53.九死に一生を得るガール
あの黒ずくめの正体がいったい何なのか。
当然それも気になるところではありますが、まずは生き残らない限りはそのあたりを考えることすらできません。バラバラに切り刻まれた四階の床と一緒に落下しつつあるわたしは、急激に迫る一階の床を眺めながら「これは今日の式典は中止だろうな」とか「あの床の修理代ってすごく高そうだな」みたいな場違いな現実逃避を脳裏に思い浮かべておりました。
前世の漫画知識ではありますが、死に瀕した人間の脳というのは限られた猶予で生き残る術を探るべく、それまでの人生の記憶を凄まじいスピードで思い起こすそうですね。いわゆる走馬灯というのはこういう感じかぁ……と、自分に秘められていた脳機能の可能性に妙な感心をしながらも肝心の高所落下から逃れる方法など物理的に存在するはずもなく。
「ぎゃーっ!?」
わたしに出来たのは辛うじて可愛くない悲鳴を上げるので精一杯。
どうにか頭を守りつつ足から落ちて即死さえ回避すれば、骨折や内臓破裂は避けられないまでも落下先近くにいる院長先生の治療を望めるかもしれませんが、足場のない空中では体勢をコントロールするのも簡単ではありません。
どうにか両腕で後頭部を抱え込みつつ身を丸め、間もなくやってくるであろう衝突に備えてギュッと目を瞑っていたのですが……おや?
「はて、不思議と痛みが来ませんね?」
なにしろ目を閉じているので周囲の状況は分かりませんが、火事場の馬鹿力でポテンシャルが解放された脳ミソがこんなにも墜落までの体感時間を引き延ばしているのでしょうか。
あるいは痛みを感じるまでもなく即死しており、早くも幽霊になっているとか。
もし次に生まれ変わるのなら、今度は荒事と無縁かつ金銭的な余裕のある人生を一丁お願いしたいところですが……幸い、そのあたりのリクエストがどこぞの神様に聞き入れられるのは、まだまだ当分先のことになりそうです。
「無事か?」
「あ、レイさんでしたか。これはどうも」
聞き覚えのある声に反応して目を開けると、そこには人間離れした美男子の顔面がありました。加えて背中とヒザの裏あたりの感触からして、どうもわたしは墜落寸前に魔法で飛び上がったレイさんにお姫様だっこの形で受け止めてもらったようです。この状況に気恥ずかしさはありますが、命が助かった安堵を思えばそれくらいは何ともありません。
視線を下に向ければマー君や王様の姿もありました。
警護役のレイさんはVIPである彼らと一緒に一般の参列客より早く入場しており、そのおかげで崩れ落ちる天井と一緒に落ちてくるわたしに気付いて救助が間に合ったというわけなのでしょう。天井の崩壊から何秒もなかったでしょうに、実にお見事な反射神経と判断力です。
魔法で浮いているレイさん及び荷物として抱えられているわたしは、大体建物の二階あたりの高さにフワフワ浮いていたのですけれど。
「一度降りるが構わんな?」
「ええ、どうぞどうぞ」
「そうか。思ったより重くてな」
なんだと、コノヤロウ。
いえ、助けられたばかりで命の恩人に文句を付けるのもなんですが、花も恥じらう乙女に向かって「重い」は流石にないでしょう。レイさんには一度じっくりとデリカシーというものを叩き込んで差し上げる必要があるかもしれません。
まあ知る限り体重計の存在しないこの世界では何かと油断しがちなのは認めますし、普段暮らしている修道院ではタダなのを良いことに毎日毎食お腹いっぱい食べる生活を四年ほども送っていますし、この王都に来てからも和食やら食べ歩きやらで遠慮も加減もなしに暴食の限りを尽くしてはいますが……いや、もしかして本当にヤバいのでは?
いつもは毒手修行やら雑用やらで何やかんや相応のカロリーを消費しているとはいえ、今回の旅の道中においては当然ながらそういった習慣も中断中。今はまだ目立った変化はないと思うのですが、実は目に見えにくい内臓脂肪などがブクブクと蓄積している可能性も……。
「どうした、怪我でもしていたか?」
「あ、いえいえ。ちょっと考え事を」
まあ体重や体型の問題については後でじっくり考えましょう。
不安定な空中から一階まで降りて地に足が着くと、ようやく正常な思考力も戻ってきたような気がします。実際には天井が崩落してから空中でキャッチされるまで二秒か三秒程度、そこから更に十秒そこそこしか経過していないはずですが、もう四階から落ちたのが何十分も前のように感じます。
「りっちゃんさん、ご無事ですか!?」
「はいはい、ご無事ですよ。マー君、ご心配どうもです。頭に天井の破片がぶつかったりした人もいないみたいですね」
四階の床もしくは三階の天井は、それなりの重さと硬さがあったはず。
大きめの破片が落ちてきて頭にでも当たったら、それだけで致命傷になりかねませんが、そこは一般客の入場前だったのが幸いしたようで無人の座席に降り注ぐだけで済んだようです。
ならば、次に考えるべきは。
「いったい何があったんですか? 何故りっちゃんさんが天井から落ちてくることに?」
「あ、そうだ! みんな上見て、上!」
この状況を作った元凶、すなわち謎の黒ずくめへの対応でしょう。
四階の床に開いた大穴の淵にいたソイツは、わたしが墜落死しなかったのが面白くないのか仮面の形状を怒っているような形に歪めて我々を見下ろしていたのですけれど。
「あれは昨日の、ええと、変わった趣味の皆さん?」
「そうなんだけど、そうじゃなくて……ていうか多分、人間でもなくて」
わたしにしても話せる情報は決して多くありません。
ウロコで覆われた異常に長い腕だとか、硬い床をも切り裂く鉤爪からしても、まず間違いなく人間以外の何かだとは思うのですが。じゃあ、具体的に『何』なのかと問われてもさっぱり分かりません。
「来るぞ! お前達は下がっていろ!」
わたしが言葉を選んでいる間にも事態は更に進んでいきます。
先程の異形の腕、それも今度は片方のみではなく左右両方を振りかぶった黒ずくめの怪人が、一階にいる我々目がけて跳躍。それに反応して飛び出したレイさんも魔法の光を煌めかせ、空中で両者が激突したのでありました。
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