1話:日常の崩壊と、神の介入
吉本拓郎の通学路は、ある日を境に奇妙な様相を呈していた。現代日本の都市風景に、異形の鳥居や、苔むした注連縄が巻かれた高層ビルが混在する「神・日本国」となってから数ヶ月。特に彼の学校がある地区は、その融合の歪みが顕著だった。
今日もまた、拓郎はため息をつきながら、通学路を横切る。通りの向こうでは、奇妙な集団がわめき散らしていた。彼らは「神」と呼ばれる存在で、その多くが現代日本のアニメに心酔しきっている。そして、その神々を熱狂的に追いかける人間たち、通称「カミオタ」。
「はぁ、またやってるよ……」
拓郎の視線の先には、コスプレした神々と、それを囲むカミオタたちの撮影会が繰り広げられていた。今日の主役は、今や社会現象と化した超人気アニメ『ブレザームーン』の主人公に扮した若い女神だ。
きらびやかなセーラー服に身を包んだ女神は、扇情的なポーズを決め、カミオタたちは一眼レフを構えてシャッターを切る。拓郎は彼らの熱狂ぶりに心底ドン引きしていた。くだらない。合理性のかけらもない。
その時、女神が叫んだ。「月に代わってお仕置きです!」
拓郎は耳を疑った。女神の両手から、本当に光の奔流が迸ったのだ。それは、アニメの演出どころではない、本物のレーザーだった。
「うわああああああああ!」
レーザーは、あろうことか近くの高層ビル工事現場で、クレーンに釣り上げられていた巨大な鉄骨のワイヤーを直撃した。バチン、という乾いた音とともにワイヤーがちぎれ飛ぶ。数トンもある鉄骨が、物理法則に従い、拓郎の頭上目掛けて落下し始めた。
周囲に悲鳴が響き渡る。カミオタたちは呆然と空を見上げ、神々は自分たちの起こした事態に顔色を変えた。拓郎も、これまで信じていなかった「神の力」が引き起こした現実に、初めて背筋が凍りついた。軍事オタクとしての冷静な頭脳が、即座に計算する。――逃げられない。
刹那、空から一条の影が急降下した。
「そこをどけ!」
凛とした声と共に、落下する鉄骨に絡みついたのは、光り輝くロープだった。それは驚くべき速度で鉄骨に巻きつき、落下を食い止める。
ロープを操っていたのは、見慣れた制服に身を包んだ、白髪の女子高生……いや、九尾の狐の少女、四葉様だった。
四葉様はロープを巧みに操り、鉄骨を地面にゆっくりと降ろすと、拓郎の目の前に着地した。その瞳は、拓郎の命を救ったことに対する何の感情も見せず、ただ任務を遂行した冷徹さだけを宿していた。
「無事か、人間。全く、秩序を乱す者どもはこれだから面倒だ」
四葉様はそう呟くと、再び空へと舞い上がり、ワイヤーを切断した女神の方へ向かっていく。拓郎は、地面にへたり込んだまま、信じられない光景を呆然と見上げていた。
彼の命を救ったのは、彼が信じていなかった「神の力」だった。そして、その力を操る治安管理局の少女。彼の「平凡な日常」は、この瞬間、完全に終わりを告げたのだった。
四葉