第11話:バイト先の神隠し
たくみは医学部の学費と生活費を補うため、屋敷からほど近い小さなコンビニエンスストア「スマイルマート」で夜勤のアルバイトを始めた。深夜のコンビニは、人もまばらで、比較的静かだ。
「よし、今夜も異常なし!」
たくみが棚の品出しを終え、ほっと一息ついた時だった。店の奥から、カサッと小さな音がした。振り返ると、誰もいないはずのお菓子コーナーで、ポテトチップスの袋がわずかに揺れている。
「あれ? 風でもないのに……」
たくみが近づくと、袋の揺れは止まった。気のせいかと思い、作業に戻る。しかし、翌日、店長が頭を抱えていた。
「たくみくん、困ったことになったよ。最近、妙に特定の商品が減るんだ。特に、チョコ菓子とか、カップ麺とか」
「え、万引きですか?」
「いや、それが監視カメラには何も映ってないんだ。しかも、毎日少しずつなんだよ。最初は気のせいかと思ったけど、ここまで続くと……」
店長は首をひねる。たくみは、ピンと来た。これは、きっと神霊の仕業だ。四葉に相談しよう。
その夜、たくみが屋敷に戻ると、四葉が縁側で月を眺めていた。
「四葉さん、相談があるんです。バイト先のコンビニで、変なことが起きてて」
たくみがコンビニで起きている「神隠し」のような現象について話した。四葉は、静かにたくみの話を聞いていた。
「なるほど……。そうね、私も微かに感じていたわ。コンビニの近くに、まだ幼い神霊が迷い込んでいるようね」
四葉が優しく言った。
「やっぱり! その神霊は、何をしてるんですか? お腹が空いてるんでしょうか?」
「ええ。彼はね、まだ人間の食べ物の『味』を知らないの。ただ、匂いに惹かれて、無邪気に手を伸ばしているだけよ」
四葉は、どこか微笑ましそうに言う。
「でも、このままだと、店長が困っちゃいます。それに、神霊が人間の食べ物をそのまま食べて、何か悪影響があったりしないですか?」
たくみは心配になった。神が人間の食べ物を口にすることで、何か弊害が起きる可能性も考えられた。
「そうね。彼にとって、人間の食べ物は刺激が強すぎるかもしれない。直接的な害はないでしょうけれど、彼の神体が不安定になる可能性はあるわ」
「それは大変だ! 何か、対処法はありませんか?」
たくみが焦って尋ねると、四葉は少し考えてから言った。
「そうね……。彼に、人間の食べ物とは違う、神霊にとってより良い『お供え物』を用意してあげて、代わりに商品を返してもらう交渉をしてみるのはどうかしら」
「交渉、ですか?」たくみは戸惑った。神霊と交渉するなんて、想像もしていなかった。
「ええ。神霊は、純粋な存在よ。決して悪意があるわけではないわ。ただ、この世界のルールを知らないだけ」
四葉はそう言うと、たくみに一つの案を提示した。それは、神霊が喜ぶであろう、清らかな水と、神域で採れた特別な果物を、コンビニの裏口に置いておくというものだった。
その夜、たくみはバイトに行く前に、四葉から渡された清らかな水と、見慣れない光を放つ果物を小さな皿に乗せ、店長には内緒で、コンビニの裏口の、人目につかない場所に置いた。
夜勤に入り、再び客足が途絶えた深夜。たくみがレジに立っていると、店の奥から、再びカサカサと音が聞こえた。そして、今度はチョコ菓子だけでなく、カップ麺の棚からも、いくつもの商品が宙に浮かび上がり、店の奥へと消えていく。
「うわっ、大胆になってる……!」
たくみが思わず声を上げた時、四葉がそっとコンビニの裏口から現れた。彼女はたくみに、目で合図を送る。
「たくみ、私が彼と直接話してみるわ。あなたは、周りに誰もいないことを確認してちょうだい」
「はい!」
四葉は裏口に置かれたお供え物にそっと触れた。すると、お供え物から淡い光が放たれ、店内に吸い込まれていく。しばらくすると、光の粒が集まり、幼い子供のような半透明の神霊が、店の奥から姿を現した。神霊は、四葉が用意したお供え物の光の香りに誘われて、現れたようだった。
「おお……これは、何だ? 食べたことのない、しかし、とても満たされる香り……」
神霊は、きらきらと輝く果物の光を見つめていた。その手には、まだチョコ菓子をいくつか持っている。
「その菓子は、人間のものよ。あなたには、あまり合わないわ。こちらを試してみてはどう?」
四葉が優しく語りかける。神霊は、チョコ菓子をぽろりと落とし、四葉が指し示すお供え物の光に吸い寄せられるように近づいていった。
「我は、この匂いに惹かれただけ。悪意はない」神霊が、子供のような声で言った。
「ええ、知っているわ。でも、人間には、人間なりのルールがあるの。彼らは、あなたが持っていったものを、あなたには理解できない形で『お金』を払って手に入れているのよ」
四葉が、人間の社会の仕組みを、神霊に分かりやすく説明する。たくみは、四葉が九尾の力で神霊の感情や意思を読み取り、的確にコミュニケーションをとっていることを理解した。
「お金……? それは、何だ?」神霊は首を傾げた。
「そうね、例えるなら、あなたにとっての『神力』のようなものかしら。人間は、そのお金と引き換えに、欲しいものを手に入れるのよ」
「では、我は、この『お金』とやらを払えば、菓子を手にできるのか?」
「ええ。でも、今は、このお供え物を代わりに受け取ってくれるかしら? あなたには、こちらのほうがずっと良いものよ」
神霊は、四葉の言葉を理解したようだった。彼は、残りのチョコ菓子やカップ麺を全て床に置き、代わりに四葉が用意したお供え物の光を、満足そうに吸い込んだ。すると、神霊の体が、さらにきらめきを増したように見えた。
「これは、素晴らしい! 我は満たされた。礼を言う、大いなる神よ」
神霊はそう言うと、光の粒となって、店の天井へと消えていった。
たくみは、床に散らばった商品を見て、胸を撫で下ろした。
「四葉さん、ありがとうございました! 助かりました!」
「どういたしまして。彼も、きっとこれからは人間のルールを学んでくれるでしょう」
翌日、店長は驚きを隠せない様子だった。
「たくみくん、見てくれよ! 昨日、減ってた商品が全部、元に戻ってるんだ! 誰かのいたずらだったのかな?」
店長は首をかしげている。たくみは、秘密を明かすわけにはいかないので、曖昧に頷くしかなかった。
「はは……そうかもしれませんね」
その日から、コンビニの商品が消えることはなくなった。たくみは、神々の存在が日常に浸透している様を、改めてコミカルに感じた。そして、四葉の観察眼と、彼女が九尾の力で神霊と交渉する能力が、こんなにも日常の小さな問題をスムーズに解決できることに感嘆するのだった。彼らの生活は、今日もまた、不思議で穏やかな非日常の日常が続いていく。




