第1話 砂浜に咲く真っ赤な「びきに」
暑い、夏の盛りであった。
それはいつの時代のことか、しかとは伝えられておらぬが、なんでも数百年前はむかしのことで、とあるちっぽけな漁村でのできごとだったそうである。
村の女が、ひとり、しずやかに砂浜を歩いていた。
例年よりもひときわ暑い夏の日のことで、女が少しの涼を求めたものか、判然とはせぬ。
女は、村一番のファッショニスタ「おタカ」であった。
ファッショニスタ――通常であれば「最先端のファッションを追い求める人」などの意味で用いられる語であるが、おタカは「最先端」などという言葉ではとうてい収まりきらぬ才能をもっていた。
時代を超越していた――あるいは、そう表現するのが適切かもしれぬ。
その超越ぶりの証左として、おタカはある日、最低限の布を胸と下腹部とに巻きつけ、これを「びきに」と名づけ、海に入るときはこれを用いようと村の女衆に熱く訴えたのだ!
「なぜ?」
村の女は問うた。
「そこに、女の粋があるから」
おタカは夏の太陽のごとき熱で、答えた。
しかし……数百年前の、レジャーとしての海水浴という習慣さえなかったころの日本でのことである。
あまりにも突飛なこのおタカの提唱に、村の者は顔を見合わせるばかりであった。
村の者にはファッションがわからぬ。
おタカの訴えはむなしく空にひびいた。
「理解、されないものね……」
天才が、その才とともに与えられる孤独を、おタカもまた骨の髄まで味わっていた。
おタカはいまも「びきに」姿で砂浜をうろついている。
その優雅な歩きかたたるや、まるで観衆ひしめくパリコレのランウェイを練り歩くがごとしである。
なめらかな白い砂浜。
青く透きとおった海。
そしてみずからの流麗なる肢体と、そこにからみつく真っ赤な「びきに」……。
これ以上のものがあろうとは思われぬ美の調和に、おタカはおのれのファッションセンスの正しさをあらためて確信していた。
「私は……美の普及を、あきらめない」
そう、決意を言葉にした、そのときだった。
海に、なにやら不穏な気配がただよったのである。
サメ映画の冒頭において、比較的高確率でビキニ美女がサメに喰われる……。
そのような事実を、サメ映画などまだ存在しない時代を生きる彼女が知らぬのは無理からぬことであろう。
しかし、知ると知らざるとにかかわらず、たしかににょっきりと、波を割ってあの三角のヒレが海に浮かびあがってきたのである!
バグンッッ!!
おタカはあわれにも、悲鳴をあげる間さえもなく、海から飛び出てきた巨大なるサメのえじきとなった。
その血液は、ちぎれた腰からブシャアアアとすさまじい勢いで噴出し、「びきに」のごとく砂浜と海とをいろどる。
「ヒャッハァァ!! 野郎ども、上陸だぁ!」
サメにまたがった野卑芬々たる男が世紀末的おたけびをあげ、この日ひとつの邪悪なる脅威がこの村へと漂着したのであった――