赤の女王仮説
あれから1週間が経った。
長いようで短く、退屈なようで目まぐるしい、そんな1週間だった。
修学旅行は2日目の夜より先ははっきりと記憶に残っていない。
あの後華に何と返事をしたのか。
いや、はっきりとした返事は返していないだろう。
だってこの1週間、何かがある度に2人きりになる空気を作りたがる華から逃げる日々で、ひたすら返事を先延ばしにしていたのは俺なのだから。
華に対して申し訳ない気持ちはあるのだが、なるべく恋愛を話題にしないというのが治療の一つなのだから、今下手に話すわけにはいかない。
いや、それも体の良い言い訳か。
本当に後先を考えて行動するなら、しっかりとけじめをつけてしまったほうが結果的に恋愛の話を避けることに繋がるだろう。
それをしていないのは偏に俺の臆病に拠る。
とはいえ華だって全く問題がないとは言えない。
俺の恋愛症候群を知っているというのが本当なら、その上で恋愛関係になろうというのは余りにも横暴だ。
いくらネイティブは恋愛に対して自由であるとは言っても、その相手が自由でなかったら何の意味もなさない。
一応恋愛症候群は相手の同意を得られた場合、一生付き合っていく病気として安定期に入る、と先生には教わっている。
果たして彼女はそれを理解しているのだろうか。
それとも理解した上で、俺に恋愛症候群を不治の病として定着させようというのだろうか。
何から何までわからない。
ただ1つわかっていることは、俺が何かの行動を起こさない限り、こうやってグダグダ言っていることが全部言い訳でしかないということだ。
「なあ青葉、最近お前なんか変だよな」
だから、そうやって一真に声をかけられるのも時間の問題だった。
「変って何が?」
「修学旅行終わってから、露骨に華を避けるようになった」
「そ、そんなことないんじゃない……かもしれない」
「何した」
「俺は何もしてない……本当に何もしていない」
そう、何もしていない。
余計なこともしていなければ必要なこともしていない。
ただただゆっくりと後退していく赤の女王を眺めているだけだ。
「華はなんて」
「俺が恋愛症候群だって知ってたらしい」
「……さすがにそれは予想外だったな」
「ああ。家族以外だとお前と橘ぐらいしか知らないだろうと思ってた」
「先生には言ってないのか」
「一応伝えてある。頑張れとしか言われてないけど」
「そうか……」
教室を沈黙が支配していた。
もう時刻は4時を回り、俺と一真以外に人影はない。
今はその沈黙が逆に心地よかった。
「橘が教えたって可能性は」
「ゼロじゃない。けどそんなことをする意味が見当たらない。せっかく握った秘密をこんな手放し方をするあいつじゃない」
「ずんぶ橘に高い評価をするのな」
「あいつにはそれなりに手綱を握られてるから」
「ゆるくないな」
橘の行動にはある程度の一貫性を見出すことができる。
その1つの軸が「事態が面白くなる方向にする」である。
そんな橘が、こんな自分の見ていないところで最大の弱みがなくなるなんてことを許すわけもない。
だから少なくとも故意に教えたという線は薄いだろう。
ならば何故?
何故彼女は知っていたのか。
「一応橘にも聞いてみることにするよ」
「解決するといいな」
「ありがと」
持つべきものは友。
何度反芻しても良い言葉である。
そんな名言を肌身で実感させてくれた一真に感謝しつつ、俺は教室を後にした。
一真が何か特別なことをしたかといえば、別にそんなことはない。
ただ俺の話を聞いて、相槌を打って、少しばかりの励ましをしてくれただけだ。
だがそれで十分だ。
中学3年生の同級生に対して、聖人君子のような訓戒や教唆を求めて相談するものは誰もいないだろう。
話を聞いてくれる友人がいる。
その事実で十分だ。
もう十分泣き言は言った。
さあ、解決のために動くときだ。




