筋肉エルフは溺愛を知らない
異世界での一人暮らしにも、すっかり慣れた。
王都の外れにもらった一軒家で、気ままなスローライフ。
……ただ、一つだけ大きな問題があった。
「重い……っ!」
薪を抱えた私は、その場に膝をついて崩れ落ちた。
「やっぱり、一人じゃ限界あるかぁ……」
畑を耕すのも、薪を割るのも、水汲みも。
日常の家事はこなせているけれど、力仕事だけはどうしても骨が折れる。
「そろそろ、お手伝いさんでも雇おうかな」
そう思い立った私は、町の人材ギルドへと足を運んだ。
***
「いらっしゃいませ。本日はどのような人材をお探しでしょうか?」
受付の女性が柔らかく微笑む。
「畑仕事や荷物運びをお願いできる方を探していて。できれば、力仕事ができる女の子だと安心なんですけど……」
「承知いたしました」
そう言って紹介されたのは、可愛らしい獣人の女の子や、力仕事に慣れた人間の女性たち。
どの人も真面目そうで魅力的だった。
……ただ。
(高ぁぁぁい……!)
思っていたより、予算を遥かにオーバーしている。
一人暮らしの私の懐事情では、少々厳しい金額だった。
私が困り顔で唸っていると、受付の女性が少し考え込むように首をひねる。
「……実は、お一人だけ条件の合う方がおります」
「条件の合う方?」
「はい」
女性は部屋の奥に向かって声を掛けた。
「エイルさん、こちらへ」
「……はい」
静かな返事とともに、奥の扉から一人の青年が姿を現した。
肩まで伸びた艶やかな黒髪を、後ろでハーフアップにまとめている。
長い耳。少し垂れた優しい目元。その下には、一粒の泣き黒子。
そして、吸い込まれそうな金色の瞳がこちらを穏やかに見つめていた。
(……え、美形。しかもエルフだ……!)
思わず見惚れてしまうほど、完成された美しい顔立ち。
「エイル・セレスヴァルトさんです」
受付の女性が紹介する。
あまりの顔面の良さに目が釘付けになっていた私だったが、ふと視線を下へ滑らせて——思考がフリーズした。
(……えっ?)
広い肩幅。
分厚い胸板。
服の上からでもはっきりと分かる、鍛え上げられた太い腕と脚。
まるで長年戦場で修羅場をくぐり抜けてきた戦士のような、圧倒的ガチムチ体型。
(ごっつ……!!!)
顔は、絵画から抜け出してきたような儚げで美しいエルフ。
なのに首から下だけ、どう見てもグラディエーターである。
私が固まっていると、受付の女性が申し訳なさそうに補足した。
「エイルさんはエルフなのですが……ご覧の通りの体格でして。エルフを求めるお客様からは敬遠されてしまい、かと言って、肉体作業ができる人材を求めてこられる方は、エルフではなく他種族の方が選ばれてしまいますから、ずっと働き口が見つからないんです……」
「あー……」
(なるほど……ターゲット層のミスマッチ……!)
そう言って提示された料金表を見て、私は二度見した。
(えっ、安っっっ!?)
さっき紹介された獣人の女の子の半分以下。……いや、三分の一近い。
(いやいやいや!このビジュアルとフィジカルで、この捨て値!?)
思わずエイルさんを見上げる。
彼は静かに、穏やかな笑みを浮かべていた。
けれど、その笑顔はあまりにも不自然だった。
口元は綺麗に笑っているのに、金色の瞳には何の光も宿っていない。
(それでも……)
黒髪。
金眼。
たれ目。
泣き黒子。
エルフ。
からの、ギャップ萌えを通り越したガチムチ体型。
(属性、てんこ盛りすぎる……)
元オタクの血が騒ぎ、心の中の警報がけたたましく鳴り響く。
いやいや、落ち着け私。
ちゃんと現実的な防犯面も考えよう。
私は一人暮らし。相手は成人男性。
いくら仕事関係とはいえ、同居させるのは少し不用心じゃないだろうか。
「あの……」
私は受付の女性にひそひそ声で尋ねた。
「私、一人暮らしなんですけど……その、男性と同居というのは少し……」
すると女性は「ああ」と納得したように頷いた。
「ご安心ください。エルフは種族柄、他種族への恋愛感情に極めて淡泊です。人間の女性を異性として意識することはまずございませんよ」
にこりと、プロの営業スマイル。
(なるほど、ハナから相手にされないわけね! よし問題なし!)
隣では、エイルさんが静かに深く頭を下げた。
たたずまいからして、真面目で誠実そうな人だ。
それに、この筋肉なら薪割りも畑耕しも朝飯前だろう。
何より。
(このビジュアルと属性で、この破格の値段……!)
元日本人の節約精神と、隠しきれないオタク心が、満場一致で「買い」のボタンを押した。
「決めました」
私はエイルさんを真っ直ぐに見つめて言った。
「この方にお願いします」
受付の女性が目を丸くする。
「……本当によろしいのですか?」
「はい!」
即答だった。
その瞬間。
ずっと貼り付いていたエイルさんの薄い笑みが、ほんのわずかだけ、驚きに揺れた気がした。
——それが、この人の本当の表情を見た、最初の瞬間だった。
***
エイルさんを迎えてから、三日。
結論から言おう。
「エイルさんって、すごすぎない……?」
私は本気で感動していた。
朝起きると、畑は完璧に耕され、水瓶は並々と満たされ、薪は寸分の狂いもない大きさに切り揃えられている。
それどころか、前から壊れかけて放置していた庭の柵まで綺麗に直っていた。
「えっ、これ全部一人でやったの……!?」
「はい」
エイルさんはいつもの穏やかな笑みを浮かべ、静かに頭を下げる。
「本日ご指示いただいたお仕事は以上です」
「いやいやいや!」
私は思わず両手をぶんぶんと振った。
「私なら三日はかかるよ! 本当にありがとう、助かりすぎる……!」
「お役に立てたのでしたら幸いです」
言葉遣いも佇まいも、どこまでも丁寧で上品だ。
(……できる。)
穏やかな笑みを絶やさず、仕事は完璧。
頼んだ作業はもちろん、その先まで気を利かせてサラッとこなしてくれる。
(え、何この人。見た目だけじゃなく能力もハイスペックなの??)
***
それから、季節はゆっくりと移ろっていった。
最初は心地よかった風も、じわじわと熱を帯び始める。
エイルさんとの生活は、本当に穏やかで、すぐに慣れてしまった。
――それに気づいたのは、本格的な夏に差し掛かったころだった。
昼食の準備をしていると、庭で黙々と薪を運ぶエイルさんの姿が目に入った。
カンカンと照りつける真夏の日差しの中、彼は今日もきっちりと長袖に長ズボンを着込んでいる。
「エイルさん」
「はい」
「暑くないの?」
「問題ありません」
即答だった。
「いやいや、問題大ありでしょ」
見ているこっちが熱中症になりそうだ。
「倒れちゃったら大変だよ? 服、少し脱ぐかまくったら?」
そう提案すると、エイルさんはすっと視線を伏せた。
「……肌を隠していた方が、見苦しくありませんので」
「え?」
あまりにも自然な口調だった。
エルフは線が細く、優雅な体つきを美しいとする種族らしい。
だから、生まれつき逞しい体格だったエイルさんは、それだけで「醜い」と蔑まれてきたのだという。
長年そう蔑まれ続けてきた人の、それが世界の当たり前になってしまった声。
胸が、きゅっと痛んだ。
「……いやいやいや!」
私は勢いよく首を振る。
「勿体ない!」
「え……?」
「正直、もっと見せて欲しい!」
エイルさんがぴたりと動きを止めた。
「その鍛え抜かれた腕とか!」
「たくましい肩幅とか!」
「隠されると余計セクシー、というか、気になるから!」
「…………」
……あ。
勢い余って口走ってから、ハッとした。
(やってしまった。心の声が思いっきりダダ漏れた……!)
でも、もう遅い。
エイルさんの金色の瞳が、まっすぐこちらを見つめている。
気まずさを誤魔化すように、私は指を折って早口で数え始めた。
「……だってさ! よく『濡れ羽色』って表現されそうな黒髪!」
「黄金を溶かし込んだみたいな金色の目!」
「ちょっと色気のある泣き黒子!」
「神秘的なエルフ耳!」
「しかも優しい敬語キャラ!」
「で、このフィジカル!……属性てんこ盛りすぎて、薄い本が量産されそうなレベルだと思うの!」
口に出せば出すほど、自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。
(落ち着け私。異世界の住人にオタク用語は通じない)
けれどエイルさんは何も言わない。
ただ静かに、じっと私を見つめている。
その視線が妙に落ち着いていて、逆にこちらの動悸が激しくなってくる。
「……とにかく、エイルさんには素敵なところがたくさんあると思う。格好いいよ。」
ぽろっと、隠しきれなかった本音が漏れた。
言った瞬間、さらに顔が熱くなる。
(あ、今の完全に言うつもりなかったやつ……!!)
しばらくの沈黙のあと、エイルさんはいつものように小さく微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その笑顔は相変わらず穏やかで、何を考えているのか読めなかった。
***
それからというもの。
我が家では、ある光景が日常になった。
「エイルさん」
「はい」
「腕、見せて」
「……腕、ですか?」
「うん」
不思議そうに首を傾げながらも、エイルさんは言われた通りに少しだけ袖をまくってくれた。
現れたのは、逞しい前腕。
思わず私は、両手でそっと包み込んだ。
「おぉ……っ!」
固い。
けれど岩のような無骨さではなく、しなやかで力強い筋肉の弾力。
「すごい……最高……」
「……」
「肩も触っていい?」
「……構いませんが」
ぺた。
「広っ……!?」
あまりの厚みに思わず声が漏れる。
「やっぱりめちゃくちゃいいなぁ……」
エイルさんは何も言わず、ただじっと私を見つめている。
我に返り、慌てて手を引っ込めた。
「……あ、嫌だった?」
「……いいえ」
「……本当に?」
「はい」
「そっか、ならよかった!」
にこっと笑うと、私は心底胸を撫でおろした。
(嫌じゃないならセーフ!!)
(そして、嫌がられていないのであれば——愛でたい!!!!)
——そう、一度本音を漏らし、色々吹っ切れてしまってからの私は、完全に遠慮という言葉を忘れていた。
だってイケメンエルフが目の前にいるのだ。しかも触れても嫌がられない。
一昨日は掌。
昨日は腕と肩。
そして、今日はエルフ特有の美しい長耳まで。
「耳、触ってもいいかな……」
「……っ」
「すべすべだ……」
「……」
「エルフって昔話か物語の中だけにいる存在だったからさぁ……こんな至近距離で拝めるなんて、どんな徳を積んだんだろう……」
耳に触れると、エイルさんは毎回ほんの少し身体を強張らせるけれど、一度として拒絶することはなかった。
***
ある日の午後。
庭で洗濯物を干しているエイルさんを見て、私は「あっ」と声を上げた。
「エイルさん」
「はい」
「髪、ほどけかけてるよ」
振り返ったエイルさんの黒髪は、いつも綺麗にまとめているハーフアップが解け、ハラリと垂れ下がっていた。
「ああ……すみません。自分では見えなくて」
「ちょっと貸して! 直してあげる」
「えっ……ですが……」
恐縮する彼をよそに、私は背伸びをして結び目を一度ほどいた。
さらり、と艶やかな黒髪が彼の肩へと流れ落ちる。
(うわぁ……今日もめちゃくちゃ綺麗……さらっさら……)
あまりの美しさについ見惚れつつ、手に持っていた櫛を丁寧に通していく。
指先から伝わる髪の触感に密かに悶絶しながら、しっかりと結び直した。
「よし、できた!」
「……ありがとうございます」
一歩下がって、出来栄えを満足げに眺める。
「うん!やっぱりそのハーフアップ、すごく似合ってるね」
「……そう、でしょうか」
「うん!いつも通り、 格好いいよ」
その笑顔は、相変わらずどこかぎこちなかった。
でも。
出会った頃の「何も宿していない瞳」とは違って。
ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、目元が柔らかくなったような気がした。
(……うん、気のせいじゃないといいな)
私はそんなことを思いながら、綺麗に結び直された黒髪を誇らしい気持ちで眺めたのだった。
***
エイルさんと暮らし始めて、半年。
私たちの関係は、少しずつ変わっていた。
特に最近気になるのが——お風呂上がりの時間だ。
「……あ、エイルさん」
湯気の残る脱衣所の前で、ばったり鉢合わせる。
最初は「見苦しいから」と絶対に肌を見せようとしなかったのに、今は以前より気にしている様子がない。
髪はまだ乾ききっておらず、濡れた黒髪から首筋へと、水滴が一筋落ちていく。
(……うわ。なんか、色気がすごい……)
思わず視線が釘付けになる。
慌てて逸らすものの、オタクの習性で吸い寄せられるようにまた戻ってしまう。
「クロエさん」
「は、はい!」
「どうかされましたか?」
「い、いや! なんでもないです!」
エイルさんは首を傾げるだけで、それ以上は何も追求してこない。
そのまま、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。
最近はこの「無防備な時間」が増えた。
湯上がりの濡れ髪。
胸元が少し緩んだ服。
そして、以前よりも格段に近くなった距離。
(……いや、別に変な意味で意識してるわけじゃないんだけどね。目の保養というか……!)
私は自分に必死で言い訳しながら、視線を忙しく泳がせた。
***
天気の良い日は、庭で一緒にお昼寝をすることもあった。
ぽかぽか陽気の中、青々とした芝生の上に寝転がって空を眺める時間は大好きだ。
「エイルさんも休憩しようよ」
「では、私は見張りをしておりますので」
最初の頃は、エイルさんは少し離れた木陰に直立し、周囲を警戒してくれていた。
それが——。
「……失礼します」
いつからか隣へ腰掛けるようになり。
さらに気付けば、隣で一緒に芝生へ寝転ぶようになり。
そして最近では。
「……あれ?」
目を覚ますと、私はエイルさんの逞しい肩にすっぽりと抱き寄せられる形で支えられていた。
「おはようございます」
「お、おはよう……?」
寝ぼけた頭のまま見上げると、間近にある金色の瞳が穏やかに細められた。
「えっと……これ。どういう状況?」
「眠っている間のあなたは無防備ですので」
ごく真面目な顔で、当然のように言われた。
なるほど。今まで平和に暮らしてきたとはいえ、ここは異世界で私はか弱い人間だ。
彼なりの警護であり、気遣いなのだろう。大切に扱われているみたいで、少し照れくさい。
……でも、悪い気はしなかった。
「そっか。ありがとう」
「……いえ」
***
そんなある日、町へ買い物に出かけた帰り道。
「クロエさん!」
顔見知りの八百屋のお兄さんが、笑顔で声を掛けてくれた。
「お一人ですか?」
「あ、いえ! あっちで荷物を持ってもらってて。今日はお買い物です!」
「そうでしたか! 今日はトマトがおすすめですよ」
「本当ですか? じゃあ、それも──」
そこまで言いかけた時だった。
「クロエさん。」
すぐ後ろから、穏やかな声が聞こえた。
振り返ると、エイルさんが私の手に持っていた買い物袋へ静かに手を伸ばす。
「そちらも、お持ちします。」
「あ、ありがとう。でも、もう十分持ってもらってるよ?」
「問題ありません。」
そう言うと、エイルさんは自然な動作で袋を受け取り、そのまま私のすぐ隣へ並んだ。
「すみません、それじゃあ失礼します!」
お兄さんにお礼を言って、八百屋を後にする。
「……今日は、いつもよりお話が長かったですね」
不意にエイルさんが口を開いた。
「え?」
「八百屋の男性と」
「ああ、世間話だよ。おまけしてくれちゃった」
「……そうですか。」
少しだけ沈黙が流れる。
「……よく、お話しされる方なのですか。」
「うん、野菜買うときはいつも!」
「そう、ですか。」
「……次回からは、買い物も私にお任せください。」
「え?どうしたの急に?」
「……そうしたいのです。」
「?」
「その方が、安心できますから。」
それだけ言うと、エイルさんは静かに歩き出す。
その横顔は、いつも通り穏やかで優しかった。
***
その日の夜。
「エイルさん、髪ほどけてるよ」
「……はい」
「はい、こっち向いて」
いつものように背後に回り、指先で黒髪を結び直してあげる。
すると不意に、エイルさんがぽつりと呟いた。
「……クロエさん」
「ん?」
「明日も……結んでいただけますか」
「もちろん!」
「毎日でも結んであげるよ!」
そう答えると、エイルさんは、ほっと息をついたように目を細めた。
「……ありがとうございます」
その声音には、どこか満たされたような響きがあった。
初めて、エイルさんの手が、私の手首へそっと重ねられた。
少しだけ力が入る。まるで、離したくないとでも言うように。
それ以降、エイルさんは髪が解けても、絶対に自分では結び直そうとしなくなったのだった。
終
お読みいただき、ありがとうございました。
「続きが気になる!」と思っていただけたら嬉しいです。




