何故、人から忌み嫌われるクソゲーが出来るのか
クソゲーの由来。
以前、テレビゲームの仕事をしていた。バブルも手伝って物凄く景気が良かった。
メーカーさんも流通さんもショップさんも、どえらく儲かっていた。
そして、ユーザーさんにも喜んで貰えた。ソフト発売日には、それがビッグタイトルだと、ショップの前に長大な待ち行列が出来るという状態だった。
マーケ(マーケティング)と言うのかな、今から考えると、このユーザー層による支持というのは、業界にとって非常に大事なことだと思う。
何故、ゲームという業界であの様な事が実現していたかを、今、考えてみたい。
実はメーカーさんが色々な企画を考え、作って発売しても、ユーザーさんが面白いと思わなければ一本も売れない。それが、良い作品であるとかどうとかはまったく関係ないのだ。いわゆる「クソゲー」、「ハゲソフト」と言われるものである。
そして、メーカーさんがどれほど力を入れて作ろうが、また広告宣伝費をかけようが、ハゲる時はハゲる。
逆に、何でもない、お金の掛かっていないソフトが一旦当たればお化けソフトになる。
そして、長蛇の列を呼ぶ品薄が発生する。(あれは、決して演出されたものではなかった)需要と供給のアンバランスから来るものだ。
さて、ではこのラディカルな市場をどうやって平準化するか。
それが長いこと、ゲーム業界の研究課題だった。
生産規模はCD化すれば済むと考えられた。その内、ダウンロードになるだろう。それまでのつなぎだ。
余った(需要数を超えた)CDは廃棄すれば良い。そうすれば需給バランスは平衡を取り戻し極端な値崩れはなくなるであろう。そう考えたのである。
しかし、実際はそうは行かなかった。開発費が無視できなかったのである。そして、これはダウンロードになっても同じであった。開発費は資産に評価される。そして廃棄処分はそれ相応の理由がないと経理上、許されない。
どこで読み違えたか?開発費の膨張である。その頃はCGだと言われていた。
ちょっとしたアイデアでゲームが作れる時代は去っていた。
高額な費用をかけてコンピュータグラフィックを振り回さなければゲームとして価値を認められなくなっていた。
これでは、外れたときのリスクはとてつもなく大きいものとなる。必然的に若い才能がガレージメーカーとして一攫千金を夢見て挑戦するという図式はなりたたないであろう。