ストックホルム症候群
「ていうことがありました」
「やっぱバカだ」
橘から仰せつかった課題、もといお仕事の内容を芽衣に伝えると、案の定そんな言葉が返ってきた。
さすがに毎日のように聞いているとどんな暴言でも慣れてしまうもので、ここまで来ると一種の挨拶代わりにすら感じられてしまう。
むしろこの暴言を聞かないと落ち着かないまである。
そうか、こうやって共依存やストックホルム症候群が出来上がっていくのだな。
危ないところだった。
「兄ちゃん?」
「はいなんでしょう」
上の空でいるとすぐにこうやって芽衣からの叱責が飛ぶ。
いつの間にこんな上下関係が出来てしまったのだろう。
…………もしかして芽衣が生まれた時からでは。
よく下の子ほど可愛いという言葉があるが、そこでできた兄妹間の序列そのままに芽衣本人も力をつけてきている。
いや、これ以上考えるのはよそう。
真実と向き合うことも大切だが、やさしい嘘も同じくらいに大切だ。
俺なんか現実を直視しないことでなんとかこの家で生きながらえている節すらあるからな。
「話はそれだけ?」
「それだけって、大事な話だと思ったんだけど」
「正直どうでもいい」
「えぇ……」
例え頼りない兄だとしても芽衣は最後まで味方で居てくれると思ったのに。
妹は我を見捨てたもうたか。
「その橘って人、約束は守る人なの?」
「わかんないけど、俺にこういう話を持ちかけてきた以上はそうだと思う。ていうかあいつ言いふらすような友達いないし」
「……悲しい理由だね」
「……そうだな」
何故か空気が暗くなる。
なんで全く関係のない我が家で俺たち兄妹が橘のことで心を痛めなければいけないのだろう。
冷静に考えると意味がわからない。
「まあそういうことだから、日記を書くことにした」
「別に無視していいんじゃないの?」
「いや、いくら友達いなくても言いふらすのはできなくもないかなって」
「ふーん」
芽衣は心底興味なさそうにぐるりと背を向ける。
その目の前には液晶画面
最近ではもう俺の前ではBLを隠そうとすらしなくなった。
R-15とかいう表記が見える気がするのは気のせいじゃないはずだが、そこを暴き立てても誰も得をしない。
やさしい嘘やさしい嘘。
「じゃあそれで終わりなら私ゲームしたいんだけど」
「あ、ちょっと待ってもう一つある」
「なに?」
興味なさそうを通り越して邪魔くさそうな視線を向けられる。
いやいいんですけどね。
クセになってんだ、妹に虐げられるの。
「母さんと父さんに病気のことを話そうと思うんだ」
「お?」
「聞いてくれる気になったか」
「私にもそこそこ関係ある話だし」
「そんなに迷惑かけないようにするつもりだ」
「何殊勝なこと言ってんだか。で、なんて言うつもりなの」
「普通に恋愛症候群になっちゃいましたーって」
「それだけ?」
「それだけ」
返事を聞いた芽衣はこれみよがしに深く失望したため息をついた。
「もうちょっとなんかないの?」
「俺もそう思ったんだけど、正直思い浮かばなかった」
結局、余計なことは言わないことにした。
どうやったって俺の手に余る、正確にはたかだか14歳の中学生の手には負えないことなのだ。
少しくらい親に責任を放り投げても許される、と思う。
「もう好きにしたらいいんじゃないの、って言いたいところだけどそうもいかないしなあ。いつ言うつもり」
「父さんが明後日は家にいるっていうから、明後日。どんなに遅くても来週には言わないと」
「結構急だね」
「病院の先生にせっつかれてな」
「なるほど」
それっきり芽衣は口元に手を当て考えこんでしまった。
今日の橘への報告は、この妹との会話でも書いておけばいいか。
初回だから今までの経過報告もあったほうが親切だろうとは思うけど、そんなことをしてやる義理も義務もないわけだしな。
そんなことよりも今は家族の問題だ。
こっちのほうが大切に決まっている。
それを解決するための一歩がこの宣言。
こうやって芽衣に話したことは、自戒の意味も込めていた。
後戻りできないように、土壇場になって逃げないように。
芽衣にはその証人になってもらう。
しばらく物思いにふけっていた芽衣だったが、もういいかという頃合いでおもむろに口を開いた。
「その話、私も混ざるわ」
まあ予想はしていた。
好奇心旺盛な年頃っていうのもそうだし、芽衣の性格から言って十分予想できる範疇だ。
だから、次の言葉も十分予想できるものだった。
「兄ちゃんに任せたらお父さんとお母さんを余計悲しませることになるでしょ?」
否定できないのがまた悲しい兄である。
なんだか妹との会話がセーブポイントみたいになってますね。
特にそういう意図はしていないのですが




