。


「お前は俺が華と付き合うべきだと思うか」

「眠いから後にして」


……いやその返事はないだろう。



その後夕飯を食べに降りてきた芽衣にまた聞いてみた。


「俺が華と付き合」

「お風呂入るから後にして」

「あっはい」


なんだかなあ。

じゃあ今度は風呂あがりに


「なあ芽衣」

「眠いから寝る」

「そう……」


え、なんで俺こんな避けられてるの。

なんか悪いことしたっけ。







「ていうことがあったんだけど」

「なんで俺にそれを聞く」

「いや華や橘に聞くわけにもいかないし」


あの後芽衣と話をしようにも、先程の調子であっさりとスルーされ続けていた。

全く話を聞く気がないってわけじゃなさそうなんだけど、話ができていないのもまた事実である。

どうにかしなければと思うもやはり自分1人で解決できるとも思えない。

憧れの橘さんを使えばうまくいくのかもしれないが、それはそれで橘に借りを作ることになりそうで嫌だった。

というわけで一真に相談することと相成ったわけだ。


「そもそもなんで芽衣ちゃんはそんなに冷たいんだ? 普段からそうってわけじゃないんだろ」

「そうだな。……いやそうか? 普段から結構冷たかった気がしてきたぞ」

「ならいつも通りってことじゃないか。じゃあよくね」

「でもこんなに冷たくされる理由が思い浮かばないんだよな。普段なら冷蔵庫のプリンを食べたとかお気に入りの端末を勝手に使ったとか、そういう理由があるんだけど」

「お前悪い奴だなあ」

「心外な」


プリンをそんな見えるところに置いておくほうが悪い。


「で、要は妹に恋愛症候群のことを相談してたら不機嫌になったと。そういうことでいいのか」

「まあそうだな」

「そりゃあれだ。嫉妬だよ嫉妬」


嫉妬?


「嫉妬って誰が誰に」

「芽衣ちゃんが華に。そのくらいわかんべ」

「いや全然わかんねえ。なんでそんなことする必要があるんだ」

「いや嫉妬に必要も何もねえだろうが」

「てかそれならなんで俺が最初に相談したときに言ってくれなかったんだよ。こんだけ相談続けてて今回急に嫉妬だって言われても、はいそうですかとはならねえよ」

「そりゃあ、実際に会って我慢の限界が来たんじゃねえの。性格に難のある相手ならまだしも、華はそういう欠点ないだろ? だから余計嫉妬しちゃったんじゃね」

「だからって……」

「女はイライラを貯めこんで一気に爆発させるってよく言われてるじゃねえか。それが今だってだけだろ」

「あー、そういえばそんな話聞いたことがあるな」


妙に説得力のある理屈だ。

実際全くの的外れというわけでもないのだろう。


しかし嫉妬か。

兄冥利に尽きると言いたいところだが、このまま機嫌が治ってくれないのもそれはそれで困りものである。

どうにかご機嫌をとるいい方法はないものだろうか。


「一真はどうしたらいいと思う?」

「わからん。俺は妹なんていないし。確実に言えるのは、真摯な態度で臨めばわかってくれるだろうってことぐらいか」

「具体的には?」

「その相談したきっかけの恋愛症候群をどうにかしなきゃならんてことだ」


やっぱりそうなりますよねえ。


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