求心性偏移
橘結衣。
中3になって初めて同じクラスになった相手だ。
率直に言ってこの2年間何をしていたかは特に知らない。
目立った噂を聞いたこともなければ、悪い評判も聞いたことがない。
ただ淡々と定期テストで上位の成績を取っていくということを知らなければ、一生彼女の名前を聞くことはなかっただろう。
そんな生徒だ。
成績上位ということに注目すればこの上なく目立つ生徒だ。
何せほぼすべての科目で上位をとり、総合成績で3位以内から落ちたことは見たことがない。
聞けば英才教育を受けているわけでもなければ勉学に特化したデザイナーズチルドレンというわけでもないという。
そんな彼女が他のデザイナーズチルドレンを押しのけて成績上位に君臨するというのは、相当にイレギュラーな状態であるらしい。
ひたすら健康に、とデザインされた俺からしてみれば特段知ったこっちゃない話ではあるが、学問に特化したデザイナーズチルドレン達からすると死活問題らしい。
実際「頭の良さ」というものがどこから来ているのか、何を持って「頭が良い」とするのか、議論は尽きないだけに定義も定まっちゃくれない。そのためデザイナーズチルドレンだからといって学校の勉強ができるとは限らないのだ。
だからこそ学校の勉強に能力の比重を傾けたデザイナーズチルドレンからすれば、橘結衣は目の上のたんこぶどころの騒ぎではない。
端的に言って邪魔な存在だ。
やっかみ半分で「実は勉強ができるように作られたデザイナーズチルドレンなのにそれを隠している」なんて言われることもあるくらいだ。
だからそういう人間の目線で見れば、目立つ存在というのはとても正しい。
しかし人は勉学のみにて生きるにあらず。
俺に限らず学問関係に特化していないデザイナーズチルドレンは少なくない。
そんな奴らにとっては学問に特化したデザイナーズチルドレンだろうがなんだろうが特段気に留めるべき対象でもないのだ。
精々が「成績上位者で名前だけは見たことがある」「デザイナーズチルドレンの能力じゃないのにすごいなー」程度である。
俺個人で言えば完全に後者で、「すごい人」というイメージ以外特に何もない。
この時代には珍しく黒く長い髪しているがまあそんなものは個人の自由だし、それが好きだっていう人もいるらしいからそれでいいのだろう。
ともかくそういう「ちょっと変わったクラスメイト」以上の認識は持ち合わせていなかったのだ。
けれどそんな人が俺に何か話しかけて来た。
普通に考えれば、クラス行事の予定だったりどうでもいい頼み事だったり、終わったらすぐに忘れてしまうような用件で話しかけて来たと考えるべきだろう。
けれど彼女のニヤニヤとした笑いの奥底に覗く得も言われぬ不気味さが、決してそんな一過性のものではない、と告げていた。
「ねえねえ沖君、今暇でしょ? 勿論忙しかったら全然いいんだけどさ、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだ」
「なんだ」
「それはほら、ここじゃなんだから、ちょっと人のいないところで、ね?」
傍から見れば親密な二人の会話に見えないこともない。
実際橘は華に負けず劣らずその狭いパーソナルスペースをで俺にぐいぐいと近付いてきている。
彼女と華が決定的に異なる点といえば、そうやって近づく過程で裏を隠そうともしない点、だろうか。
華はそういう裏なんかかけらも頭に浮かばないような無邪気さで距離をぐいぐい詰めてくる。
華だってもしかしたら下心がないとも言い切れないのだが、橘はその裏が透けて見えるどころか全面に押し出しているきらいすらある。
こんなやり方、俺が警戒を強めるだけでメリットなんてないんじゃないだろうか。
いったい何がしたいのだろう。
目的がわからない以上、ひとまずここは相手の口車にのってみることにした。
こうやって近づいて来る本当の目的がわからないなら、断る理由も作れない。
「別に今だって誰もいないだろ。クラスの連中は全員帰った後だ。それともここじゃなんか不都合でもあるのか」
「ううん、全然そんなことないさ。じゃあ、ここで話をしようか」
あえてぶっきらぼうにそう言うと、橘は机に座りこちらを値踏みするような視線を向けてきた。
「一体なんだよ。俺は忙しくもないけど暇でもねえぞ」
「まあまあ落ち着いて。これからボクが話す話は君にとっても決して損じゃないと思うから」
「胡散臭いことこの上ない言い方だな」
「そうかもね。けどボク、こういう言い回ししてみたかったんだ。だってまるで物語の黒幕みたいな気分になれるじゃないか」
「よっぽどの物好きでない限りそんな黒幕なんてものまっぴらごめんだけどな。進んで悪役になりたい奴はそういねえよ」
「そうだね。残念ながらボクはそのよっぽどの物好きって奴みたいだ」
「あんま前置き長いと疲れるから、さっさと本題に入ってくれねえか」
「おっとごめんごめん、ボクの悪い癖だ。すぐ話が脇に逸れちゃうんだ。それじゃあ沖君に話をしよう。ボクとキミの楽しいトークショーの始まりだ」
こいつはこうやって勿体ぶった言い方が好きなのだろう。
聞いていてとても心地の良いものとは言えないが、意味が通じないわけでもないのでここは黙って聞き役に徹するとしよう。
何を目的に近付いてきたのか、それすらもわからないのだから。
「ねえ沖君。いやここは親しみを込めて青葉君でいいかな」
「好きに呼べ」
「ありがとう。じゃあ青葉君。キミは今の状況をどう思ってるのかな」
「今の状況?」
「そう、今の状況。キミが四条院さんと仲良くなって、そしてその勢いで四条院さんは一真くんと仲良くなって。どう思うかな」
「仲良き事は美しき哉、って昔の偉い誰かも言ってただろ。それでいいんじゃねえのか」
「そうだね。仲がいいってことはとてもいいことだ。少なくともそこに関わる人達は誰も困らない」
「じゃあなんだって……」
「でも、果たして本当にそれだけなのかな?」
「どういうことだ」
不敵な笑みを浮かべた橘は、興味を無くしかけていた俺を拾い上げるように、心に針をかけてきた。
勿体ぶった言い方、と断じるには、あまりに何かを知っているように見えてしまったから。
「キミがわからない、ってことはないんじゃないかなあ。だってキミを中心に全てが回ってるんだから。キミが全ての事態を作り出し、キミが全ての解決の鍵を握っているのさ。そうだろ? 恋愛症候群にかかった『嘘つきボーイ』の青葉君?」




