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My History

作者: 栖坂月

かの銀○伝をイメージして、BGМにクラシックなんか流したりすると、壮大な気分に浸れるかもしれません。

(個人差があります)

 人に歴史あり。

 世の中の持つ意志の流れ、あるいは感情の奔流が歴史であるとするなら、それを細分化し、各個に掘り下げることも歴史を語る上で無視のできない要素となる。

 歴史上の大人物は歴史という観点において不可欠、不可分の存在であるが、人の世を語る上において彼らの存在は突然変異そのものである。彼らのような劇薬が存在したからこそ人の世は動き、歴史は書き換えられてきたと言っても過言ではない。しかしながら言うなればイレギュラーでしかない彼らをもって、人間の代表とするのは不適格である。当時の人間、あるいは人間と言う存在の平均的様相を探るためには、より平凡な者の歴史というものに着目すべきと私は考える。

 過去の事象を形作り、未来の姿を模索するのは偉人の仕事ではあるものの、過去を踏み固め、未来の土台となる現在を支えるのは凡人の為せる業であろう。よってここに彼ら凡人の一人に着目し、その記録を残すものとする。


 西暦1994年、皇暦2654年、当時東洋の島国でしかなかった日本国に彼は産声を上げることとなる。1999年に訪れると言われた第一次終末思想の只中に生を受けた彼は、両親のささやかな希望に支えられ、極一般的な家庭環境で幼年時代を過ごした。

 当時、彼の出生地であるトチギーはグンマーの侵攻を受けておらず、未だ軍備の拡大を図らずにあったサイタマーを含めた三国は互いに牽制し合いながらも辛うじて均衡状態を保ちつつあった。ただ、緊張を強いられる環境にありながらも経済的にまだ余裕のあった時代であったためか、後に彼は回顧録マイダイアリーの中で「この当時が最も平和で穏やかな時代だった」と振り返っている。

 一般的なトチギー人の子供として過ごした彼は、彼らの主食であったギョーザと焼き饅頭を食べて順調に成長していった。トチギーと言えば『トチオトメ』と呼ばれる果実の宝石が有名であるが、高級食材であったトチオトメは庶民の手にはなかなか届かず、実際のトチギー人にはあまり馴染みのなかった食べ物であるようだ。彼は「トチオトメはとてもすっぱかった」と周囲に漏らしているが、それは恐らく両親の見栄に端を発する紛い物であったと考えられている。ただ、この事実があればこそ両親に対する猜疑心から自立を目指す道程に歩みだしているのではないかという指摘もあり、彼自身にとって良かったの悪かったのかは、後世の歴史家の間でも意見の分かれるところである。

 幼少時代の彼は、それなりに目立つ子供であったと伝えられている。特に地元の幼稚舎『つくし幼稚園』に通っていた頃の彼は、後の性格とは対極を為しているのではないかと思われるほど積極的な男児であったと伝えられている。担当した保母、あるいは複数の知人やその親から同様の証言が得られており、かなり信憑性の高い情報である。一般的な解釈としては、人生に三度訪れると言われる『モテ期』を費やしたと言われており、ほぼ定説となりつつある。実際、この頃が最も異性の友人が多かったことは、歴然とした事実である。

 しかしそれも、初等教育機関である東小学校への入学を果たしてからは、様相が一変する。交友範囲が急激に広まったことに対処できず、周囲に溶け込むことはできても友人と呼べる存在を作れなくなっていたのだ。一説には、部落内でのコミュニティが未だに健在な地方集落であったことが、多様性の高い社交性の育成を阻害したのではないかとも言われているが、いずれにしても彼の資質が内向きであったことは純然たる事実である。家に帰れば一緒に遊んでいた同年の友人がことごとく別のクラスであったことも、彼にとっては不遇であったと言えるだろう。結局彼は、翌年に訪れる転校生と親交を持つまで、特定の友人を作らないという状態が続いた。しかもその友人は一年を待たずして更なる転校を余儀なくされ、しばし孤独な時間を過ごすこととなったのである。


 西暦2005年、皇暦2665年の夏、孤独の中でそれでも周囲に何とか溶け込んでいた彼に、人生で最初の試練が降りかかる。それは戦争でもなければ災害でもなく、他人から見ればさほど大した出来事とは言えないながらも、年端も行かぬ少年だった彼にとっては一大事であった。当時小学五年生だった彼にとって、夏休みの半分が失われてしまうことになったこの出来事は、人生初めての空白として後々まで記憶の片隅に残ることとなる。

 ことの発端は、単純な病魔であった。終生免疫系の代表的な病気の一つ、水痘(水疱瘡)である。ただ、一週間ほど外出の制限を受けたものの、この病気自体はさほど大きな苦しみを生み出さなかった。問題は、その傷跡より発症した別の病気である。

 それが鼠径そけいヘルニア、俗に言う脱腸である。この鼠径ヘルニアという病気は手術以外に完治の方法がなく、さほど危険な病気ではないながらも入院により拘束を余儀なくされる点は現在も変わらない事実である。この入院を後の彼は「病院で最も重要な懸念事項は、注射ではなく退屈である」とまとめており、肝心の手術よりも、遊びたい盛りの時期に一週間ばかりを浪費したことが何よりの衝撃であったことは間違いない。またこの当時の記憶と称して、月が赤かった、世界が新しくなった、自分の時間だけが止まっている、などの痛々しい発言が多くなっており、精神的に不安定な状態であったことも考慮に入れるべき事実である。

 とはいえこの手術、というより入院という出来事が彼の精神的な成長に大きな影響を及ぼしたことは、後の歴史家の共通した認識ではあるが、それが一過性の寄り道であったのか、土台を形作る堆積物の一つであったのかは、その評価と見解が大きく分かれるところでもある。

 更に言えば、夏休みの半分という、多感な少年時代を考慮するなら大き過ぎる空白期間に悩まされたことも事実ながら、それを理由に夏休みの宿題という子供の責務の一切を放棄して見せた狡猾さは、彼が精神的にまともであった証ではないかという意見も根強く存在しており、明確な判断には至っていない。しかしいずれにしても、後の彼を考慮する上で何かしらの意味を持つ出来事であったことは、紛れもない事実と言えるだろう。


 そういった歪みが明確に、かつ表面的に顕現を開始したのはその三年後、中学二年生になってからのことである。

 平凡な夏休みを終え、真面目な以外に取り得がないと指摘されたことにより発した「オレはあの時に目覚めた」発言を起点とする一連の虚言生活――黒歴史ダークヒストリーの始まりである。

 西暦2008年、皇暦2668年は始まりこそ比較的平穏な――お年玉の実入りが予定より少なかった程度の出来事しかない特筆事項の少ない年であったものの、夏休みの課題の一つであった読書感想文の題材に当時『ラノベ』と呼ばれた少年向け娯楽小説を読み漁ったことが、この年の後半を奇妙な色合いに染め上げることとなる。

 彼は比較的感化されやすく、何かを信じる際において最も重視すべきは理屈ではなく感情によってであることは生涯データによってすでに明らかであるが、この場合は極端に、その資質が最も悪い形で表面化してしまった例と言える。

 財力や権力など、何かしらの形で力を得ようと考えるのは当時も現在も等しく変わることはない。しかしこの当時、少年期の一部に見られる『中二病』と称する病に侵された子供達は、妄信によってそれを得ようと考えた。これは一説には、本来努力と工夫によって獲得すべき力を、才覚や遺伝情報により先天的に有していると位置付けることによって簡単に得たいという、極めて自堕落な効率化という発想があると言われている。更に言えば、これらの症状に陥る者達の大半は能力の不足や不備によって社会不適応者の烙印を押されていることが多く、そういった劣等感からの逃避、あるいは脱却が背景にあるという分析もなされており、これは彼が小市民的な感情を有する顕著な一例であるとする専門家も少なくない。

 ちなみにこの時の彼が思い描いた設定は、以下の通りである。

 彼の中に赤い月から降臨した狂気を司る存在(彼はそれをルナティック・カオスと呼んでいる)が潜んでいる。美しい女性の姿をした彼女は、彼が赤い月を見た入院中、心も身体も弱っていた彼の中へと入り込み虎視眈々と機会を窺っていた。もし彼女が解放されれば、世界は狂気の嵐に包まれ、戦争や紛争が勃発激化の一途を辿り、人類が滅亡への一歩を踏み出すことになるだろうとされている。それに気付いた彼は、何としてでも外へ出ようと試みる彼女を抑え込み、危険な彼女と精神を同居させることで、世界を救っているのである。

 この一連の設定は、彼の社会的な成長を示す例でもある。彼は無力であることを深く自覚したまま、自分が社会的に役立っている人間でありたいと信じているからである。もちろんそれがより具体的な、かつ建設的な形で表面化されていれば、より個人としての評価を上げる形になっていたことは言うまでもないが、精神の発現と行動の結果に乖離が見られることこそ、彼が紛うことなき凡人であることの証明にもなるであろう。

 ただ、この当時の発言が後の彼を形成するにあたって及ぼした影響は、決して小さなものではない。彼を語る上で、この黒歴史の存在は、やはり大きな転換点であった。


 青年への一歩を踏み出し始めた彼に、臆病と逃避が立ち塞がる。

 異性への興味、プライドの確立、他人への敬意と蔑視、大人に近付く彼は社会的矛盾の中で自分を支えられるのか。

 次回、地球凡人伝説『覚悟の価値と残照』


 愚人の歴史がまた一里塚……。


続かない。

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[良い点] 着眼点が見事で、大変楽しく読ませていただきました。 クラシックをバックミュージックに屋良ボイスの朗読で 脳内補完しました。 [一言] 悪い点、と言うか・・・惜しい点。 それは、ほぼ個人の…
[良い点] 面白かったです! 銀○伝と前置きにあったので、 全文を屋良さんの(脳内)ナレーションで読んでしまいまして、 何度も吹きそうになりました。 なかなか寝ない子供を、寝かす …いや、寝るまでの待…
[良い点]  普通の文章で書けば何てことはないお話を、文面と捻りで見事に作品にしています。  正直、もの凄く関心しました。クラシックにとっても合います。 『トチオトメ』『中二病』インパクトが強くて、一…
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