虚無の定義
結衣は、巨大な「虚無」の塊に向かって、一歩足を踏み出した。その塊からは、あらゆる概念を否定するような、おぞましい波動が放たれている。周囲の「概念の狭間」に囚われた者たちですら、その波動に怯えるかのように後退していく。
「結衣! 待て! あれは危険すぎる!」
拓郎が叫んだが、結衣の耳には届いていなかった。彼女の意識の奥底で、あの悲痛な声が響き渡る。
「ワタシハ……ヒテイサレタ……スベテヲ……ヒテイサレタ……!」
それは、すべての存在意義を否定され、忘れ去られ、そして『虚無』に囚われた、哀しい神の声だった。結衣は、その悲痛な叫びに、胸が締め付けられる思いだった。
(このままじゃ、この学校だけじゃない……世界が、全て『虚無』に飲まれてしまう……!)
結衣は、自身の「幻想武装」を強く握りしめた。彼女の身体から、かつてないほどの白とオレンジの光が放たれる。その光は、彼女の決意に呼応するかのように、さらに輝きを増していった。
「私が……あなたを、救ってあげる!」
結衣は、巨大な「虚無」の塊に向かって、ハンドガンを構えた。彼女の脳裏には、拓郎の言葉が蘇る。
『結衣の「概念定義」は、この世界の「定義」を、お前の意思で書き換える力……』
そして、四葉の言葉。
『それは、もはや神の領域をも超える力かもしれぬ』
(「虚無」を「定義」する……。それは、全ての否定を、肯定に変えるということ……!)
結衣は、目を閉じた。そして、その「虚無」の塊が、かつてどのような「概念」を司っていたのか、その「存在意義」は何だったのかを、必死に想像した。
「虚無」とは、何も無いこと。しかし、何も無いということは、同時に「全てが始まる場所」でもある。無限の可能性を秘めた、始まりの場所。
結衣は、その「虚無」に、『可能性』の概念を定義した。
「幻想武装、概念定義! 『無限の可能性』!!」
結衣は叫び、引き金を引いた。
ドォォォン!!
放たれた光の塊は、巨大な「虚無」の塊へと吸い込まれていく。光が当たった瞬間、「虚無」の塊は激しく揺らぎ、その黒い色が、まるで絵の具が溶け出すかのように、様々な色へと変化し始めた。周囲に放たれていた「拒絶」の波動も、急速に収束していく。
光が収束すると、そこには、巨大な七色の光の球体が浮かんでいた。その球体からは、温かく、そして無限の可能性を感じさせるような波動が放たれている。その光景は、見る者に希望と安らぎを与えた。
「これは……! 『虚無』が、『可能性』の概念へと……!」
拓郎が絶句した。四葉もまた、その光景に目を見張り、驚きを隠せない様子だった。
七色の光の球体から、優しい声が響いた。
「ああ……ワタシハ……ワタシハ……。再び、存在を……。そして、無限の可能性を……」
その声は、もはや「虚無」の悲痛な叫びではなく、新たな「存在」を得た喜びと、感謝に満ちたものだった。
「やった……! 救えたんだ……!」
結衣は、安堵から膝から崩れ落ちた。全身から力が抜け、汗が目に入って沁みる。
その時、七色の光の球体から、小さな光の粒が飛び出し、結衣の額に吸い込まれていった。結衣の身体から、微かに白とオレンジの光が、さらに強く輝きを放った。
「結衣! 今、お前の身体に、新たな力が……!」
拓郎が叫ぶ。
「これは……『無限の可能性』の概念……。結衣は、この世界の『概念』そのものと、完全に一体化したのだ……」
四葉が呟く。その瞳には、結衣への誇りと、そして、未来への希望が宿っていた。
「吉本結衣よ。貴女は、我々『概念の狭間』に囚われた者たちに、新たな『定義』を与え、この世界に再び存在意義を見出してくれた。貴女こそが、真の『神と人の架け橋』だ」
七色の光の球体から、感謝の言葉が響き渡る。
学校の混乱は収まり、生徒たちは、何が起こったのか理解できないまま、ただ茫然と上空を見上げている。しかし、彼らの心には、どこか温かい「希望」の感情が芽生えていた。
結衣は、立ち上がった。彼女の瞳には、もう迷いはなかった。彼女は、自身の能力が、ただの破壊ではなく、「創造」と「再生」、そして「共存」の力であることを完全に理解した。
吉本家の「非凡な」日常は、これからも続いていくだろう。しかし、結衣は、この戦いを通して、自身の能力と、神と人、そして忘れ去られた概念が共存できる、新たな世界の「定義」を、自分が創り出すことができるという確信を得た。
彼女の物語は、まだ始まったばかりだ。




