【番外編】もしもヒナがSAKURAの社員だったら 10
毎日龍夜と行動を共にしているせいか、それからしばらくは橘さんに会社で会うことはありませんでした。
メールはぼちぼち届いていますので当たり障りのない返信はしていました。
しかし、龍夜と行動を一緒にしていた弊害はありました。
なぜか今になって王子ファンクラブに吊るしあげにあったのです。
どうして橘さんベッタリでない今頃に来たのかと不思議に思っていると「王子の交際相手には手を出さない」という掟があるそうで・・・。
ヒナは橘さんの交際相手として認識されていた(過去形)のですね。
・・・あの状態じゃ仕方ないですか。
しかも「専務と毎日一緒に出社して一緒に退社するってことはどういうこと?」と詰め寄られ、「橘さんと交際はしていません。」と答えると「本当なのね?」と集団(おそらく代表で来た人達なので実際はもっといるでしょう)で睨まれて手を出される前に皆さん帰っていかれました。
女子こえー。
いえ、いっそのこと殺意でも持って襲っていただいた方が対処のしようがあるのです。
非力な女性に暴力をふるうわけにもまいりませんので、何もされなくて助かりました。
まぁ、これでヒナは王子ファンクラブのターゲットから外れ、脅威はなくなったと思われます。
その後しばらくしてから橘さんが社外の女性とおつきあいを始めたと噂が耳に入り、ヒナは安心して日常に戻ることができたのです。
*
「橘さんが荒れてる?そんなこと私に言われても困りますよ。」
秘書課の王子ファンクラブの君島さんが役員フロアまで来てヒナに相談をしてきました。
君島さんはお姉さんタイプの美人さんです。
社外の方なら橘さんも一も二もなくお付き合いを承諾していたと思われるナイスバディの大人美人な方です。
「前と交際の頻度が違うのよ。本当に来る者拒まずで見ている私達の方が苦しくなるくらいよ。」
「いえ、だから私に言われても困りますって。」
ヒナに言われてもそういうのは当人の問題ですからね。
もともとの交際の頻度というものを存じませんが、有名人でしたからね、王子。
それにヒナは来月にはここを去るのです。
婚約解消の話も二人からそれぞれの親元に持っていってます。
「水無瀬さんがわからなくてもいいから、一度それとなく言ってみてくれないかしら。」
ええ~?
「それって余計なお世話じゃないですか?」
渋っていると「機会があったらでいいから。私たちじゃ話も聞いてもらえないのよ。」と君島さんはヒナの返事を待たずに「よろしくね。」と去ってしまいました。
え、あ、ちょっと。
嫌ですよ、そんな火中の栗を拾うような役は!
どうしてヒナに押しつけるのでしょう。
しかし非情にもその時は巡ってきてしまったのでした。
*
役員フロアから気配を窺いながら階段を下ります。
どうして毎回ヒナがコソコソしなければならないのでしょう。
誰もいないのに安心して階段を下っていくと、意外な階で非常口の扉を開けて入ってきた橘さんに遭遇してしまいました。
お互い固まってしまいます。
気配なんて窺ってないで走って降りれば良かった・・・。
「あ・・・、こんにちは。」
無視する訳にもいかず挨拶だけして通りすぎようとしました。
「・・・待て。」
ヒンヤリとした声音に胆が冷えます。
振り返ると険しいお顔をした橘さんが目に入ります。
そこには確かに将人さまの面影がありました。
「・・・何か御用でしょうか。」
きちんとお話しもしないまま終わってしまった【何か】が二人の間に溝になって横たわっています。
気まずさを感じて、ヒナはすぐに目を逸らしてしまいました。
橘さんがゆっくり近寄ってきて、ヒナの顎を手で持って上に向けました。
「龍夜の婚約者はお前だったんだな。あの後本家から厳重注意が下った。」
え、それは申し訳ないことをしました。
「龍夜は恋人じゃなかった・・・確かに。だが、婚約者か。清純そうな顔をして女はうまいことを言う。」
ヒナは何も言えませんでした。
客観的にみたら婚約者がいるのに、(酔った上の過ちとはいえ)男の人に身をまかせた女なのですから。
たとえ名ばかりの婚約者であっても、それを知るのは当人だけなのです。
「・・・ご不快な思いをさせて申し訳ありません。」
顔を橘さんに向けたまま、視線を逸らします。
「目を逸らすな。こっちを見ろ。」
今度は両手で顔をはさまれてしまいました。
この状態でヒナはどうすればいいのでしょう。
そう思っていると橘さんの整った顔が近づいてきて、荒々しく唇を塞がれました。
~~~~!!
ヒナがどう息をしていいかわからずパニックで酸欠寸前で死にそうになっていると、一旦唇を離され、やっと酸素をとりこめたと思ったらまた酸欠寸前まで唇を貪られました。
「・・・あれから色んな女とつきあってみたが、つきあってみればつきあうほどやっぱりお前がいいとしか思えない。」
今そんなことを言われても、ヒナは酸素を取り込むのに一生懸命で頭もぼんやりしていますよ・・・。
「龍夜はやめて俺の女になれ。」
へ?あ?
ちょっ、ちょっと息が苦し・・・
こっちの話もちょっとは聞いて・・・
また橘さんに唇を貪られています。
さ、さんそ・・・。
酸素がないと人間動けないんですよ・・・。
ヒナは橘さんの腕の中でくったりと身を預けています。
橘さん・・・あなたのこと・・・嫌いじゃないけど、ちょっと強引すぎますよ・・・。
・・・それに、ここ・・・会社です・・。
次にヒナが目を覚ましたのは会社の医務室だったのでした。
*
「水無瀬さん、貧血で倒れたのよ。」
絶対貧血じゃないですよ。
医務室のベッドで目を覚まして言われたのは「貧血」でしたが、自分はそうでないことを良く知っています。
「資材課の橘さんが階段でみつけて運んで下さったのよ。後でお礼を言ってね。」
医務室のおばちゃんにそう言われましたが、犯人は第一発見者なのですよ。
「・・・はい。」
ベッドからゆっくりおりると、おばちゃんに「水無瀬さん、ちゃんと朝ご飯食べてる?若い女性だから聞いておくけど、生理ある?妊娠してない?」と聞かれます。
生理はあるので「いえいえいえいえっ!全然違いますからっ!」と答えると「たまに妊娠に気づかないで貧血で倒れる子がいるのよね。ここ女性が多いから。」と言われました。
橘さんのせいでいらぬ心配までされてしまいましたよ、もう。
なんとか専務室まで戻って龍夜に「ご心配をおかけしましたが、もう大丈夫です。」と挨拶しておきます。
「さっきまで鷹臣がきてた。」と後ろから言われ、思わず振り返って「どうしてですか?」と龍夜に詰め寄ってしまいました。
龍夜はオールバックにメガネ、無表情の三点セットで「よくわからんが、ヒナを怒らないでやってくれ。と言っていた。」と言いました。
私は怒られるようなことはいたしておりません。
むしろ橘さんが怒られる立場だと思いますけど?
後で怒りのメールでもしておきましょう。
*
そして数日のちにヒナは橘さんに何の返事もせず、退職のことも伝えずにSAKURAの支社を去ったのでした。
橘さんがこわくて・・・自分の処理能力を超えたので、"逃げた"・・・というのが正解かもしれません。
閑話でちょろっと出てきた秘書課のマドンナ君島紗綾さんを使いまわしました。