第二話:路地の影、蘇る悪夢
その日、みゆきは気分転換にと、神・日本の市街地を散策していた。復興が進んだ街は活気に満ち、人々はそれぞれの生活を謳歌していた。子供たちの笑い声が響き、市場からは威勢の良い声が聞こえる。全てが、彼女が望んだ平和な光景だった。
公園のベンチに腰掛け、空を見上げる。青く澄んだ空は、どこまでも高く、穢れ一つない。この世界は、もう大丈夫。誰も傷つかず、誰も悲しまない。そう信じられるような穏やかな一日だった。
だが、運命は時に、最も残酷な形で牙を剥く。
ふと、みゆきは一本の薄暗い路地が目に留まった。何かに引き寄せられるように、彼女はその路地へと足を踏み入れた。路地の奥には、ひっそりと佇む一軒の建物があった。色褪せた木製の看板には、擦れて読めない文字が書かれている。閉められた窓の隙間から、薄暗い光が漏れ、仄かに、甘ったるい香りが漂っていた。
その瞬間、みゆきの心臓が強く脈打った。
(この匂い……この雰囲気……)
脳裏に、あの忌まわしい記憶がフラッシュバックする。薄暗い部屋、男たちの下卑た笑い声、肉体の熱、そして、冷たい視線。全身の血が凍り付くような感覚に襲われた。
娼館だ。
なぜ、こんなものが、まだこの世界にあるのだろう。完璧になったはずのこの世界に、なぜ、人間の醜悪な欲望の場所が残されているのだろう。
「っ……オェッ!」
耐えきれない嘔吐の衝動が喉を突き上げた。みゆきは路地の隅に倒れ込み、胃の中のものを全て吐き出した。全身が震え、冷や汗が噴き出す。視界が歪み、娼館の建物が、まるで生き物のように脈打ち、壁が血肉の色に染まっていくように見えた。
耳元では、あの日の男たちの下卑た笑い声、女たちの罵声、自分自身の無力な喘ぎ声が、鮮明に、現実の音として響き渡る。
「なぜ……なぜこんなものが……まだこの世界にある……!」
彼女の瞳に宿るのは、深い憎悪と、再びあの絶望が繰り返されることへの恐怖だった。彼女が必死に築き上げてきた平穏な日々が、まるで脆い砂の城のように、音を立てて崩れ去っていく。
「この世界は……やはり、不完全だ……!」
この娼館という存在が、自分が味わった苦しみが、この「完璧になったはず」の世界にもまだ残っている。その事実に、みゆきの心の闇は限界を超えて膨張した。
「争いも、苦しみも、理不尽もない世界……私が、全てを完璧に変えてやる……!」
彼女の身体から、かつてないほど強大な魔法の力が噴き出した。それは、死者蘇生の魔法が、絶望と憎悪によって歪められ、世界そのものを改変しようとする、新たな「概念」を宿したかのようだった。
まず、視線の先にあった娼館が、きしむ音を立てて滑らかな石像へと変貌していく。それは、壁の染み一つない、完璧な白の石像だった。
続いて、路地を歩いていた通行人の数人が、光の粒子となって宙に舞い上がったかと思うと、みゆきの手元にあった木製の置物や石の飾り物、そして可愛らしいぬいぐるみへと、次々に定着していく。彼らは意識のない瞳で、ただ穏やかにそこに存在していた。
それは、吉本みゆきが、自身の理想を押し付けた、「偽りの楽園」の創造の始まりだった。




