はちゃめちゃ一家の日常 (3)
遠足当日。結衣は、学校指定のジャージに身を包み、リュックを背負って登校した。彼女の白とオレンジの混じったロングヘアーは、朝の太陽にきらめいている。バスに乗り込み、友人とくだらない話をしている間も、結衣の心には、どこか落ち着かない予感があった。
江戸川区の伏見稲荷神社は、都心とは思えないほど豊かな自然に囲まれていた。朱塗りの鳥居が連なり、その奥には古い社殿がひっそりと佇んでいる。結衣たちは、先生の説明を聞きながら境内を散策した。
「ねぇ、結衣。ここ、本当に狐に化かされるのかな?」
友人の美咲が、不安げに囁いた。美咲は、普通の人間だが、神と人が共存するこの世界では、そんな都市伝説も現実味を帯びてくる。
「さあね。でも、稲荷寿司のお供え物が一瞬で消えるって話は、マジらしいよ」
結衣は、つい先日、母・四葉が自宅で「お稲荷様への献上物」として、大量の稲荷寿司を作っていたのを思い出した。もしかして、あの神社の狐の神様は、食いしん坊なだけなのでは、と結衣は密かに思った。
しばらく歩くと、一行は境内の奥にある小さな祠にたどり着いた。そこには、無数の小さな狐の石像が並べられていた。そのどれもが、どこかユーモラスな表情をしていたが、中にはひときわ古い、苔むした石像もあった。
その時、祠の裏手から、小さな子供たちの声が聞こえてきた。
「ねぇ、あっちにすっごく可愛い狐さんがいるよ!」
「ホントだー! 撫でてあげたい!」
先生が慌てて注意する間もなく、数人の小学生が祠の裏手へと駆け寄っていく。結衣は嫌な予感がして、その方向を見た。
そこにいたのは、予想通りの光景だった。白い毛並みに、ぴょこんと立った耳。だが、それが狐の神様であれば、まだ可愛らしい「再現ショー」で済むはずだった。しかし、そこにいたのは、見たこともない奇妙な狐だったのだ。
その狐は、体が異様に膨れ上がっており、まるでパンパンに膨らんだ風船のようだった。毛並みは白いが、ところどころが薄汚れていて、何よりも、その表情が、どこか苦しそうに見える。
「あ、あれ、大丈夫かな?」
美咲が心配そうに呟いた。すると、子供たちは無邪気にその狐に近づき、手を伸ばそうとした。
「危ない!」
結衣は、とっさに叫んだ。次の瞬間、パンパンに膨らんだ狐の体が、ぶるぶると震え始める。そして――
ドォォン!!
鈍い破裂音が響き渡り、狐の体が一瞬にして煙のように霧散した。周囲には、甘いような、腐ったような、奇妙な匂いが充満する。そして、その狐がいた場所には、信じられないものが残されていた。
それは、まるで生命を宿したかのように脈動する、巨大な稲荷寿司だった。
「ひぃっ!?」
小学生たちが悲鳴を上げ、教師たちも顔面蒼白になっている。結衣もまた、予想外の展開に呆然と立ち尽くした。
巨大な稲荷寿司は、ゆっくりと、しかし確実に膨張を始めた。そして、その表面に、ブツブツと奇妙な泡が浮かび上がり、まるで生きているかのように蠢き始める。
「な、なんだこれ……!?」
拓郎の軍事オタクとしての好奇心が、頭の片隅で叫んでいた。しかし、今はそれどころではない。この異常な物体から、得も言われぬ不気味な気配が立ち込めていた。
その時、結衣の脳裏に、母・四葉の言葉が響いた。
『もし、何か異常事態に遭遇したら、すぐにワラワに連絡するのだ』
結衣は、震える手でスマホを取り出し、四葉に連絡しようとした。しかし、その刹那、稲荷寿司の表面がさらに大きく隆起し、そこから無数の小さな触手のようなものがニョキニョキと生え始めたのだ。
そして、その触手は、まるで意思を持っているかのように、悲鳴を上げて逃げ惑う人々へと、まっすぐに伸びてきた。




