重層扁平上皮
自分に嘘をついてはいけない。
自分に嘘をつけば次は家族に、次は友達に、そして他人に。
そうやって段々と嘘をつくことに抵抗がなくなり、誰にでも嘘をつく人間になってしまう。
だから絶対に自分を騙そうとするな。
普段あまり家に居ない父親が教えてくれた数少ない教訓だった。
小さな頃から何度となく教えこまれ、何度となく思い返す。
そうやって口を酸っぱくして繰り返された訓示は、俺の潜在意識下での行動決定をどこかで左右していたのだろう。
「これは違う」と一度思ったことは二度と手を付けないようにしていた。
結局「嘘をつかない」という教えは生かされなかったけれど、最低でも何気ない嘘にすら罪悪感を覚える人間になったことは少しだけその教えに感謝している。
話を戻そう。
自分に嘘をつかないこと。
この場合俺が自分で決めた「華に俺以外の友達が二人できるまで嘘を隠し通す」という決め事についてだ。
気付けばあっという間に友達が二人。
癪な話だが橘を華の友達と認めないわけにもいかないだろう。だって本人がそう認めているのだから。
だから俺は言わなければいけない。
自分の嘘と罪を、華に言わなければいけない。
その先どうするかは華次第だろう。
想定しうる最悪なパターンはショックのあまり華が他も含めて一切の交友関係を断ち切ってしまうこと。
だが華の性格的にこれは可能性が高くないと思う。
次に良くないのが反動でデザイナーズチルドレン全体へと偏見の目を向けてしまうこと。
前にも言ったがデザイナーズチルドレンを無視してこの世界で生きていくなんて到底不可能な話だ。
だからこそ俺はこうやって華に敢えてデザイナーズチルドレンの友人を作らせようとしているというのに。
だが俺が信じる華はきっとそんな偏見の目を持つことなく一真や橘と変わらぬ付き合いをしてくれる。
殊更に心配するほどではないだろう。
そして最も危惧する事態、それは華が変わらず俺を受け入れてくれることだった。
普通は逆なのかもしれない。
けれどそれも別のベクトルで最悪だ。
利己的な理由を挙げるなら、俺が良心の呵責に耐えられそうにないからだ。
生憎と自分の犯した間違いに対して何のペナルティもない状態でのうのうと笑って過ごせるほど何も考えていないわけじゃない。
それにそれはきっと華本人が得をしない。
もし華が俺の嘘を受け入れてしまったとしたら、そこから先は確実に閉じた世界が待っている。
以前華が話していた転校する前の親友。
彼女はその友人に軽い執着めいた依存をしていた。
ここで世界が閉じてしまうのなら、その依存の対象が変更されるだけだ。
進めた歩みは止めてはいけない。
ましてや逆の方向に歩を進めるだなんて、何が何でも否定しなきゃいけないんだ。
とはいえただ何の準備もなく真実をぶつけてもろくなことにはならない。
ミットを構えていない相手に150kmの豪速球を投げつけるのは、下手をすれば殺人だ。
根回しは必要だ。
やるべき根回しはいくらでもある。
まず一つは華に対しての準備だ。
どうにかして華が真実を受け入れる状況をつくりださなければいけない。
とりあえず俺がネイティブじゃないことを匂わせる程度のことはしようと思う。
問題は橘の処理だ。
一真はまあ、あんな感じだし何を言われるかもしれないが受け入れてはくれるだろう。
だが橘に関しては一筋縄ではいかないはずだ。
だって俺がカミングアウトをするということは、あいつの楽しみである俺の恋愛日記が途切れかねないと言っているのと同義だ。
あいつがそんな面白くないことを許すはずもない。
下手に対処を誤ると華にあることないこと吹き込んで俺の告白を邪魔しようとするかもしれない。
目下最大の障害と考えるべきだろう。
何らかの策を練らないといけない。
「で、それはわかったけどなんでわたしのところに来るわけ?」
「相談事といったら芽衣かなーって……」
「ごめんこれっぽっちも意味わかんない」
俺は今、妹の部屋で正座していた。
別に強制されているわけではないのだが、妹様の溢れ出る不機嫌オーラに何故かそうしなければいけないような気がしたのだ。
「で、その策ってのを私に考えて欲しいのよね」
「お、話が早い。でもそこまでは言ってないよ。できれば一緒に考えて欲しいかなーって」
「何が違うのかわかんないんだけど」
「……気持ち?」
「バカじゃないの」
そうは言っても一人じゃ大した考えも出てこないから仕方ない。
岡目八目という言葉もあるように、この件に直接関わっていない芽衣なら何か違った視点でブレイクスルーをもたらしてくれるんじゃないだろうか。
そんな期待がどこかにあった。
「まあまあ、今度お菓子奢るから」
「シャルル・マーニュのミルフィーユ」
「え」
「シャルル・マーニュのミルフィーユなら考えてやらなくもない」
「いやそれはちょっと……」
「ならこの話はなし」
シャルル・マーニュとは駅とは離れた住宅街の中でひっそりと営業しているケーキ屋の名前だ。
ひっそりと、とは言っても知る人ぞ知る名店であり、中でもミルフィーユに関しては東京の名店に勝るとも劣らないと評判である。
ぶっちゃけ超人気店だ。
そしてその評判に見合うように当然ケーキはすぐに売り切れ、ミルフィーユに至っては回転数分で無くなることも日常茶飯事らしい。
あと結構高級店なので中学生の財布には厳しいという見過ごせないポイントもある。
芽衣はそんな店のそんなケーキを買ってこいという。
燕の子安貝をもってくるほうがまだマシな課題なんじゃないだろうか。
しかし……背に腹は代えられない。
「わかった」
そう言うしかないだろうよ。
その言葉を聞いてからしばし真面目に考え込んでいた芽衣だったが、考えがまとまったのかパンと柏を打って立ち上がりこう言った。
「わたしが出る」
どこの武将だよ……ってマジで?




