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第一章 1



      1




 屋敷は炎の海に沈み、姫は一人の男と立ち尽くした。父や母を亡くしたことよりも、多くの国民が犠牲になったことが姫にとっては悲しかった。

 私があなたに出会わなければよかったの? と、姫は何度も男に言った。男は黙って姫の話を聞いていた。


 二人の出会いは、一ヶ月ほど前に遡る。


 派手ではない服を着た女が、橋を渡って城下町へやってくる。町の住民も最初のうちは驚いていたものの、それが毎日一年も続けば慣れたもので、子供たちなどは彼女にとてもよく懐いていた。

 彼女は、国民に愛される姫君だ。

「おはようございます、ユウロ姫様」

「おはようございます。今日もいい天気ですね」

 いろいろな店に顔を出しながら、ユウロは町を歩いていく。すれ違う度に、子供たちはユウロの服裾を引っ張る。これも、ユウロには心地よかった。

 その日、ユウロは猫を見つけた。

「あら、猫だわ。珍しいわね、黒猫なんて。最近ではネコを見ることさえ珍しいのに。あ、ちょっと待ちなさいっ」

 ユウロは物陰に逃げ込んだ猫を追って、路地裏へ入っていく。

 この国に猫はほとんど存在しない。数年前に、猫は汚らしい獣として徹底的に駆除された。時に不吉の象徴とされる黒猫は、真っ先に処分された。

 暖かい日の光さえ届かない、ひっそりとした裏道。カチャン、カチャンと音のするほうへ目を向けると、そこからちいさな少年が一つの箱を持って出てきた。

「ありがと、おじちゃんっ」

 そう言って、少年は足早に去って行ってしまう。ユウロは興味半分で、その中を覗き込んだ。中は通りよりも一層薄暗く、汚れたオレンジ色の光一つだけで照らされていた。奥に扉がある。

 失礼します、と一応断ってからユウロはその取っ手に手をかけた……そのとき。

「!」

 腕を掴まれた。そこには一人の若い男。男は冷たい瞳でユウロを一瞥し、奥の扉へ消えた。追ってユウロも中へ入る。

 部屋の中には、うっすらと入ってくる太陽の光を受けてまぶしくない程度に輝いている多種多様のガラス製品が並べられていた。ユウロはそれを見て、男のほうへ目を向ける。男は大きな暖炉のようなものの前で、延々と水飴のようなものをいじっている。

「ねぇ、あなたの名前は?」

「……」

「答えてくれてもいいじゃない」

 だが、男は答えることはおろかユウロのほうを向こうともしなかった。ユウロは扉を勢いよく閉めて、その店を出て行った。

「あ、姫様!」

「姫様、来てたの?」

 町のメインストリートへ戻ると、子供たちが集まって来る。ユウロは笑いながら、彼らの相手をした。

 ユウロは数年前に兄を亡くした。否、正確には兄ではなく世話係なのだが。両親にも懐かなかったユウロが唯一懐いた相手。それが、その世話係だった。彼はいつもユウロの傍でユウロを縛り付けない程度に世話をしてくれていた。彼は、国王からの指令で隣町まで荷を運んでいる際に、通りがかりの盗賊に襲われたのだという。盗賊は彼を殺し、荷を奪って闘争。国王は彼が死んだと言うことよりも荷が奪われたことを嘆き、彼のことをことごとく罵った。以来、ユウロは国王・王妃である両親とはほとんど口をきかなくなり、姫としての業務以外は屋敷の外へ出るようになってしまった。

「……」

 夜、窓の外を眺めながら思い出すのは世話係と詩人のことばかりだ。両親と楽しく会話した思い出など皆無に等しい。生みの親である王妃でさえ、ユウロが立ち歩くようになるや否や放任主義となって乳母に任せるようになり、ユウロが小学生に上がるころには世話係が肉親のような存在となっていた。

(胡弓の音だ……どこから聴こえてくるのかな……)

 懐かしい胡弓の音に耳を傾けながら、ユウロは眠りに着いた。



 翌朝、ユウロは目が覚めてすぐに現在の世話係を呼んだ。無口で無愛想、その上冷徹でユウロに対する扱いが酷い。ことあるごとにユウロの行動にケチをつけてくるのだ。ユウロは彼を苦手と思って……否、嫌っている。

「なんでしょうか、ユウロ姫様」

「……今日の仕事を、さっさと言って下がってちょうだい」

「今日はありません。ユウロ姫様は、遊びのためならばどんなお仕事も数時間で終わらせになられますから」

(相変わらず嫌味ね)

「他に何か御用がおありですか」

「ないわ、下がりなさい」

 世話係は軽く頭を下げて去って行った。

 ユウロは窓の外を見て、空を見上げた。雲一つない快晴。ユウロはラフなスタイルに着替えて、街へ出向いた。

「あら姫様、朝早くからいらっしゃるなんて、珍しいですねぇ」

「おはようございます、姫様」

 店先で品物の準備をしている夫婦に出会い、ユウロはニッコリ笑って頭を下げた。

 長話を避けて、ユウロはガラス工房へ向かった。中はやはり薄暗く、今日はオレンジ色の光さえ消えていた。

(いないのかしら)

 ユウロは疑問に思いながら、中へ足を踏み入れる。入り口からは死角になっている場所に、男はいた。

「……こんにちは。また、来たの」

 ユウロが呟くと、男は一度ユウロのほうを横目で見て、再び正面に視線を戻した。壁の一点を見つめて、そこから視線を動かさない。


 ユウロは何時間もそこにいた。何も言わずに、何時間もその工房に居座っていた。そして日が沈んでから、さよならを言って立ち去る。

 それからさらに数日が経ったある日。その日もユウロはガラス工房へ来ていた。ユウロは男に『職人』という愛称をつけて、愚痴をこぼすようになっていた。相変わらず職人は壁を見つめたりガラス製品を作ったりと、ユウロの相手はしてくれない。

「私ね、好きな人がいるの」

 その日、職人は例の大きな暖炉のようなものの前で延々と水飴のようなものをいじっていた。ユウロの言葉に一度手を止めたが、意に介さぬ様子で作業を続行する。そんな職人の様子を気にも留めず、ユウロは話しを続けた。

「いらないのに、お父様は婚約の話ばかり持ってくるし、各国からの求婚者も後を絶たないし。私……本当に、その人以外とは結婚する気もお付き合いする気もないのに」

「……」

 職人は何も言わず、ただ黙ってユウロの愚痴を聞いていた。パチッと音をたてて薪が崩れる。

 ふとユウロが外をみると、すでに日は沈んでいた。

「あ、もう帰らなきゃ。じゃーね、職人」

 ユウロがそう言って手を振ると、職人はガラスを磨く手を止めて、手を振り返す。特に表情を変えるわけでもなく、ヒラヒラと手を振って再びガラスを磨き始めた。

 ユウロは再びさよならを言って、工房を出て行った。



 ユウロが家へ帰ると、珍しいことに両親が出迎えてくれた。その後ろには、ユウロの世話係とメイドが二人いる。この二人がそろってユウロを出迎えるときは、碌なことがない。こういうときは、大体会話の内容が決まっていた。

「おかえりなさい、ユウロ」

「……何か用かしら」

「ええ、あなたの次のお見合いの」

「うるさいわね、私は自分で決めた人じゃないと結婚しないって言ってるでしょっ」

「でも、今回の相手は同盟に参加してる国の跡継ぎなのよ」

「……馬鹿じゃないの、そんなの私には関係ないわ」

 それだけ言って、ユウロは部屋へ上がった。窓の外からは、胡弓の音が遠く響いている。

「コータ……どこにいるの、会いたいよ……っ」

 口を開けば涙がこぼれる。十年以上前の記憶を思い出すだけで目頭が熱くなる。脳の奥がじんわりと麻痺するように痺れる。

 あの夜を境にユウロの前から姿を消した胡弓弾きのコウタは、以降二度とユウロの前に姿を現さず、ユウロの耳に胡弓弾きの噂が届くこともない。



 数日後、ユウロは部屋を出た。この数日、扉を出てすぐのところに番人が二人もいたため、外へ出ることが叶わなかった。ベランダの下にも見張りをつけられては脱出不可能というわけだ。

 今日は例の見合いの日である。ベランダを開くと下に見張りはおらず、ユウロは小さくガッツポーズをとった。

 そうしてベランダから脱出して、屋敷の外へ抜け出す。一度屋敷を振り返ったが、変化は見られない。

「……」

 ユウロは橋を渡って、街へ出る。商店街を通過して工房へ急いだ。薄暗い裏道を走って、工房の扉を開く。

 オレンジの光さえ灯っていない室内は、目を凝らさなければ足元さえ見えない状況だった。

「職人、いないの?」

 声を振り絞るが、声は返って来ない。ユウロは床にへたり込み、職人がいつも座って壁を見ている椅子にうつぶせて眠りについた。



 その日、職人は国の外へ出ていた。ある商人にガラス製品を買い取ってもらっていたのである。

 国へ戻り工房へ向かう中途、職人はいろいろな人から声をかけられた。おそらく姫君・ユウロが最近職人のところに入り浸っているから、職人も怖い人ではないのだと思われたのだろう。

「あ、ガラス屋さん、お久しぶりです」

 商店街で食材を買っていると、店の老婦人に声をかけられる。老婦人はにこにこと笑いながら老眼鏡をかけ直した。職人は無表情な瞳を老婦人に向け、軽く首を下げて裏道に入って行った。

 店へ戻り電気をつけると、そこにはユウロがいるではないか。

「……」

「コータ……」

「……おい」

 低い、低い声にユウロは目を覚ました。目を擦りながらその姿を確認する。

「しょく、にん……」

 初めて聞く職人の声。低音ながらも耳に馴染みやすい、優しい声だ。ユウロは職人の顔を凝視したまま、硬直してしまう。

 職人は眉間にしわを寄せて瞳を閉じ、一度息をついた。買ってきた食材の中から果物を一つ取り出してユウロの手に乗せ、作業場のほうへ入っていってしまう。慌ててユウロも後を追った。

 勢いよく燃える炎は踊るように揺れる。その炎を見つめながら、ユウロは再びうたた寝を始めた。



 自分自身が吹っ飛ばされるかのような奇妙な感覚に、ユウロは目を覚ました。寝ぼけ眼を擦りながら室内を確認する。炎は消えていて、職人の姿もなかった。

「職人……?」

 扉のところへ行くと、身をかがめた職人の姿。職人はユウロの方へ向いて、人差し指を唇にあてた。

(黙ってろってことかな……でもどうして)

 思考を最後まで続ける間もなく、爆音が聞こえる。作業場の天窓からは、星が見受けられた。もうどうやら夜らしい。

「ねぇ職人……どうしたの? ねぇ、何が起こってるの?」

 ユウロが不安そうにそう尋ねると、黙ってろ、とでもいうようにユウロを後ろでに抱きしめるような形で、ユウロの口を両手で塞いでしまう。

「んーっ!」

「黙れって言ってるんだよ」

 低く呟いた声に、ユウロは体を縮こまらせておとなしくする。外では相変わらずの爆音と、銃声。そして……悲鳴が聞こえる。

 恐怖の中、ユウロは職人に抱かれたまま眠りについた。




 鳥の鳴き声も聴こえない、朝。作業場の天窓から差し込むまぶしいまでの陽光で、ユウロは目を覚ました。スースーと頭上で聞こえる寝息に上を向くと、そこには職人の顔がある。

「し、職人っ!」

「ん……ああ」

「ね、ねぇ、私……私、どうしたの? 昨日のあれは、なに?」

「……見ればわかるよ、行ってみるか」

「う、うん」

 躊躇いがちにユウロが頷くと、職人はユウロを立たせ。そうして二人で外へ出て、屋敷のほうへ向かう。ところが……商店街へ出向いた瞬間、ユウロは地面へとへたり込んでしまう。

「そんな、嘘……」

「……」

 紅く、血に染まった商店街。殺された人々。職人にしがみついて、泣き出すユウロ。

 商店街の賑やかだった道は、大量の死体と血のにおいに満ちていた。見たことある老人や老婆の姿。ユウロの服裾を引いて走り去っていた子どもたち。全てが血塗れになって横たわっていた。

「なんで、どうして……っ」

 職人はへたり込んでしまったユウロを横抱きにして、ゆっくりと裏道へ戻って行く。気を失ったユウロを床に寝かせてガタガタと準備を始めた。



     * * *



 日の光が額に当たる。その暖かさ故か、ユウロはゆっくりと瞳を開いた。傍らには職人が寝ていた痕跡があるが、すでにそこにはいなかった。

「……職人、どこ……?」

 周りを見渡せば、そこは気の覆い茂っている森。故郷の森のようだ。あの、コウタと出会った深い深い森のような緑。

 ユウロは立ち上がり高くなった視界で周りをもう一度見回す。遠くで胡弓の響く音。それに導かれるまま、ユウロは夢遊病者のようにのろのろとその方向へ歩き出す。

 音の主は、大きな太い木の根に腰掛けて、ゆったりと胡弓を弾いていた。

「……しょく、にん……」

「? ああ、起きたのか。気分はどうだ?」

「平気……あの、私、どうして……」

「……他国軍の襲撃によって国はほぼ壊滅。屋敷は全壊していて、およそ人の気配を感じられなかった。街で生きている人間も見えない。ここは、国から一番近い森だ。といっても、数キロのきょりではあるが」

「……国が……滅びた、の?」

「そういうことになる。俺の母国まで旅に同行してもらう。心配しなくても大した距離じゃない。そこで保護してもらえばいい」

 そう言って、職人には胡弓をケースに片付け始める。ユウロは慌ててその手を止めた。

「ち、ちょっと待ってよ。私を一人にしないで。私、もう独りは嫌なのよ。職人も旅をするんでしょう? なら、その旅に私も同行させて」

「……断る」

 そう言ってユウロの手を跳ね除け、職人は胡弓をケースに片付け終える。ケースを木の根元に置いたまま、職人は軽く飛び上がって一番低い木の枝に腰掛けた。

 ユウロは少しも動かず、ただ地面の一点を睨み付けている。そのこぶしが強く握り締められているのを見て、職人は一度息をつく。

「俺は結局のところ、追われる身なんだ。あの国は隠れやすかった。これからまた隠れるところを探さなきゃならない。俺といると、危険に巻き込まれる危険性がある。一国の姫君でしかないあんたが旅に同行しても、すぐに死ぬのがオチだ。やめとけ」

「それでもいいの。独りで寂しい思いをするより、危険に身をさらして死ぬほうがよっぽどましよ」

「……我侭だな、あんた。ここまで我侭だとは知らなかった」

 口元に笑みを浮かべて、職人は言う。少し声音が変わったことに驚きユウロが木の枝へ顔を向けると、職人が枝から飛び降りた。そうしてユウロの目の前へ着地する。

 並んだことがほとんどなかったためわからなかったが、職人はユウロよりも二十センチ以上身長が高い。見上げた格好のまま、ユウロは口を開いた。

「私諦め悪いの。私も一緒に旅をしてもいいでしょう? もう、嫌とは言わせないわよ。私、もう本当に独りは嫌なの。二度と……独りにはなりたくないの」

「……一緒に旅をするなら一つだけ言っておくが、あまり俺に話しかけるな。火の粉をかぶりたければ、な」

 不敵な笑みを浮かべて、職人はユウロの頭を撫でてやる。


『姫君は本当に甘えん坊ですねぇ』


 懐かしいコウタの声が聞こえる。ユウロはそのぬくもりに身を委ね、再び眠りに着いた。職人のほうへ凭れ掛かって、ゆっくりと夢におちる。




 ひさしぶりにユウロは、コウタの夢を見た。夢の中、懐かしい笑顔で笑っているコウタはユウロよりも背が低い。

(コータ……なんで、私を置いてどこかにいっちゃったの……?)

 明るかった景色が暗くなって、コウタが笑いながら遠ざかる。必死で追いかけるけれど、それにはちっとも追いつかない。




「コ、タ……」

 寝言を漏らすユウロの頭を、ゆっくりと職人は撫でる。閉じた瞳から、ゆっくりと涙が流れる。片手でぬぐってやるが、それでもまた流れる。

「……そんなにアイツが好きかよ、馬鹿野郎」

 手のひらを握る。すると寝ぼけた声を出しながらユウロが目を覚ました。

「んん……」

「ああ、起きたか」

「ごめっ、寝ちゃった……」

「かまわねぇよ。さ、そろそろ動くか……」

「……ねぇ職人、あの、いまさら何だけど……私、旅とかしたことなくて、全然役に立てないと思うんだけど……」

「アホか。そんなん分かりきってるんだよ。じゃあアレか、お前は。役に立たないから一人でいいのか。まぁ俺はそれでもいいけどな」

「嫌! 絶対にそれだけはッ」

「じゃあ決まりだな」

 にっと笑って、職人は言う。

 二人は森を出て、延々と続く砂漠地帯へと足を踏み入れた。


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