第一章 3
3
暗闇の中、ユウロは目を覚ました。頭が痛くなり額を押さえ、自分がどうなったのかを思い起こした。
(たしかなんか、前みたいな黒い影に捕まって……それから、どうしたんだっけ)
「起きたかしら、お姫様」
「あなた、誰?」
「私? 私はシエラ。初めまして、お姫様」
「職人やカズンさんはどこ?」
「いるわけないでしょ。彼らは、ここへあなたを迎えに来るの。シリアも甘くなったものねぇ、あなたみたいな女一人のために命を捧げるなんて。ここへ来れば私の思惑通りなんて、頭のいいあの子が分からないわけないのに」
クスクスと嫌な笑みを浮かべながら、言う。月明かりに照らされて浮かび上がる女の姿は妖艶だった。黒く長いストレートの髪に、床につくほどの長く細いノースリーブのドレス。光を宿さない瞳。
女は妖艶に口端を上げて、ユウロの前に水晶玉を一つ置いた。
「これで彼らが城に入ってからの様子は見れるわ。好きなだけ見なさい」
クスクスと嫌な笑いを浮かべ、女は部屋を立ち去る。どれだけ追いかけたい衝動に駆られたか分からない。しかしユウロは鎖によって拘束を受けているため、身動きすらままならない状態だった。
食事は定時、日に三回運ばれてくる。トイレのときは見張りつきで連れて行ってもらえる。けれど日を見ることは叶わなかった。
そんな生活が二日続いたある日、水晶に変化があった。今まで単なるガラス玉のような働きしかしていなかった水晶が、城を写した。そこに映っているのはユウロとカズンと……
(クロル、さん……)
その心の声が聞こえたのか、クロルは何かに気付いたように上を見上げた。それは水晶を通して、ユウロを睨みつけ、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
そうしてクロルは、シリアの腕へと自分の腕を絡め、水晶の視界から消えた。
* * *
シリア一行は、ユウロ救出のため城へと入り込んだ。初っ端から何か仕掛けることはないと踏んでいるため、シリアは臆することなく暗闇を歩き続ける。
そんなシリアについて行きながら、クロルは不満が禍々しく渦巻いていた。
「ねぇ兄貴。なんでシリアはあんなにあの子を気にかけるの? 戦闘能力もない単なる役立たずなのに」
「さぁな。そりゃぁシリアにしかわからんことじゃけん」
「おいお前ら。無駄口たたいてもいいが、第一の扉だぞ」
「オッケー」
この城には四つの関門がある。四つ目の関門をクリアすれば、最上階へ辿りつけるシステムだ。すなわち関門へ踏み込まない限り、敵に攻撃される心配は皆無である。
大きな軋みの音を立てて、巨大な樹の扉が開かれる。扉が開いた瞬間、壁に設置されているろうそくに火がついた。天井の電気で明るく照らされたその部屋にいた、最初の敵。
『初めまして。ワタクシ、シエラ様の第四部下であります』
「……第一手は俺が行こうかのぉ。いきなり主役登場じゃつまらんじゃろーて」
「……」
『原則勝負は一対一。仲間の手出しはルールー違反とさせていただきます』
「エエよ、俺とやろーや」
カズンが身軽に闘技場へ入った。観客席のように二人のいた床が高見へと上がり、闘技場を見下ろすような形となる。
「さぁ行くぜ」
剣を構えたカズンは、先手必勝といわんばかりにダッシュする。大きな剣を横薙ぎに振りきり、敵を一発で半分にしてしまう。
「なんじゃ、呆気ないな」
『注意力散漫なのですよ』
低く声が呟いたかと思うと、カズンの肩を長い爪のようなものが貫通した。抜けると同時に、射された部位から夥しい量の血が流れ出す。
『笑わせないで下さい。まだワタクシは、第四部下なのですよ』
「うっさいわぁっ!」
大声と同時に、銃弾を放つ。最後の銃弾を撃つと同時に、カズンは剣を振りかざし、敵目掛けて渾身の力を込めて振り下ろした。
敵は半分に切れ、白く拡散する。
『敵いません、シエラ様……すみません、ワタクシは先に逝かせていただきます』
そう呟いて、白い粒子は弾けて消えた。同時に高見台も消え、突然のことに上手く着地できなかったクロルは尻餅をつく。しかしシリアは空中で段を踏み、カズンの方へ駆けつけた。
「大丈夫か?」
「肩以外は怪我しとらん。心配すんな」
「……」
シリアは闘技場を見つめて、行こう、と呟く。その言葉にカズンは立ち上がり、二人は出口に向かって歩き始めた。その後を必死になって、クロルが追う。
扉の向こうは階段になっていた。何階かわからないほど昇った。無論、普通に昇ったのではない。彼らの跳躍力と脚力を駆使した、忍者が屋根を伝うような感じで昇ったのである。
二番目の扉は鉄である。またしても大きな軋みの音を立てて、扉が開く。入ってすぐは最初から高見になっていて、闘技場は水上に浮いていた。闘技場の上には女が一人。
『お初御目にかかります。うちはシエラ様の第三部下です。お手柔らかに』
にこっと笑う女。シリアがカズンの方を向くよりも先に、クロルが闘技場へ入ってしまった。高見から闘技場までの道は『跳ぶ』しかない。
「私が相手よ、女!」
『よろしう頼みます』
柔らかく笑む女。ドキッとその笑みに身体を止めた瞬間、クロルの背後に女の影。
『遅すぎます』
「がはっ」
殴りつけられて、闘技場が揺れる。女を蹴り飛ばして立ち上がり正面を向こうとするが、闘技場が揺れるためどうにもバランスがとりにくい。
右手に腰に備えてある三本のスローイングナイフを持ち、左手に大きなハンターナイフを持つ。瞳を閉じて女の気配を探りながら、クロルはナイフを持つ手に力を込める。
『遅い』
「そこっ」
気配を察知した場所へ、スローイングナイフを三本連続で打ち込む。女は咄嗟に水へ潜ったが、その水も赤く濁っていた。
ハンターナイフを両手持ちに切り替え、女が来るのを待つ。しばらくして女は、血に染まった右腕を掴んで闘技場へ上がってきた。
『やるじゃない、女のクセに』
「闘うのに、男も女も関係ないもの。強いか、弱いかだけよ」
そう言って女へ向かって突進する。すると女はしゃがみこみ、バンバンと床を叩き始めた。これが普通の床ならいざ知らず、水上に浮かべられただけの床である。走るだけでも揺れて走りにくいのだが、さらに追い討ちをかけるように揺れる床にクロルはバランスを崩す。
見越していたかのように、女はクロルへと飛びかかった。女がクロルへナイフを突き立てる直前、闘技場が真っ二つに割れて水飛沫が上がった。これではどちらがかったのか分からない。
「……クロル」
祈るようにしているカズン。ザバッと音がして、自ら誰かが出てくる。扉のある陸地に立って、こちらを向いた。
「クロルッ!」
カズンの叫びに、クロルはニッコリ笑って大きく手を左右に振った。二人は高見から飛び降り、空中で段を踏んで向こう側へ渡った。
到着早々、カズンがクロルを抱き締める。
「死んだかと思うたぞ、馬鹿野郎」
「死なないよ。当たり前でしょ?」
そう言ってクロルはニッコリ笑って天井の方を見据え、勝気に微笑んだ。
* * *
第一・第二と勝ち進んだ一行は、第三の門を通過し、第四の関門へ向かっていた。第三の門はほぼ無傷のクロルが戦闘していたが、どうやらそこで相当の深手を負ったらしく、その後は腕をずっと掴んでいる。
水晶で一部始終を見ながら、ユウロは奥歯をギリリと噛み締めるより他なかった。腕力も握力も無い自分は、こうして捕まえられていても自力で脱出ができない。かといって戦闘能力もないので、あの闘いの場にいたところで足手まといになるだけだ。
『一週間後に迎えに来てやるから、それまでに返事を出せ』
あの言葉は本気だった。これからもシリアと旅を続けるか、足手まといになるから辞めるのか。辞めて、一人で生活するのか。無論一人は嫌だが、自分勝手な理由で足手まといになると分かっているのに旅に同行するのは勝手極まりないのではないだろうか。
「……」
「お姫様、気分はいかがかしら」
牢の中にシエラがやって来る。彼女が来ると牢の中の闇が一層その色を濃くしたように見えるので、ユウロは彼女がどうも苦手だった。
「シエラさん……」
「困ったことに、騎士たちは第三関門を突破してしまってようなのよねぇ……まぁ第四関門にいるのは私の一番の部下だし、負けるという心配は不要だと思うんだけど。彼らが勝っても負けても、シリアには会えるから心配しなくても大丈夫よ」
口元に笑みを浮かべてスピカは言う。彼女の言葉には、シリアがここへ来るから会える言うよりも、シリアを捕獲するから会えるといった風に聞こえる。彼女の思惑が全く見えない。
「イイコト? 小娘。あなたはね、生かされているのよ。あなたの中の、魔獣によって生かされているの。まったく、あなたが魔獣の住処になっていなかったらすぐさま殺していたところよ。まぁ魔獣を連れてなかったら狙うこともしなかったけれど」
それだけ言って嫌な笑みをこぼし、スピカは牢を去っていく。そんなスピカの背中を睨みつけ、水晶へ目を移す。三人はすでに第四関門の前へ立っていた。シリアが二人の方を見て確認し、扉を開く。そのとき、クロルがこちらを向いて……笑う。四度目だ。城に入る前、第二・第三関門の後もこうしてこちらを向いて、勝ち誇ったように笑ってくる。
『あなたは闘えないけど、私はこうして闘えて、こうしてシリアの役に立てるのに、あなたは闘えないから役立たずなの』
そう言うように、彼女はこちらを向いて笑うのだ。ユウロに向かって『役立たず』と言わんばかりの笑みで。
「わかってるわよ……自分が役立たずってことくらいは」
不自由な両手拳を握り締めて、ユウロは奥歯を噛み締めた。
* * *
第四関門を入る。そこは穴だらけの洞窟のような闘技場だった。おそらく、ここはもう数十階となっていることだろう。さすがに三桁には及ばないと思うがかなりの高さだ。
「……俺が闘う」
そう言って、シンリが闘技場に降り立つ。すると穴の一つから、影が現れた。影は地を這うようにしてシリアの前方に止まり、人型を模る。
『この形ではお初御目にかかる』
そう言って影は、本物の人間になる。男だと信じて疑わなかったが、そこにいたのは真っ白な女だった。真っ黒な髪に真っ白な肌。左頭部に面があるところを見ると、普段はそれをつけているのだろうか。真っ黒なボディスーツは、見るからに影と混じらせた。
「お前その声、一回俺の前に姿を現した奴だな」
『いかにも。小生はスピカ様の第一部下にして、戦闘部隊の隊長である』
「……女が、ね。勝負しようぜ。さっさと行かないと、ユウロが泣くんだ。森でもいつも泣いてたしな」
『先手はくれてやる』
「っ……そうかよっ」
言い放ち、刀を居合い抜きして女へと斬りかかる。しかし女はするりと素手で流して、影に溶け込む。
『そう易々と、お前に捕まったりはせぬよ』
声と同時に、影が穴へと消えていく。シリアは先ほどクロルがしていたように目を閉じて、気配を追った。だがクロルと違い、シリアは影がすぐ近くまで近付いても微動だにしなかった。
「シリアァッ!」
クロルが叫ぶのと、シリアが動くのは同時だった。刀を床に突き立てたかと思うと、影はするりと移動した。
しかし影はしっかりと、シリアの足に傷を残している。シリアの足の下には赤い水溜りが出来上がっていた。だがシリアはその傷を気にしないかのように一度その足を踏み込み、刀を下ろして脇に構えてそのまま再び固まってしまう。
シリアには何か考えあってのことだろうと黙っているカズンとは裏腹に、心配で仕方ないのかしきりにシリアの名前を呟くクロル。先ほど同様動かないシリアへと忍び寄る影。その影には、光るものが見える。
そのとき影は、ふっと気配を消した。
「!」
「兄貴、影がマジで消えちゃったよっ」
さすがのことに焦るカズンだが、シリアを信じることに決めたのかクロルの言ったことに答えもせず、黙ってシリアの方を見据えていた。シリアももちろん気配が消えたことに動じただろうが、その様は欠片たりとも見られない。
『これで終わりだ』
低い声が呟くのと、シリアの両肩を二本のナイフが貫くのは同時だった。シリアは一度傷みに眉を顰めたが、しかしそのナイフを掴む腕を捕まえ、女に退治した。
「捕まえたぜ、お前の尻尾……っ」
そう言って女の片腕を右手で掴んだまま、左手で刀を握り、なぎ払った。女は半分に切れ、下半身が闘技場に転がった。
『勝てた、思ったが……』
「お前は強い。ただ、俺の方が強かった」
それだけ言うと、シリアは女が息を引き取ったのを見届けてから、動かない両腕を無理やり動かすようにして、カタカタと震えながら刀を鞘に収めた。そのままだらりと腕を下げたまま、次の扉を体当たりで開く。
「……あの馬鹿っ」
カズンが高見台を飛び降り、シリアの元へ駆け寄る。着ていた上着を脱いで両肩を包むようにきつく結んでやった。
「一応、応急処置。行くぜ、姫君助けるんだろ?」
「……ああ」
怪我をしているにもかかわらず、シリアは深く頷いて駆け出した。片足に加え両肩への刺し傷。痛くないわけがない。だがシリアは痛みを感じないかのような俊敏な動きで、怪我の度合いが低いカズンよりも速く階段を駆け上がった。
「敵わんよ、馬鹿」
苦笑しながらそう言って、カズンはその場にへたり込んだ。
* * *
シリアが、勝った。これでユウロは解放され、またシリアと旅が出来るのだが……ユウロの顔は、いまいち浮かばれなかった。
「どうしたの。シリアが勝ったのだから、私の賭けは一時中断よ。また次の機会を狙うわ」
言いながらシエラがユウロの拘束を解いた。ユウロは開放された腕を撫でながら、うつむいている。その両手両足首は赤くなっていた。
「……職人、大怪我してたね」
「そりゃあ戦闘だもの。闘いの中に身を置く者として、あの程度は予想の範疇だわ」
「でも私を助けになんて来なかったら、怪我なんてしなかった。私がいなかったら、職人は怪我なんてしなかったし、ここに来る必要もなかった……っ」
「馬鹿だろ、お前」
ユウロを抱きしめる、あったかい腕。ユウロは流れていた涙を止めることもせず、硬直してしまった。
力の入らない両腕で、ユウロを抱きしめるシリア。
「ただいま、ユウロ。一人にさせて悪かった」
「職人……ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「なんで謝るんだよ。俺、別に後悔もなんもしてないし、ユウロが謝るようなことなんにもない。それよりお前、旅はどうするんだ? 俺の怪我がどうとか、戦闘能力がどうとか言い訳するな。お前が、どうしたいか聞きたいんだ」
「私、が……」
ユウロは呟いて、うつむく。いつの間にかスピカの姿もなくなっている。本当に今回は諦めてくれたらしく、殺気も全く感じなくなっていた。シリアはユウロを抱きしめる腕にさらに力をこめる。
「私、は……もっと、職人と、カズンさんと、もっともっと、旅がしたい……っ」
そう言って振り返り、シリアにしがみついて泣き出す。シリアは呆れたようにため息をついて胡坐をかき、その膝の上に乗せて、ポツポツとコトバを紡ぐ。ユウロは泣いていたことも忘れ、そのコトバに聞き入った。幼い日に聞いた、詩詠みの詩人のようだった。コウタを思い出さずにはいられない詩とリズム。耳に馴染む声。
「おい、ユウロ」
いつの間にかその心地よい音色に、ユウロは眠りについてしまった。肩の怪我が痛むシリアもユウロを置いては動けず、カズンを待った。
カズンが来てユウロを担いでもらい、カズンが壁を蹴り壊す。おそらく三桁になるであろう階数を、二人は恐れることなく飛び降りた。砂漠の果てへ着陸を目指して、三人の旅は始まったのである。
それももう、数年前の話となる。