星屑と沈黙のパフェ
終戦の鐘が鳴った日、リアーナは笑わなかった。
誰もが手を取り合い喜びにむせび泣く中、軍人であった彼女の手はただ震えていた。
その手は、数えきれない命を奪った手だった。
いくら洗っても血の匂いが抜けない気がした。
兵舎は解体され、武器は回収された。
もう戦わなくていいんだよ、と仲間も上官も優しく言ったが、リアーナは帰ってきた日常を享受することが出来なかった。
眠れず、食べられず、ただ石のように生きていた。
そんなある日のこと、瓦礫の山となった街角で、彼女はそれを見つけた。
扉である。
蔓草の彫刻が刻まれた木製の扉の中央には、掠れた文字でこう記されていた。
《コントゥ・ブルー》
建物が壊れる際に扉だけが残ったのだろうかと、リアーナは考えたが、それにしては綺麗に形を保っていた。
どこに繋がっているはずもない。
しかしその異質さに目を背けることも叶わず、リアーナは吸い寄せられるように取っ手に手をかけた。
カラン、と小さな鐘の音。
リアーナは今しがた自分が見ていた光景が消えているのに、数拍置いてからハッとした。
「何、ここ……誰かの家? 食堂……?」
カウンター越しに見える厨房。
空気はじんわりとあたたかく、淡い光が灯る下にはテーブルが並んでいる。
窓は無く外は見えないが、針が止まった大きな古時計と、折り重なった幾つもの香りがリアーナの気を惹いた。
焼き上がったクッキー、甘酸っぱい果実、焦がしキャラメルのようなどこか懐かしい匂いが心をほぐす。
まるで物語の中に迷い込んだような気分で辺りを見渡していると。
「こんにちは」
女性が一人、影のようにそこに立っていた。
黒衣に長い銀髪、澄んだ琥珀の瞳。
まるで歳月という概念を置き去りにしたかのような美女であった。
人間ではない……リアーナは直感でそう思った。
「ようこそいらっしゃいました」
「ようこそって……あの、ここは」
「ここはコントゥ・ブルー。"求める者"の前にのみ現れる、パフェの専門店でございます」
「求める者……? パフェの、専門店……? あ、あの……」
女性は淡く微笑んだ。
「さあ、お席へどうぞ。あなたのためのパフェは、もうすでにご用意が出来ております」
わけもわからぬままに着席を促されたかと思えば、女性は厨房の奥へと消えてしまった。
一人ぽつんとテーブルで待つこと数分。
女性が戻ってきて、リアーナの前に高いグラスが置かれた。
それはさながら、夜空を閉じ込めたようなパフェだった。
「お待たせいたしました。『星屑と沈黙のパフェ』でございます。あなたの心に、今必要なもので作りました」
「キレイ……星空が浮かんでる……。でも、これ、食べられるんですか?」
「ええ。もちろん」
「こんな高そうなの……私、お金はあんまり……」
「召し上がれ」
言われるままカトラリーからスプーンを取る。
が、リアーナは手を付けずにスプーンを置き手を離した。
「……ゴメンなさい。私、食べられない」
食欲が無いと、彼女は言った。
しばらく沈黙が続いたあと、魔女はぽつりと語る。
「それがあなたの贖罪の形なのですね」
リアーナの指が震え、ハッと女性を見上げた。
「なんで……」
「多くの命を奪い、傷付けてきた。祖国のため、家族のため、友人のために戦ったのですね。けれど戦争は終わっても、あなたはまだ戦い続けている。自分が奪ってしまったもの、傷付けてしまったものを、背負い続けているのですね」
自分が日常を謳歌していいわけがない。
自分は奪った命を忘れてはいけない。
リアーナはそんな枷で自らを縛った。
「私は……」
臆病者で卑怯者。
そうでなければ、戦場にしか生きられない異常者だと、リアーナは自身を罵った。
どうしていいかもわからず、ひたすらに苦しみもがいた。
そんなリアーナに、女性は柔和に微笑んだ。
「それがあなたの生き様だというなら、誰も否定することは出来ないでしょう。ですが、あなたは自分を傷付け蔑む以上に、誰かを守り続けてきたあなた自身を誇りに思うべきだと、私は思います」
リアーナにスプーンを持たせ、そっと手を添える。
「涙の味を知っているからこそ、このパフェはあなたの心に沁み入るはずです。どうかこの一匙があなたの魂に届きますように」
リアーナは、震える手で最初の一口を掬った。
口に運んだ瞬間、キャンディーのような星屑が舌の上で弾けた。
「ッ?!」
「上にあしらったのは星屑のフレーク。夜空に浮かぶ星の光の結晶です。最初は荒々しく弾け、喧騒に疲れた心を少しずつ冷ましてくれます」
冷たさではなく、静けさが広がる。
誰もいない夜、誰も傷付けなくてよい世界。
その下にあるのは淡い緑の層。
二口、三口。
爽やかな風が吹き抜けた。
「世界樹の葉のソルベ。命の記憶と、大地の懐かしさを閉じ込めました。あなたが戦場で失ったもの、手放してしまったものと静かに向き合えるように」
喉を通るたびに、胸が温まり、涙が浮かんでくる。
女性はこの世のものとは思えない、芸術品のようなパフェの層を一つずつ指でなぞった。
ゼリーの層は、虹のように揺れている。
「ドラゴンの涙のジュレ。絶滅した古代竜の記憶を宿した雫で作られたものです。喪失の痛みと、受け入れるための優しさを、ゆっくり溶かしていきます」
その下には、淡い乳白色のクリーム。
「幻蝶の蜜のクリーム。記憶の蝶が舞う森から採れる蜜で、甘さは非常に繊細。過去を否定せず、包み込むような癒しを与えます」
そして、最後の底には漆黒のベリー。
「深淵のベリー。心の底に沈めていた感情を、そっと掬い上げる味です。苦味と酸味が強いですがその奥からじんわりと甘味が顔を覗かせる。それもまたあなたの一部です」
魔女は最後にこう言った。
「このパフェは、全てを受け入れるための一杯。どうか最後の一匙まで、あなた自身と向き合いながら堪能してください」
やがて、リアーナはテーブルの上に大粒の涙を落とした。
過去を否定する甘さではない。
喪失を忘れさせる甘さではない。
全てを抱きしめて、それでもいいよ、と言ってくれる味。
最後の一匙を口に含み余韻に浸る頃には、リアーナは静かに目を閉じていた。
「!」
目を覚ました時には、コントゥ・ブルーの扉は影も形も無かった。
陽の昇る街角に、空っぽの空気だけが揺れている。
夢だったのかなと頬をつねろうとした手に、小さな羊皮紙が一枚握られているのに気付いた。
『明日のあなたが、誰かにとっての"求める者"であらんことを。コントゥ・ブルーの魔女より』
「魔女……」
リアーナはその紙を胸にしまい、少しだけ軽くなった足取りで、朝日で白くなった通りを歩き始めた。
まだ、生きてみてもいいかもしれない。
そのくらいの勇気だけが、今はちょうどよかった。
目を通していただきありがとうございましたm(_ _)m
童話っぽい不思議な空気のファンタジー、当方癖でございます。
こちら完全不定期の一話完結型でございます。
また更新された際はぜひよろしくお願いいたします。
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