第10話 忍者、胸もとを凝視する
おヒメが、姿を消した半々蔵におどろき、あわてて家までもどってくると、そこには座して待つ半々蔵がいたのであった。
「やっ、これはおヒメどの。勝手にあがってあいすまぬ」
と頭をさげる半々蔵であったが、おヒメはみだれた息をととのえるまもなく、彼にすがりついた。
「半々蔵さまっ、もう、去ってしまわれたのかと……!」
ほおは上気し、着物はみだれ、陶器のようにすべらかな胸もとの肌が見えている。
大つぶの汗がひとすじ、その豊かな丘をなぞって、消えた。
おヒメは、半々蔵がそれを凝視し、あわあわとしゃべりあぐねているのを確認したのちつづけた。
「私を、私どもを救っておいてなにも言わずに消えるなどゆるしませぬ……。よかった、本当によかった……!」
うるんだひとみで、見あげた。
ゆるんだ胸もとが目に入りやすいよう、気づかれない程度に少し腰を引く。
おヒメは、この短い時間で、半々蔵のことを好いていた。
いや、無意識に、好いていると自分に思い込ませようとしていた。
この村にこのまま住みつづけたところで、遠からず別の男どもに犯され、食料は最低限のもの以外うばわれ、集まりに参加すれば女衆になじられ、ときにはかげで足蹴にされる。
参加しなければ扱いはもっとひどいものとなる。
これが死ぬまでつづくと思っていた。
それがイヤだといって、そとの世界を、ものを知らぬ自分が、女ひとりで村を出たところで野盗のなぐさみものとされるか野垂れ死ぬのがオチだ。
だからただただ耐えて、いつかこのまま死ぬのだろうと、自分の行く先の暗さをじっと見つめていた。
そこへ突然やってきた半々蔵は、まさしく地獄におりた一条のくもの糸であった。
あのときおそってきた、村でも指折りの巨体を有するゲス吉をなんの苦もなく制したばかりか、あの村人を喰らいつくしてやまぬかと思われた災厄のごときサメをさえ圧倒してみせた。
ゲス吉がいなくなってから一日しか経っていないためまださわぎにはなっていないようだが、なれば彼の暴行は一切考慮されず、自分が罪人として処されることは容易に想像できる。
もはや、自分が人としてまっとうに生きていくには、この人のよい半々蔵にすがるほかはないのだという、言葉にはできぬ無意識の打算が、彼をつかむ手に力をこめさせた。
「お、お、おヒメどの。年ごろの女子が、いけませんぞ。まずは深く呼吸をして、息をととのえてから……」
「かまいませぬ。半々蔵さまになら、私は……」
「忍法、空蝉の術――」
おヒメがとうとうガバッと抱きついたところで、半々蔵のからだは気づいたら薪と入れ替わっており、おヒメはずいぶんかたい薪にほおずりをする仕儀となった。
「忍者……」
「にに忍者ではござらんが、まま、とにかく、落ちつかれよ……」
半々蔵は、かつての里での過酷な修行においても感じたことのないほどの動悸を、必死にしずめていた。
半々蔵は童貞であった。
里にいたとき、あまりに女に弱いので、同期から
「くノ一に誘惑されたらどうするんだ」
とからかわれたときも、
「そんなん拙者の超絶技巧でビクンビクンに果てさせてみせるでござるし笑」
となんの根拠も技巧もないのに強がりを言い張るぐらいにはピュア、かつ、むっつりすけべであった。
いまも腰をひき、たぎる下半身を尋常ならざる克己のちからでようよう抑えつけているのである。
もちろんおヒメのことは憎からず思っているが、かといって、たまさか助けたにすぎぬ恩を盾に女人を抱くのは男としてかっこわるいのではないか、という思いがあった。
あと、まだ、ちょっと、心の準備がととのってないし……というつぶやきを咳ばらいでごまかしつつ、薪を抱きしめたままほおをふくらますおヒメに、
「いや、じつはでござるな、祭りが終わったらまた旅にもどろうと思っていたのでござるが、先ほどのサメ騒動のとき気になることができた次第。ひそかに村を探りたいので、ひと晩かふた晩こちらをはなれるでごさるよ」
「それが終わったあと、少しでかまいません。もどってきて……いただけますか?」
「うん? うむ……一宿一飯の恩もござるし、おヒメどのがそうおっしゃるなら、約束するでござる。必ずもどってこよう」
「わかりました。ではせめて……おむすびをにぎりますので、おもちくださいませ」
「かたじけない」
そうしたやりとりののち、半々蔵はおヒメの家を出て、そっと村へとしのびこんだ。
しばらく中腰の姿勢から身を起こすこともできぬまま……




