【番外編】もしもヒナがSAKURAの社員だったら 7
橘さんの車で龍夜の家に向かいます。
「龍夜と仲がよろしかったんですね。」
「ヒナほどじゃないけどね。」と急に名前で自分を呼ぶ橘さん。
「名前、覚えてたんですね。お前とか言ってたから、覚えてないかと思ってました。」
実は一回やっちゃったから自分の女気取りですか?と思ってました。
橘さんは前を向いたまま「ヒナって呼んで下さいと言われたけど、なかなか名前で呼ぶタイミングが掴めなくて。」と照れた様子です。
記憶にはありませんが、私がお願いしたようですね。自分の女気取りですかなんて思ってすみませんです、はい。
『酒は飲んでも呑まれるな。』有名な言葉が頭に浮かびましたよ。
『後悔先に立たず』・・・まさに名言です。
今まで一緒にお酒を飲んだあの方たち・・・いいひとだったのですね、皆様。
「橘さんは・・」と言いかけると「鷹臣。」と言われました。
「鷹臣さんでも結構ですが、会社では橘さんですよ?」と念を押しておきます。
それにヒナは交際を受諾した訳でもないのです。
最初の食事で男女の関係になるとは思いもよりませんでした。
「鷹臣さんは、どうして私に絡んでくるのですか?会社の子とはおつきあいしない主義だと伺いましたよ。」
イケメンだから許されてるような気がしますが、これが生理的嫌悪感を感じさせるような方だったらただのキモイ男ですよ?
橘さんは前を向いたまま「そうだったな・・・。」と呟きました。
車を路肩に寄せて停車すると、こちらを向いて「理屈じゃどうにもできない時がある。」と微笑んでいます。
うっ、その笑顔、クラクラします。
イケメンてお得ですね。
ヒナがその笑顔に怯んでいると、自分のシートベルトを外してこちらに寄ってきました。
ひゃっ、何ですか?
そして頬にチュッと音を立ててキスをしました。
「ヒナにはこれくらいから始めないとダメだな。」
赤くなって固まっている自分をよそに、シートベルトを締め直して車を動かす橘さん。
「どんだけ純粋培養なんだよ。」という小さな独り言がヒナの耳に届いたのでした。
*
龍夜のマンションに合鍵で入ります。
入口にエアカーテンがあるのは龍夜の趣味ですよ。
花粉も埃も侵入しづらいのです。
「鷹臣さんはリビングでお待ち下さい。」
電気をつけて橘さんをリビングに通します。
この調子だとご飯も一緒でしょうね。
車なのでお酒は不要ですね。
ヒナの家には冷蔵庫と洗濯機を置いていないのです。
実のところ食事はここでするし、コンビニも近いし、ここに来ない日はその日食べるだけの食材を買って帰ればいいので不要なのです。
橘さんに冷たい飲み物を用意して、ヒナは食事の支度にとりかかります。
ゴミは24時間だせるマンションなので帰りにヒナが捨てて帰ります。
今日はお米は急速炊飯ですね。急がないと龍夜が帰ってきます。
ヒナが籠っていると橘さんがキッチンにやってきました。
「家の中をうろうろしたらダメ(龍夜が気にするから)ですよ。座って待ってて下さい。」
「うろうろしないでここで見てる。」と壁にもたれかかって楽しげにこちらを見ている橘さん。
料理をするところを見て何が面白いのでしょうか。
ハッ、それとも毒を盛られないように見張ってる?
「秘書ってのは、食事の世話もするのか?」
野菜を切っていると横から声をかけられます。
「これは秘書とは別口ですよ。」
「別口?」
"私たち"はすべて契約で動いているのです。
サービスで動くのは違反ですから。
「ちゃんとお給料いただいてますよ。」
詳しく話す訳にもいかないので、副業ということで済ませましょう。
「俺も頼んだら来てくれるの?」
「仕事でいいならどうぞ。」と答えると、手を振って「いや、やめておく。」と言われました。
"私たち"は普通の家政婦さんより高いですからね。やめておいた方がいいでしょう。
そうこうしているうちに龍夜が帰ってきました。
「ヒナ、ただいま。」
「龍夜、おかえりなさい。」
玄関で龍夜を出迎えると、橘さんが「それもオプションに入るのか?」と真顔で訊いてます。
「鷹臣、何の用だ。」と龍夜はあまり歓迎していないようです。
そうですよね。あまり人がいるのを好まないですもんね。
「龍夜には用がない。ヒナに用があるから。」と押しかけ客の橘さんがツラッとして言います。
龍夜は「だったら帰れ。」と無表情で言った後に、ヒナの首を見て橘さんの顔を見ると「・・・そういうことか。」と一人で納得しています。
正解ですけど、何かイヤです!
「あ、そうだ、龍夜。またストーカー発生したので、今日からしばらくここに居候させて下さいませ。」
「・・・またか。仕方ないな。」としぶしぶ了承する龍夜。
そこに「異議あり!」と口を挟む橘さん。
「鷹臣は黙ってろ。」と無表情に龍夜はボソリと言いました。
「部屋の処理はどうする?」
龍夜の問いに「面倒だから"誰か"にやってもらうように手配しておきます。」とヒナは答えました。
「ヒナ、うちに来い。」と橘さんが仰いましたが「お断りします!」と一顧だにしませんでした。
「信頼度が違うからな。」と龍夜が橘さんに向かって言います。
そうですよ、どうして昨日はじめてお邪魔した家にお世話になれましょうか!
マンションもベッドも広かったですけどね。
*
三人で微妙な空気の中食事をいたしました。
二人とも褒めてくれたので味は悪くなかったみたいですが、もしかして社交辞令でしたか?
「龍夜。ヒナの服まだ残ってます?もう捨てました?」
部屋にある服は気持ち悪いので全部廃棄です。
会社の制服がクリーニング中で良かった。
勿体ないけど、使用済みの服や下着を持ち去る相手が部屋を触ったかと思うと気持ち悪いのです。
「まだ捨ててない。物置のダンボールに入ってる。」
食事の後にそういう会話をしていると橘さんの機嫌がまた悪くなっていくのがわかりました。
客人として疎外された感じになるでしょうね。
「龍夜、橘さんのお相手をお願いします。」と龍夜に押しつけてヒナは自分の服を優先します。
もともと龍夜のお客さんのはずですよね?
物置は使ってない部屋の一室です。
ダンボールと言っても結構な数がありますが、龍夜は几帳面なので見ればわかるようにしまってありました。
これで数日しのげます。
その間に必要なものを購入しなければなりません。
箱を持って客室に移動します。
客室のクローゼットから勝手に寝具を出してセットしておきました。
寝る準備OKですよ。後はお風呂です。
今日からまたここがヒナの部屋です。
家賃の分を報酬から引いていただかねばなりませんね。
しばらくしてリビングに戻ると、ヒナが出て行った前そのままの状態の二人が座っていました。
「お話しすることもないようでしたら、そろそろお帰りになりますか?」
招かれざる客にはそろそろ引き揚げていただきましょう。
ヒナも(主にあなたのせいで)疲れているのでゆっくり休みたいですし、早いところ帰って下さいよ。
橘さんににっこり笑ってお引き取りを願います。
橘さんは何か言いたげです。
「何かございますか?」
笑顔で帰れを連発していると「・・・今日は帰る。そしてまた来る。」と橘さんは不吉な言葉を残し重い足取りで玄関に向かったのでした。
ストーカーのせいであまり橘さんと話すことはできませんでしたが、龍夜が盾になってくれるので結果オーライでしょう。
「今日は押しかけて悪かったな。」
・・・一応空気は読めるのですね。
「いえ、こちらこそ何のお構いもできませんで。(棒読み)」
一緒に見送りにきた龍夜は何を考えたのか「鷹臣、じゃあな。」とヒナの肩を抱き寄せました。
龍夜!わざとこの事態をこじらせようとしているのですか?!ヒナへの嫌がらせですか?!
「ダメですよ。」ヒナは龍夜の手をパシッと叩いておきます。
「それではおやすみなさいませ。明日は休日ですので、ごゆっくりどうぞ。」にこやかに頭を下げます。
玄関のドアが閉まって、龍夜がロックをかけました。
そして無表情のまま「今から全部拭き掃除をしておけ。その後風呂に入ってから説教だ。」とヒナに宣言したのでした。