5話:隣の席の盟主
拓郎は自分の席に座り、ミレイ・フレスターの背中を見た。彼女の席は、拓郎のすぐ前、窓際の列。拓郎は彼女の長い白髪が、時折、窓から差し込む朝の光を受けてきらめき、わずかに揺れるたびに、甘く爽やかな香りが拓郎の鼻腔をくすぐった。
(いい匂い……)
思わず、そう感じた瞬間、拓郎の脳裏に、マケドニアバーガーでの短い時間と、そしてあの鉄骨の下で感じた、恐怖と、安堵の感覚が蘇った。
あの時も、彼女が急降下してきた時、風に乗って、この匂いがしたような気がする。まさか、そんな馬鹿な。しかし、一度気づいてしまうと、その香りは意識をすればするほど、確かにあの時と同じように感じられた。
(まさか、そんなわけ……)
拓郎は、頭をぶんぶんと振った。いくら神と人が共存する世の中になったとはいえ、憧れの生徒会長が、実は自分を救った九尾の狐の少女で、さらに神の国の盟主などという、あまりにも突飛な話が、簡単に信じられるはずもない。それは、彼の合理的な思考に真っ向から反する。
それでも、拓郎の視線は、ミレイの背中に吸い寄せられるように固定されていた。彼女が読んでいる本のタイトルすら、確認できない。ただ、その白髪と、そこから漂う微かな香りに、彼の意識は囚われていた。
普段なら、教室の喧騒や、授業が始まる前のざわめきに紛れてしまうような些細な香りが、今日の拓郎には、やけにはっきりと感じられる。それはまるで、昨日の非日常が、まだすぐそこに続いているかのようだった。
拓郎は深く息を吸い込んだ。リンスの甘い香りの奥に、確かに、どこかで嗅いだことのあるような、独特の、しかし懐かしいような匂いが混じっている気がした。動物的な、とでも言うべきか、あるいは、もっと神秘的な……。
彼の軍事オタクとしての冷静な分析とは異なる、しかし抗いがたい何かが、拓郎の心をざわつかせ始めていた。彼の目の前には、まだ授業は始まっていないのに、すでに新たな「謎」が横たわっていた。